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2004.06.30

読書メモ

■梨木香歩 『家守綺譚』 新潮社, 2004/01

 恋する百日紅が出てくるのはこの小説。主人公が根元で本を読んでやると、満足そうに目を閉じる。
 随分と昔のこと。死んだ友人の実家から家守をしてくれと頼まれた男が、大きな古い屋敷に住みはじめるところから、物語がはじまる。百日紅が主人公に恋をし、狸は和尚に化け、河童の少女が衣を探しにやってくる。
 文章の流れは眼や心に心地よく、きっと読んでも美しい。静謐で、馥郁とした愛すべき一冊。


■江國香織 『思いわずらうことなく愉しく生きよ』 光文社, 2004/06

 「自分のしたことに後悔なんてしないわ。」

 溜息をつきながら読み終える。この小説にでてくる三姉妹とは随分違うけれど、うちも、三姉妹。
 (ちなみに、「末っ子です」とわたしが言うと、いつも反応はきれいに二通りに分かれる。「そうよねえ」と深く頷く人と、「そうはみえない」と首を振る人と。「君は本当に我侭でうそつきで甘えてばかりだからねえ」と、言う人も。)
 いつもながら、ディテールの勝利だ、と思う。江國さんの書く小説のディテールは、他のすべてを差しおいて、わたしを世界に引き込んでいく。


■よしもとばなな 『海のふた』 ロッキング・オン , 2004/06

 読んでいて、かき氷が食べたくなった。白いやつ。杏がのっているのがわたしは好きで、口の中でほんのり甘く溶けるあの食べ物は、どちらかといえば奇跡に近い味がする、と、思う。
 陳腐な言い方をしてしまえば、愛なのだ。終始流れる、いろいろなものへの率直な愛情。それゆえの憤りと、美しい諦念。



2004.06.29

旅する人を、

 旅に出ることに決めました、というメールが友人から届いたのはしばらく前のこと。
 日程の話や、持っていく本の話を読んで、自分のことのように、わくわくした。
 旅に出る友人を思うことは、自分が旅に出ることに似て、少し、自分の世界に風が通る。
 空を見上げる。今ごろはもう異国にいるはずの友人を思い、その人の上にも青空があってほしいなと、ふと思ったりしている。



2004.06.27

さるすべり

 日曜日の夕方。自転車で家に帰る途中、百日紅の花が美しく咲いていた。この花を見ると、夏がきた、と思う。
 シャワーを浴びて、散歩に出た。途中で、「そうだ、さっき、百日紅が咲いてたよ」と言うと、「君でも百日紅の名前は知っているんだね」と、隣を歩く人が言う。わたしは、花の名前をあまり知らない。「うん。実家の庭に木があったから」と答えつつ、どこに咲いていたかは内緒にしておいた。
 百日紅の木は惚れっぽいのだ。彼がやさしい言葉をかけたら、恋されてしまうかもしれない。



2004.06.26

画の喜び

 押入れの奥にしまい込んでいた水彩画の道具を引っ張り出したのは三日前のこと。久しく描いていなかった絵をまた描いてみようと思いはじめた理由は、自分にも、まだよく分からない。
 ラウニーの、固形水彩のボックス。24色の絵の具が、ころころと並んでいる。高校生だった当時のわたしには結構高い買い物で、お小遣いをためて、やっとの思いで手に入れた記憶がある。空色と、芝生の緑、レンガの赤は、何度か買い足した。当時、わたしが生活していた学校は、芝生の庭がある、煉瓦造りのきれいな建物だった。
 思えばあの頃、わたしはどこへ行くのでも、絵の具と小さなスケッチブックを持ち歩いていた。ボックスを開けると懐かしい匂いがして、否応なしにあの頃のことを思い出す。春先のリラの花。初夏の鮮やかな芝生。秋の澄んだ青空。冬の暖炉の色。ずるい、と思う。思い出はいつも美しく色づいて、わたしを揺さぶっていく。

