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2004.07.31
月
会社を出たのは、もう朝の4時を回っていたと思う。自転車に乗って道を走り出すと、新聞配達のバイクとすれ違う。見上げると、明けていく空にかすかに星が見えた。朝がくる。
重たい足で自転車を漕ぎ、朝の道を走っていくと、だんだんと気持ちが落ち着いていくのが分かる。慌しかった一日。降るような月末の雑事。あたらしく見つかったプログラムのバグ。電話の向こうのささくれだった声。頭を占めていたいろいろなことが、少しずつ空気に溶けていく。
家に着き、自転車をとめて階段を上った。のぼりきったところの踊り場から、家々が立ち並ぶ向こうに見える空を眺める。空一杯の雲の向こうから、朝陽が差し込んでいた。光をはらんだ雲は、たっぷりと重たく、でもうしろからきらきらと輝いていた。
"every cloud has a silver lining" どんな雲にも銀の裏地がある、と、昔聞いた言葉を思い出した。雲の裏に光明が見えるように、憂いの反面には喜びがあるのだと。
*
たっぷりと美味しい夕食を食べた後、ベランダに出て、しばらく月を眺めた。満月にほんの少し欠ける月は、それでも十分満ち足りて夜空に浮かんでいた。夜風がふわりと肌にふれていく。月のあかりに照らされて、夜空は仄かにあかるかった。わたしは昼間の青空を思い、流れていく雲を眺めた。いつの間にか、ベランダではなく、もっと空の近くにいる気がした。
部屋の中に戻ってからも、窓を開け放して、月を眺めた。安寧、と、思った。
2004.07.30
歌舞伎
平成中村座のニューヨーク公演が大成功のうちに幕だったという。ニューヨークタイムズでも「心動かされる作品」と絶賛されたとか。わたしは純粋にとても嬉しくそのニュースを聞いた。
歌舞伎が好きだ、とはじめて思ったのは高校生の終わり頃だったと思う。当時、同級生だった歌舞伎役者の友人の影響でちらほらと歌舞伎を見始め、休みの度に歌舞伎座へ足を運んだ。正直、見始めた頃は、セリフも分からずすぐ眠くなり、面白いとは思えなかった。大人に連れて行かれた歌舞伎座で、あくびをかみ殺しながらじっと席に座っている、そんなことが常だった。
ところがある日、ふとしたきっかけで知り合った人から「歌舞伎は"よく知っている""同じものを""何度も観る"のが楽しいんだよ」と言われ、歌舞伎座に足を運ぶ前に、その演目を調べてから行ったのだ。その物語の背景や、着物の意味や、台詞。少しでも、「知って」から観た歌舞伎は、今までのつまらなかったお芝居とは全く違う、面白いものだった。
そして、自分で何度も幕見席に足を運ぶようになってから、初めて歌舞伎が好きになれたのだと思う。だから、わたしにとっての歌舞伎は、数百円で楽しめるとても身近な娯楽だ。
歌舞伎には、「型」がある。坂東玉三郎は、養父である守田勘弥に、よくこう言われたという。
「型破りってえのは型を持っている人間の言うことなんだ。形も何もないヤツラがやれば、いいかい、それは形なしって言うんだよ。」
型がぴたりと決まったときの美しさを、時々、奇跡のように思うことがある。そしてその型にはまったなかで溢れでてくる一期一会の舞台を、とても愛しいもののように思いながら、いつも歌舞伎を観ている気がする。
2004.07.29
通り雨
クーラーの冷気に少しくたびれて、電話だけ持って散歩に出た。会社の裏の坂道をあがるとそこは静かな住宅街で、のんびりとした夕方だった。
雨がぱらぱらと降ってきた。わたしはかまわず歩いていたが、流石に大降りになってきたので、少し雨宿りをする。明るい空から降ってくる雨はきらきらと輝く。
軒下から出て、また歩き始めた。鬱蒼とした大きな庭の脇を通ると、蝉時雨が降ってきた。友人からの電話で空を見上げると、大きな虹がかかっていた。ふわりと真っ白な雲をかき分け、ひんやりとした月の横を通り、街にかかる虹。空は、海へ続く浅黄色をしていた。
しばらく、蝉時雨の中で立ち止まった。この国は、時々ひどく美しい。
2004.07.28
石鹸、タオル
