2025.06.11
さて、
どのように、よく生きるか。
2025.06.05
同窓会みたいに
乳がんの治療は乳腺外科だけれど、再建は形成外科、卵巣のリスク低減摘出は婦人科なので、同じ病院で3つの診療科にかかっている。
今日は、両胸の再建手術から一年が経ち、形成外科へ。右と左で切除の仕方が違うので、傷の場所も違うけれど、どちらも綺麗に治ってきている。
先生は両方の傷口と全体の形を確認したあと、いいですね、といつもの穏やかな口調で言った。形成的には全く問題がなく、次は1年後で大丈夫だという。
「なんだか卒業みたいで嬉しいです。ありがとうございました」
と言うと、先生は眉毛を下げて、
「そうですね、同窓会みたいにね、また一年後にきてくださいね」
と笑った。
人の身体というのは本来あたたかく柔らかいものだ、というのを、こうなってみて初めて知ったように思う。今のわたしの胸は弾力があって、いつも少しひんやりしている。不思議なことに喪失感はさほどなく、生かしてもらえたという感謝の気持ちのようなものが、失った両胸につまっている気がする。
2025.05.06
もはや旅ではなく
京都へ。
ゴールデンウィークの最終日、駅は震えるくらい混んでいたけれど、全席指定のせいか新幹線の中はそれほどでもない。いつも、移動時間にあれもやろうこれもやろうと思っているのに、窓から見える景色が好きで、ぼんやりしてしまう。窓の外は、雨が降ったり止んだりしている。
着くころには幸い雨は止んでいたけれど、風が冷たい。思わず、さむ、とつぶやいて、たくしあげていた上着の袖を伸ばす。ここ数日の東京はまるで夏の陽気だったけれど、念のため薄いウールとシルクのセーターを着てきてよかった。
いちおう、KYOTOGRAPHIEの展示をいくつか回るつもりで、駅の壁面の大きな展示を見たあと、東本願寺へ。イーモン・ドイルの写真はとてもよかった。アイルランドに生まれ、大学で絵画と写真を学び、音楽と写真を創作の中心に据えているアーティスト。彼の撮る写真は、音楽によく似ていて、一つ一つの写真から音が聞こえ、展示にまとまると旋律になる。
ホテルに荷物を置いて、たまに行くお蕎麦屋さんへ。天草の雲丹を乗せたお蕎麦が食べたかったけれど、1日限定5食だというからおずおずと聞いてみたらまだあるという。それを頼んで、少し考えてシャンパンをグラスで一杯。多分カロリーを摂りすぎだけれど、京都にいる間はとにかく沢山歩くのだからいいことにしよう、と思った。雲丹はひたすら甘く、海の青の香りがした。
明日、夕食に行く約束をしていた友人から連絡がきて、結局今日も一緒にたこ焼きに行こうという話になった。夕方までに、まだいくつか展示は回れるだろう。京都新聞の地下、ジェイ・アールの展示もまた素晴らしかった。写真を撮ること、撮られることで交差する人と人との関係性、そこでできるゆるやかなネットワークが社会を細やかに動かすような。
2025.04.15
やさしい詐欺師
2025.04.13
女性と母性の両方を
春の雨。
辰巳泰子の「乳ふさをろくでなしにもふふませて桜終はらす雨を見てゐる」という歌を思い出している。乳ふさを失ったわたしが。