 渋谷の大きな画材やさんで、水彩紙をいくつか買った。自転車で、しばらく走る。暑い。背中を汗がつたっていく。
 家に帰るのが待ちきれなくて、公園の前で自転車をとめた。ベンチに座って、ほんの少し、筆先に水をつける。小さな男の子のうしろ姿。背景に、青い空を塗る。木々の緑。ブランコの、赤い支柱。
 しばらく夢中で筆を動かし、ふと、気づいた。美しいのは、きっと、過去だけではないのだと。そう、色づいているのは、手の届かない昔の景色ばかりではない。きっと、わたしは、何年か、何十年か先、この日のことを懐かしく思い出す。そしてその時、思いだす今日のこの瞬間も、美しく澄んでいるに違いないのだ。



2004.06.25

雨の日

 打ち合わせと打ち合わせの狭間、スクランブル交差点で、突然、強い風が吹いた。わたしが持っていたビニール傘は、面白いほどあっけなく曲がり、すっかり違う形になってしまった。
 それは、いつものように傘を持っていなかったわたしに、お客様が持っていきなさい、と手渡してくれたもので、わたしは申し訳ないような気持ちになりながら、もう役に立たなくなってしまった傘を閉じた。空からは大粒の雨がぱらぱらと落ちてきていて、目の前の信号は赤だった。
 次の打ち合わせまでには随分時間があったから、わたしは、あたらしい傘を買おうか、それともどこかで雨宿りして小降りになるのを待とうか、そのまましばらく考えた。雨はぽたぽたと、肩に落ちてきていた。

 「濡れちゃいますよ」
 声がうしろから聞こえるのと、顔に雨粒があたらなくなったのとは、ほぼ同時だった。ふりむくと、わたしと同じ年頃の女性が傘をさしかけてくれている。
 「傘、壊れちゃったんですね。さっきの風、すごかったから」
 と彼女はいい、にっこりと笑った。
 「そうなんです、ほら、こんなになっちゃって」、と、曲がってしまった傘を見せると、彼女は面白そうに、「ほんとだ、見事だわ、その曲がりかた」と、言った。気持ちのいい話し方をする人だった。
 だから、わたしは少し甘えることにして、彼女の傘に入れてもらい、しばらく歩いた。他愛もない話をしながら、それでも二人とも、よく笑ったような気がする。
 「変ですね、初めてお会いしたのに。昔からの友だちみたいで」、と先に言ったのは彼女だったが、もし彼女がいわなかったら、多分わたしから言っていただろうと思う。あったかいな、と思った。駅前で、御礼を言って、手を振って別れたとき、なんだか少し、寂しい気がした。

 こんな日の雨は、どこかあたたかくて、やけにしみる。



2004.06.23

つかのま

 ドアを開けて、そこに青空があると、いつもわたしは嬉しくなる。
 アパートの階段を駆け下りて、いそいそと自転車を引っ張り出す。ひと漕ぎ。顔にあたる風が心地よい。

 途中のパン屋さんで、サンドイッチと牛乳を買う。そのまま、会社の近くの公園まで、走る。
 ベンチに座って、朝ご飯。時々は、ベビーカーを押したお父さんや、トカゲや、雀の親子と一緒になって、パンを食べ、牛乳を飲む。日差しが眩しく、わたしは眼をつぶって、太陽のほうに顔を向ける。オレンジ色になった、瞼の裏があたたかい。

 あんまり、沢山のものはいらないかもしれないなあ、とふと思い、思ってすぐに、首を振る。いや、まだ、きっとわたしは、いろんなものに、未練があるのだ。仕事や、お金や、立場や…、ほんとはいらないかもしれない、でも、まだ諦めきれないいろんなものを、わたしはつかのま、考える。あと5年、6年も経てば、もっとすっきりと生きられるように、なるのだろうか。いや、それでも……。

 パンくずを払い、わたしはやがて立ち上がる。見上げると、空が青くて、それだけでいいじゃないか、と思った。つかのま、世界がわたしに優しくしてくれるので、わたしはそれだけで、生きていける。 



2004.06.22

おめでとう、ありがとう。

 もうずっと連絡もとっていなかった知り合いから、久しぶりにメールが届いた。
 元気にしてますか、と、遠慮がちな書き出し。彼の穏やかな話し方を思い出して、思わず少し、笑顔になる。

 最後に会ってから、何年になるんだろう、と思い、指折り数えて驚いた。もう、5年……6年かもしれない。なにせ、最初に出会った頃、わたしはなりたての大学生だったのだ。男の子みたいな短い髪をして、ジーンズばかり履いていた頃。
 