名古屋に行くといつも泊まるビジネスホテルは、さほど高級ではないけれどきっちりと清潔で、ふかふかのタオルと着心地のいいパジャマが置いてある。インテリアはさっぱりしているが、けして安っぽくなく落ち着いていて、泊まるたび、いつも、わたしはこういうホテルが好きだ、と思う。飾らなくて、実質的で、しっかりと落ち着いている。
バスルームで白い石鹸をくるくると手のひらで泡立てながら、石鹸が好きだ、と思った。いい匂いがして、つるりと手の中を滑っていく。真っ白なタオルで手を拭いながら、たとえそこがどういう場所でも、つややかな石鹸とふんわりしたタオルがあれば、わたしは機嫌よくいられるかもしれない、と思った。贅沢品ではなく、実用的なところがいいのだ。しっかりと役に立って、それでいて少しずつ世界を豊かにするような、そんなささやかなものたち。
2004.07.27
はつ恋
「せつない」という言葉は、もともと、人やものを大切に思う、という意味だったという。なんて綺麗な言葉だろうか、と、思う。
相手のことをぎゅっと大事に思ったり、それゆえに何もかも許せるような、むしろ許せる、という言葉さえ無意味に思えるような気持ち。その人の過ごす一瞬一瞬さえもが誇りに思えるような…、そんな気持ちが「せつない」ということならば、なんて素敵な言葉だろうか、と、思う。
……なんてことを考えながら、よしもとばななの『High and dry(はつ恋)』を読んでいます。
2004.07.25
新幹線
出張で新幹線に乗った。
途中、わたしの生まれた街を通る。田圃に囲まれた小学校を懐かしく眺めながら、青々とした水田にほっとする。わたしは田圃の緑が好きだ。懐かしい、ぎゅっとなにかをつかまれるような風景。
夕方の移動だったので、だんだんと窓の外が紺に染まっていった。夜がくる一瞬前、ガラスを満たすように空気が透明に沈んでいく。どこまでも澄んで、ゆっくりと。
2004.07.24
土曜日
休日出勤の土曜日。
ひと仕事終えて、帰ろうかな、と思っているところでどうにも眠くなって、風の通る会議室でしばらくうたた寝。青色の夢を見た。ふと眼を開けると、すぐ傍らに、社犬のトースト色のレトリバーが寝そべっていた。手を伸ばして首筋をなでると、ふかふかと太陽の匂いがする。
会社を出て、待ち合わせの渋谷へ。早く着いたので買い物いろいろ。ロクシタンでアロマキャンドル。無印良品でパジャマとシーツと風鈴。アフタヌーンティで夏用のスリッパを。久しぶりの友人たちと焼肉に居酒屋。御行儀悪く座りながら気兼ねないおしゃべり。他愛のない会話があっちへいき、こっちへ戻り、随分笑ってお店を出た。
家に帰って風鈴をぶら下げた。夏の音。ちりん、とかすかな音を聞きながら、満ち足りて眠る。
2004.07.22
よる
いくつかの仕事が終わった後、夜の道を歩いた。
昼間の暑さも少し緩んで、空気が穏やかだった。わたしは少しだけ遠回りして大きな公園の中の道を通る。
夜の中を歩くのは、随分久しぶりな気がした。しんとした、きれいな夜だった。
虫の鳴き声が聞こえる。自分の足音と、樹のざわめき。顔を上げると、星がかすかに見えた。
そしてそのほんの少し向こうには、高層ビルが立ち並ぶオフィス街があった。もう少したったら、わたしはそのビルのひとつに戻り、煌々とあかりのついたデスクで打ち合わせをする。
あそこはまるで違う世界みたいだ、と思った。わたしは照明のついたビルの窓を見上げ、その後で、立ち並ぶ木々を見る。
時折、不安になる。どこが自分の居場所なのかと。自分は、どこで生きていくのかと。
自分を励まして忙しく仕事をする一方で、時々、それは本当は心を貧しくしていることではないかと、ふと、迷うことがある。
わたしは少し沈みかけて、でも、それでも、と思った。それでも、多分今日も、ビルを出たら空を見上げる。疲れたなあ、と思いながら、風を感じて自転車で帰る。それでいいじゃないか、と思った。
ふと、遠くにいる友人の言葉を思い出した。どこにいたって、空はつながっているのだと。空というひとつの家の中で、みんな、同じ今日を生きているのだと。
静かな、きれいな夜だった。
2004.07.20
自転車と夕陽
「すみません、チェーンが外れちゃって…」
ガラスの向こうに店長の顔が見えて、わたしは少しほっとしながらドアを押した。
坂道を急いであがってきたせいか、額から汗が落ちる。外に停めた自転車を見ながら、店長がおやおや、という顔で出てきてくれた。