 本当にやさしい人だったと思う。君は人に愛されて生きてきたんだから、その分、人に優しくできるはずでしょ、と、そんなことを、衒いもなく真っ直ぐに言ってくれる人だった。今思えば、わたしは彼の言う意味を、本当には理解していなかったのかもしれない。それでも、深夜の電話や、長いメールや、広い公園をぐるぐる歩きながら、わたしたちはいろいろな話をした。

 ヤマアラシのジレンマ、という言葉をはじめて聞いたのも彼からだったように思う。その頃、幼い恋に悩んでいたわたしに、彼がふと、話してくれたのだ。
 寒い冬の日に、二匹のヤマアラシが身を寄せ合っている。近づきすぎるとお互いの棘があたって痛い。離れると、寒い。寒さと痛さの間で身体を寄せ合ったり離れたりしながら、寒くもなく、痛くもない距離を見つけるのだと。
 痛くても、くっついている方がいいなあ、わたし、と、その時わたしは蛮勇にも(しかし、ほとんど何も考えずに)言ったのだった。彼は、本当にそう思う?と、確かめるように言うだけで、否定も肯定もしなかった。彼のやり方は万事この調子で、いつでも、どんなときでも、ニュートラルだった。
 守ってもらっていたんだなあ、と今は思う。でもその時は、そんな彼のやり方を、ずるいと思うこともあった。ずるいなあ、どんなときでも落ち着き払っていて、と、わたしはよく思い、それを口にだしさえもした。

 彼が転職をし、わたしが教育実習で忙しくなって、いつのまにやら疎遠になって、もう、随分が経つ。
 もうすぐ、わたしは、出会った頃の彼の年齢になる。そう、今なら、やっと、わかる気がするのだ。あの頃の彼のやり方が。

 結婚、おめでとう。
 久しぶりのメールに嬉しい気持ちで返事を書きながら、あの時はありがとう、と、あの頃いつもいえなかった言葉を、つぶやいている。



2004.06.21

no title

やりたいことが沢山ある以上、
諦めなければいけないことも山ほどあって、

それでも同時に、
本当に本気でやりたい、って思ったら、
何でも実現できることは知ってるし、
わたしがいろんなことを諦めているのも、
他でもない、自分自身で決めていることだということは
分かっているのです。

ああ、上手く書けないけれど、
結局、諦めるにしろ手に入れるにしろ、自分自身の責任でやっていることだ、
ということなのです。

何かを「選ぶ」っていうのは、選ばなかった何かを「諦める」ことだ、
と思います。
自分は、自分が今までしてきた選択の上に立っているけれど、
同時に、「選ばなかったもうひとつの人生」が常にある。

でも、後悔はしない。
…しない?



A Midsummer Night's Dream

 夏至の夜。風に吹かれて歩きながら、いろんなことを思い出す。



2004.06.19

すきとおった、ほんとうの、

 はい、これ、どうぞ、と言われて一口飲んだジュースは、やさしい味がした。

 「おいしい」
 というと、
 「でしょう?」
 と、満足そうに彼女は笑った。

 「ほんのり甘いのは、はちみつですか?」
 「ううん。メープルシロップです」

 わたしは、あのきらきらと甘いたべものを思い出して、少し幸せな気分になった。
 
 胃が痛くて、ここ数日、ろくに食べ物を食べていなかった。口にできるのはお粥と牛乳くらいで、あとは栄養剤と、白湯ばかり。折りしも仕事は佳境で、弱音を吐けるような状況ではなかった。
 だから、そのジュースは、久しぶりに口にしたふつうの食べ物で、わたしはすすめられて、おそるおそるひとくち、飲んだのだ。
 ただのバナナジュース、だったのかもしれない。それでもそれは、泣けるほど美味しくて、懐かしい味がした。

 ときおり、人を救う食べ物がある、と思う。身体にも、心にもしみわたる、本当のたべもの。
 眼をつぶったままごくごくと飲むと、それは確かに、金色の味がしたのだ。



2004.06.18

倦怠

 関係を改善しようと努力することと、自分に嘘をつくことは違うのよ、きっと、と、友人は言った。その横顔を見ながら、わたしはぼんやりと金色のシェリーを飲んでいた。食後酒に、と頼んだそれは、とろりと甘く喉に落ちる。

 彼女は、終わりかけの恋をしていた。大学を卒業してすぐに結婚して、数ヶ月。相手は誰もがうらやむような人で、結婚式での彼女はそれはそれは幸せそうだった。
 でも、もう違っちゃったのよ、と、彼女は言う。頬にあてた手が透き通るようにきれいで、わたしは思わず見とれてしまう。薬指には、結婚指輪。
 
 ……でも、関係を改善することが、自分をよくしていくことに繋がるなら、努力してみる価値はあるんじゃないの、と、わたしはつまらない正論を言いながら、頬杖をつく。

 「何がいいことなのか、わたしにはよく分からない。」
 と、彼女は静かにいった。

 ねえ、でも、好きだからなのよね、きっと。好きだから、無理して、疲れちゃうのよね。
 といいながら、わたしはシェリーを飲み干した。



2004.06.17

小林孝亘展 メモ

 大きな部屋に足を踏み入れると、そこは、ひかりであふれていた。
 あたたかい、と思った。明るく、さらりとしていて、あたたかい。
 公園の水のみ場。やわらかく落ちてくる木漏れ日。懐かしく眩しい、あの日の風景。

 ああ、出会ってしまった、と思った。


 *


 仕事と仕事の合間、ほんの少し時間が空いたので、近くの美術館へある画家の個展を見に行った。
 小さな感じのいい美術館だった。平日の午後の美術館はとても静かで、わたしはゆっくりと館内を歩く。

 絵を見始めたとたん、ああ、出会ってしまった、と思ったのだ。絵は、静かにいつかの記憶を呼び起こし、気持ちを揺さぶり、心のある部分にすとんと落ち、そこに留まっていた。


 *


 絵の向こうに、永遠が見えた。題材の向こうにみえる、ひろい世界。いや、向こうの世界、ではない。絵はわたしを内包し、世界がそれを俯瞰している。まなざしだ、と思った。どの絵にも感じられる、深い深いまなざし。

 そのまなざしを浴びながら、わたしはつい、目を閉じる。満ち足りて、沈むように。深く。



2004.06.16

no title

 「おかあさん?」
 「あら、桃ちゃん?どうしたの。」
 「なんでもない」
 「なんでもないことないでしょう。元気なの。」
 「うん。元気。」
 「本当に元気なの。」
 「うん。」

 (「ねえ、お母さん。わたし、なんだか、とっても、疲れちゃったなあ。」)

 「桃ちゃん?」
 「うん?」
 「ちゃんと野菜を食べなさい。それだけでいいから。」
 「うん。」
 「嘘のないものを食べなさい。それから、あんまり物を増やさずにね。文化的な生活はまずお掃除から、って言うのよ。」
 「うん。」
 
 「仕事、忙しいの?」
 「うん。」
 「あらあら。困ったわねえ。」
 「うん。」
 「でもね。お母さん思うんだけど。」
 「うん。」
 「楽な道なんて、きっとないんだと思う。」
 「うん」
 「頑張り過ぎない程度に頑張りなさい。」
 「…うん。」

 「お母さん」
 「なに?」
 「呼んでみただけ」
 「馬鹿ねえ、この子は。」
 「いい歳をして?」
 「そうねえ」
  



あたらしい一日

 自転車をとめ、アパートの階段を上りきったところで、思わず立ちどまる。
 朝焼け。世界が、少しずつ眼を覚ますところだった。
 薄紅色に染まった空は、少しずつ起き上がり、澄んだ青を濃くしていく。夜明けは、こんなふうにいつも美しい。

 そっとドアを開けて、部屋に入る。一時間もしないうちに、まだ出かけなければいけない。今日は、わたしたちのシステムが入る新しいお店の、開店の日なのだ。

 熱いシャワーをあわただしく浴びて、また、肌寒い朝の空気の中を自転車で急ぐ。一睡もせずに、ずっとデスクにかじりついていた身体が少しずつほぐれていき、わたしは少し、生き返る。