ひるやすみ、出かけた帰りの坂道で、急にチェーンが外れてしまったのだ。直そうとしばらく奮闘してみたが上手くいかず、結局時間がなくてそのままになってしまった自転車。会議をいくつか終わらせて外に出てみると、いつもの自転車やさんの閉店10分前で、わたしは慌てて自転車を押して、坂道を走って登った。
どれどれ、と自転車の傍に座った店長は、あっという間にチェーンを直し、ギアの調子を見てくれた。カチカチとチェーンの緩みを直して確認した後で、もう大丈夫ですよ、とにっこり笑う。
ありがとうございます、これで安心して家に乗って帰れます、というと、間に合ってよかったです。もう少しで店じまいをするところでした、という返事が返ってきて、いつものように、「お金はいらないです」、といってくれる。
わたしはついでに、自転車の脇に屈みこみ、外れたチェーンの戻し方を教えてもらう。ここに手を入れて、こっちに持ってきて、これですぐに戻ります、と説明を聞く。「今度からは自分でちゃんと直します」というと、「簡単ですから。でも、できなかったらいつでも持ってきてください」と言われて、やっぱりとてもほっとする。そもそもわたしは、ここで自転車を買ったわけでもないのに、すっかりお世話になりっぱなしだ。
ささやかな買い物を少しだけして、お店を出た。みると、夕陽がきれいだった。太陽がゆらゆらとその身体を沈め、雲がたなびいている。わたしは夕陽の方に向かって自転車をひとこぎした。夏の風が、首筋を掠めていった。
2004.07.16
レストラン
しばらく前のこと。金曜日の夕方、定時が過ぎてフロアの空気が少しゆるやかになった頃、友人からメールが届いた。
「桃ちゃん!突然だけど、あのレストランの連絡先と名前を教えて。彼の誕生日なの。急に会えることになったの。」
わたしは何軒かのレストランを思い浮かべながら、慌てて返信する。この前一緒に行ったレストランは、多分今日はもう満席だ。彼女から聞いている彼の好みに合いそうで、今から予約が取れそうで、大袈裟じゃなくって、あんまり気取らなくって、ちょっとだけ我侭を聞いてもらえそうなところで……。
「電話番号と住所を書いておきます。でも、金曜日だし、あの広さだから、もしかしたらもう満席かもしれない。前に一緒にいったことのあるあのレストランはどう?番号はこれ。ここだったら、よっぽどのことがない限り大丈夫。もし駄目そうだったら、電話して!」
返事が届く。
「ありがとう!とにかく電話かけてみる!」
彼女の気持ちが伝染して、わたしまでどきどきした。
この前電話をしたとき、彼との仲を少し悩んでいるみたいだった。不安なのだと彼女はいい、駄目かもしれないと時折口にした。
誕生日のレストラン。「レストラン」はもともとラテン語の「回復する」という言葉が語源だという。いい時間を過ごして欲しいな、いろんなことが、上手くいくといいな、と思った。
しばらく迷った末に、わたしは少しのお節介をした。お店に電話をかけて、友人の名前を伝え、予約が入っているのを確認して、大袈裟じゃないワインを一本。「大切な友人なんです。恋人が誕生日だそうで…。すみません、よろしくお願いします」
その日の夜、留守電にメッセージが入っていた。
「本当にありがとう。あのね、今までで一番いいデートになったの……」
友人の声は本当に嬉しそうで、わたしまで何か特別なご褒美をもらったような気分になる。
やっぱり、わたしはレストランという場所が好きだと思う。毎晩、沢山のゲストが席につき、何時間かを過ごし、またそれぞれの場所へ戻っていく。気が遠くなるようなサービスの連続でつくられている空間の中で、大切な人と、それぞれの特別な一皿を。
ほんのつかのまの数時間を過ごす場所だけれど、その数時間の中で、いろんな気持ちが行き交っていく。時に人生を替えることがあるかもしれないつかのまの時間。それだからこそその数時間のために、シルバーは磨かれ、テーブルはセットされ、キッチンでは仕込みがされる。……システムを作るわたしたちも、そのほんの端の方で、ささやかなサポートをする。
時には自分がゲストとして、時にサポートする側として眺める「レストラン」という場所は、やっぱりきらきらしていて、わたしにとっては紛れもなく、特別で大切な場所なのだ。
2004.07.13
扁桃腺