 しっかり立とう、とつぶやく。誰のためでもなく自分のために、しっかりと立とう、と。

 *

 「おはようございます」
 お店に入ると、いい匂いがした。パンやマフィンが焼ける匂い。コーヒーの香ばしさ。あちこちから、「おはようございます」と響いてくる声を受け止めながら、わたしはシステムの、最後のチェックをする。
 もう、なんども確認をしたはずの仕組みだった。それなのに、こういうときは、いつも、期待と不安の狭間で、叫びだしたいような気持ちになる。
 すべてのチェックを終え、テストデータを消し、準備ができた。満足そうに機械を眺める後輩に声をかけ、一旦表に出る。これから、新しい一日が始まるのだ。

 きちんとセットされたテーブル。花が飾られ、清潔に磨かれた店内。エントランスは気持ちよく外に開いていて、親しげな感じだった。店内は、最後の準備でざわめいている。
 少し離れたところから、お店を眺めて、いいお店になったな、と思った。温かみがあり、親しげで、それなのに、きちんと整っている。

 「少しは眠りましたか」
 いつのまにか後ろに立っていたお客様に背中を叩かれてふりむいた。
 だまってにっこり笑うと、いろいろと本当にありがとう、という言葉が返ってきた。
 お客様の顔を見つめながら、初めて会った日のことをちらりと思い出す。ほんの3ヶ月前のことなのに、もう、ずっと昔のことみたいだ。
 3ヶ月か、と思う。日程的には、信じられないくらいタイトだった。本当なら、準備にあと1ヶ月はかかったはずのシステム。それが、多少の問題はあるものの一通り出来上がり、今、こうして、動こうとしている。
 「よく間に合ったよね」。考えていることが通じたみたいに、お客様が言った。

 午前7時。空が青い。



2004.06.15

バラの月

 オフィスのわたしの席は半地下のフロアの奥のほうにあり、太陽の光があたることはない。
 だから、打ち合わせともなると、わたしはいそいそと一番日当たりのいい窓際の席へ移動する。時々は、青空を見上げたりしながら。
 
 「六月は薔薇の月」という言葉をはじめて聞いたのはイギリスの寄宿舎で生活していた頃だと思う。今の時期のかの国は確かにとても美しく、急に世界が色づき始める時期だ。花は咲き、空気は薫り、陽のひかりを浴びる時期。昼間の時間が長くなり、外に出るのが急に楽しくなる季節。冬の間、暗い季節を耐えてきた人たちは、一斉に窓を開け、薄着をして街へでる。飽きることなく、肌で太陽を受けとめるのだ。それは熱狂的とも言えるほどで、みんな、少しの晴れ間も見逃すまいと、外へ出る。

 この時期、自分のデスクで仕事をしていると、時々、窓辺の光が恋しくなる。できることなら、いつでも、大きく窓を開けて生活したいなあ、と、かすかに思う。そうか、わたしも、太陽に恋してるんだ。六月は、薔薇の月。薔薇と青空と太陽の月だ。



2004.06.14

コンセプト&フォルム

 いい仕事って何なんだろう、と、よく考える。
 いつも最後に思う。コンセプトとフォルムだ、と。

 きちんとしたコンセプトがあること。そして、それが、しっかりとかたち造られていること。
 上質な仕事には、多分このふたつが不可欠なのだ。

 コンセプトがフォルムに息を吹き込み、フォルムがコンセプトを具現化する。

 わたしは、かたちあるものを作りたい。そして、そこには、きちんと思想があってほしい。
 最初は小さなコンセプトが少しずつかたちになり、まとまってきちんと動き始める。システムがちからを持ち、人の手を助けていく。そんなとき、皆が満足し、わたしは、ゾクッとするほどこの仕事が好きになる。

 大切なのは、心とかたちだ、と思う。
 心だけではないのだ。かたちだけでは、いけないのだ。



2004.06.13

いたずら

 日曜日。自転車に乗って会社へ。
 風が気持ちよかったので、なかなか会社に行く気がせずに、川を眺めたり、サンマルクカフェでチョコカフェを飲んだり、ベビーカーの赤ちゃんから手を振られたりしながら走る。
 会社の近くの、広い人通りのない道で、立ち漕ぎをしたり、歩道に飛び乗ったり降りたり、ぐるぐる回ったりして遊んでいたら、後ろから声をかけられて、ビックリして自転車から飛び降りてしまった。

 「意外。桃さん、自転車、そんなに好きだったんですねえ。」
 
 ふりむくと、近くに住んでいる同僚がにこにこしながら立っている。

 「う、うん。」

 と、何故かいたずらが見つかった小学生の気分になりながら、そのまま自転車を押しながら会社へ歩く。



2004.06.09

言葉を選び取る瞬間に。

 メールをやり取りするだけで一度もお会いしたことがないのに、友人と呼びたいような人がいる。
 その人の書く文章はいつも穏やかで、でも、どこか美しく、わたしはいつも、嬉しい気持ちでメールを開く。するとそこには、朝焼けの空や、旅の匂いや、輝く雲がある。

 何度めかのやり取りのときだった。彼は、海外のある場所で日本語を教えた経験があって、話題がそのことになったときのことだ。

 「だれかが、言葉を選び取っていくその場面に自分が立ち会えたら、それはすごく幸せなことかもしれません。」

 メールの返事にわたしはそう書き、書いたとたん、イギリスの小さなランゲージセンターで日本語を教えていたころのことを思い出したのだ。自分が、英語という言葉を手にいれようとしていたころ。そして、同時に、だれかが日本語を身に付けていく過程に、立ち会っていたころのことを。

 めくるめく思いだった。
 あの頃。わたしは言葉に飛び込み、そしてそれに溺れ、なんとか抜け出そうとあがいていた。それなのに、つよい気持ちで、自分の母語である日本語を思っていた。

 ああ、思い出してしまった、と思った。普段は、すっかり忘れていたあの頃の気持ちが蘇ってきて、それは、ひどく強い力でわたしを押し流そうとした。できることなら今すぐ、あの場所に戻りたい。願いにも似た気持ちで、そう思った。


 ……いつのまにかぎゅっと閉じていた眼を開けると、いつもの会社の自分のデスクがあった。少なくとも今は、まだ、ここですることがある。と、わたしは慌てて思い、また、日常に戻っていく。

 でも、思い出してしまった。あの頃の気持ちを、わたしはまだ、覚えていた。

 「さて、もうひと頑張り」

 自分に言い聞かせるようにメールの続きを書きながら、心の温度が少し上がったのを、感じている。



2004.06.08

ビューティフル・ネーム

 彼女の名前を初めて見たとき、こう思ったのを覚えている。
 きれいな名前だな、と。
 美しくて、凛としているように見えた。
 その後、彼女の写真を見て、ああ、名前の通りの人だ、と、思った。もう、10年以上前のことだ。


 『ビューティフル・ネーム』

 「テーマは、正しく歌の歌詞の中にある「つよくてきれいなあなたの名前」です。」と、生前、作家自身が言っていた通り、この小説には、強くてきれいな名前をもった人たちが出てくる。例えば、「姜江以士」。「崔奈蘭」。
 彼らにとって、その名前は、最初から美しいものだったわけではない。その美しさは、日本で、言ってしまえば「普通ではない」名前で生きてきた、(そしてこれからも生きていくだろう)彼らが、自らの手で手にいれてきた美しさだ。
 心から血がにじむほど辛い思いをして、泣いたり、叫んだりして、そうしてやっと手に入れられる種類の美しさがあるように思う。わたしは、そんな美しさを、愛しく思う。

 「思ったり感じたりしたものの勝ちだ」
 いつか別の小説で、鷺沢萠が書いた言葉が、いまさら切なく響いてくる。「思ったり感じたり」するのは、時々ひどく辛いことだ。だからこそ彼女はあえて書いたのだろう。「思ったり感じたりしたものの勝ちだ」、と。そして、その、「思ったり感じたり」した末の美しさを、彼女もまた、手に入れていたのではなかったか。

 自ら死を選んだ彼女のことを思いながら、それでもわたしは、考えている。やっぱり、思ったり感じたりしたものの勝ちだ、と。彼女の名前も、本当にきれいな名前だった、と。


 鷺沢萠 『ビューティフル・ネーム』 新潮社 



2004.06.07

ささやかな自負

 「このロゴのデザインは君でしょう。」

 納品に行き、機械をセットアップして立ち上げたところで、画面を見たお客様がおもむろに言った。

 「分かります?」
 「すぐ分かる。この色づかい。君がつくる資料も画面も、僕は、多分見分けられると思う。」 

 思わず少し嬉しくなって、にっこりする。散々試行錯誤した挙句に決めた色あいだった。たんぽぽの黄色に穏やかな緑。片隅に、ほんの少しだけブラウンを置いた。あたらしく開店するそのお店のテーマカラーは澄んだ空色だから、この色はきっとうまく馴染むはずだ、と、思ったのだ。

 「でも、珍しいね。君が自分でそこまでするのは。最近はずっと、そういう仕事はしなかったのに」

 お客様が言うのを聞いて、今度は、かすかに気持ちが波立った。そう、確かにそれは、もう最近ではしなくなっていた種類の仕事だった。


 会社を辞めようと思っている。システムに関わる仕事を辞めるつもりはないが、少し違うところで仕事をしたい、という気持ちが最近強くなってきて、少しずつ、準備を始めている。
 だから、もしかしたら、今関わっているプロジェクトが最後の大きな仕事になるかもしれない。
 それなら、自分の仕事の痕跡をどこかに残したい。……わたしが、時間をかけて画面のデザインをしたのは、多分そういう、利己的な思い故だ。

 思えばずっと、自分にしかできない仕事がしたい、と思っていた。組織としては、誰がやっても間違いがおきないシステムづくりこそが大切で、もちろん個人のスキルは大切だが、それに頼りすぎてはいけない。そんなことはわかっていながら、いつも、わたしは、自分にしかできない仕事をしよう、と思ってやってきたように思う。だから、ずいぶん無理もした。そしてそのかわりに、わたしは沢山のものを手にいれて、もしかしたら、同じくらいのものを失ってきた。
 そして、今の仕事を離れようとしている時にさえも、(もしかしたら、そういう時だからこそ余計に)、自分の「仕事」をどこかに残したいと思っている自分がいる。
 いつか、「それは違うんじゃないの?」といわれた言葉をふと思い出す。そう、もしかしたら、これは正しい姿ではないかもしれない。それでも、ふとした瞬間にわたしを支えるものは、「あそこで、自分の作ったシステムが動いているんだ」という、ささやかな自負だけなのだ。

  5年。このシステムは、多分5年は動くだろう、と画面を見ながらわたしは思い、それで十分じゃないか、と思った。それだけで、わたしは、いつしか満たされていく。



2004.06.06

no title

 ゴルフ場で叔父が倒れた、と聞いたのはしばらく前のこと。
 階段の上で貧血をおこし、そのまま倒れて階段を落ち、頭を打ち、そのまま叔父はヘリコプターで運ばれて、入院し、今もまだ、眠っている。

 海の傍の大きな病院の、芝生が見える病室。眼を開けない叔父の手をさすり、話し掛ける叔母のそばに、わたしはただ立っていた。

 「あなた、あなた、ねえ、分かる……?」
 
 身体の大きい人だった。ベッドの上でもそれはかわらず、大きい身体を深く沈めて、叔父は、眠っている。

 「もう、いつ何が起きても」 「本人の生命力が」 聞こえてくる声の切れ端が耳をただ、通り過ぎていく。現実味のない言葉。ただの音の連なりにしか思えない、渇いた台詞。

 「ねえ、あなた、わたし、よくしてもらったわよねえ…、ありがとう…」

 ただ、叔母の言葉だけが、わたしの心にすっかり落ちて溶けていき、頬を濡らす。


 足をさすると、あたたかかった。

 「叔父さん、戻ってきてよ」

 思わず口から出た思いは、ひどく無力に、病室をしばらく漂って、消えていく。
 ごめんなさい、と思った。なにもできなくてごめんなさい、と。

 「桃ちゃん、ありがとう」

 苦しいほどおだやかな叔母の横顔を見つめながら、泣いちゃいけない、と、わたしは、歯をくいしばる。



2004.06.05

 東京の朝の道を、歩いていく。
 早朝まで仕事をした後、ひとりで歩く道が好きだ。
 仕事と仕事の合間、ぽっかりと時間があいて、
 身体は重く、でも、心は冴えて、
 コツリコツリと靴の踵をならしながら、
 まっすぐに歩く。

 見上げると、空が青かった。
 まだ始まったばかりのいちにち。
 空気に、夏の匂いが混じっている。

 わたしは、こんな、東京の朝が好きだ。 



2004.06.04

旅する水

 最近、飲み物といえばミネラルウォーターばかり飲んでいる。今日は、出雲の天然水。
 こんな些細なことで、気持ちが少しだけ旅をする。今日は出雲、昨日は屋久島、明日は…たとえばポルトガル。
 その土地の水を飲むことは、つかのま、その土地を、身体で味わうということだ。



2004.06.03

手紙

 疲れたなあ、と思って、自分のデスクで泣きたい気持ちになっているときに、何故か届くメールがある。
 旅に出ている友人からのそのメールには、いつも街角のパンの香りや、チャイナタウンのざわめきや、すれ違う人たちのあたたかさがある。わたしはつかのま仕事を忘れ、自分も旅にいる気分になる。肩の力が少し抜け、まだ知らぬどこかの景色を想う。
 旅することが、どこか違う土地に身を委ねることならば、友人からのメールを読むことも、旅することととても似ている。文章で紡がれるその土地の空気や、空や、月も、等しく正当な確かさで、わたしのところへ届くのだから。



まんげつのよるまでまちなさい

 まんげつのよるまでまちなさい。

 *

 まだ字も読めないちいさいころ、寝る前に、母が本を読んでくれるのが常だった。
 あたたかなふとんの中で、スタンドの明りだけつけて、うとうとしながら母の声を聞く。
 いつもいつも、あっという間に眠ってしまって、気づけば朝がきている。
 わたしにとって、夜は、いつもあたたかく、守られていた。

 そのころ、母が好んで読んでくれた絵本があって、それは、小さなあらいぐまの親子の話だった。穴に住んでいるあらいぐまのぼうやが、夜を見に行きたいのだと言い出すところから物語は始まる。おかあさんは、そのたび、坊やに言うのだ。まんげつのよるまでまちなさい、と。

 母は、よく、わがままをいうわたしに言った。ほら、「まんげつのよるまでまちなさい」でしょ、と。あらいぐまの坊やのように、あなたも少しは我慢しなさい。そういう意味だ。
 わたしはそのたび、口を尖らせて返事をする。「はあい。」

 だから、小さい頃のわたしにとって、「まんげつのよる」は、少し特別な意味を持っていた。ただ月が満ちるだけではなく、まんげつのよるには願いがかなうのだ。

 *

 仕事に疲れて、外に出たら、まんまるな月が浮かんでいた。
 「満月の夜だ!」
 わたしは思って、うれしくなる。
 「よるをみにいかなきゃ」
 唐突に思い、わたしは夜を歩きはじめる。

 木の葉がさわさわしていた。照らされた芝生はうるうると輝き、水面は揺れ、風が吹いていた。
 月のひかりに照らされながら、自分の影を見つめている。


 *

 おかあさん、ぼく、もう、まちきれないよ。きょうこそ、もりに、よるをみにいくよ。

 いっておいで、だって、きょうは、まんげつのよるだもの!


 *

 見上げると、月はそこに、冴え冴えと光っていた。



2004.06.01

雨の朝

 眼が覚めると、ベランダに出るのが癖になっている。カーテンをめくり、パジャマのまま身体を外にすべらせる。朝の光を浴びて、それから、一日を始めるのだ。

 今朝、いつものように、外へ出ると、雨が降っていた。わたしは身を乗り出し、手のひらを空に差しだし、雨の音を聞いた。雨は、だんだん強くなっていくようだった。今日は自転車に乗れないなあ、と思い、少しがっかりして、でもその後すぐに、久しぶりにスカートを履いて会社に行こう、と思ってなんとなく嬉しくなる。

 傘を差して、雨の中を歩いた。パタパタと傘にあたる雨の音を聞いていたら、ふと、昔のことを思い出した。雨が降っていたあの日。あの時見た、公園の緑や、灰色の空や、傘の色や、隣を歩く人の眼差しや…、思い出は、するりと身体のなかに入ってきて、かすかにわたしを揺さぶり、また出て行った。

 雨の日は、内と外との境界が曖昧になる。気持ちが少し雨に溶け、雨が頬にしみこんでいく。愁いを帯びたやさしい空気に包まれて、わたしは少し、楽になる。