身体はとても丈夫だが、人より弱いところがあるとすると、扁桃腺だと思う。
父に似たのか姉妹全員扁桃腺が人より大きくて、小さな頃から通った内科の先生は、いつもわたしたちの口の中を見るなり、「相変わらず立派な扁桃腺ですねー」と言うのだった。河合先生、というのがその先生の名前で、いつも穏やかな話し方をするやさしい先生だった。
寄宿舎で生活していた高校生の頃、一度、ひどく扁桃腺が腫れたことがあった。高熱がしばらく続き、校医の先生は心配して病院の御医者様に相談し、扁桃腺を切ったらどうかと言ったのだった。「簡単な手術だし、それ一回でもうこんなことがなくなるなら……」という彼女の言うことももっともだと思ったが、わたしは母に電話をかけて、河合先生に相談してくれるように頼んだ。どちらにしろ、手術には親の同意が必要だったのだ。
「ぼくはね、身体についているもので必要じゃないものはひとつもないと思うんですよ」というのが、数日たってから返ってきた、河合先生からの返事だった。だから、よっぽどのことがない限り、とらないほうがいいんじゃないか。抗生物質を飲んで、炎症を抑えて、しばらく我慢してみてご覧なさい、と。必要なら、薬を送ってあげましょう、夏休みに戻ってきたら、一度診察してみましょう……。「お母さんもそう思うわよ」という母の意見も後押しして、だから今も、わたしの扁桃腺は、きちんともとの場所にある。
今も、風邪気味で喉が痛いと思うたび、あの時の河合先生の言葉を思い出す。喉飴を口に放り込みつつ、わたしの大事な扁桃腺、と、腫れている喉をさすってみる。
2004.07.12
金のどんぐり
旅にでている友人から、小さな包みが届いた。
開けてみると、胡桃と小さなフクロウ、それと、金のどんぐりが入っていた。
わたしはすっかり嬉しくなって、一つ一つを手のひらにのせる。
胡桃をそっと振ってみるところころと可愛い音がして、胡桃が落ちていた道の感触や、空の深さや、風の色が届いた、ような。
まだ見ぬ風景に満たされながら、その夜、金色の夢を見た。
2004.07.11
なつやすみ、その2
ふと眼が覚めて、外を見た。
うす青い空に、雲がふわふわと流れていた。まだ目覚めたばかりの山並みが、しんと立っている。枕もとの時計を見ると、4時半だった。
起き上がり、しばらく窓辺に立っていた。鳥の声が聞こえる。わたしは浴衣をはおって、温泉へ向かう。
ここの旅館の大浴場は見晴らしがよく、露天風呂からは湯河原の町が見おろせる。浴槽の縁に顎を乗せて、まだ半分眠っている街を眺めていた。ふと上を見ると、昨日は気づかなかった柿の木に、青い実が沢山なっているのが見えた。秋になったら色づいてきれいだろうけれど……、お風呂に入っている人の頭の上に落ちてきたりしないかしら、とちらりと思う。
散歩をしながら部屋に戻ると、渡り廊下を朝の風が吹く。御簾がはらりと揺れ、どこからか白檀の香り。隅に佇む小さな石仏は、とても穏やかな顔をしていた。
部屋の窓から外を見ると、空はその青色を濃くし、雲は輪郭をはっきり際立たせて、きっぱりと朝がきていた。
*
旅館から山を降り、近くの公園へ行った。渓流があり、滝があった。水しぶきを浴びながら、ゆっくり歩く。流れに手を浸すと、ひんやりと気持ちがよかった。首筋に手をあてながら、しばらく涼む。
わたしは空を見上げ、快晴の空を眺め、午後から雨だという天気予報のことを考え、それでもやっぱり、もう一度海に行くことに決め、歩き始めた。
昨日お世話になった海の家のお母さんに挨拶をして、「おかえり」と言われ、着替えて砂浜に横になった。日差しが肌を焼く。しばらく我慢した後で海に入ると、焼けた身体からジュッと音がした。水に潜り、泳ぎ、またしばらく浮かんで、随分と長い間海の中にいたように思う。
陽が翳ったな、と思ったとたんに、雨粒がぽつぽつ落ちてきた。わたしは海に浮かんだまま沖を眺め、雨をしばらく見ていた。空から絶え間なく落ちてくる雨粒が水面を叩き、海に吸い込まれていく。終わりがない、と思った。いつまでも雨は海に落ちていく。わたしは眼を離せずに、そのままそこでじっとしていた。
だがしばらくすると雨は止み、気まぐれな太陽が顔を出した。わたしはほっと一息ついて、岸へ向かって泳ぎ始める。
波の音を聞きながら、砂浜でしばらくうとうとした。すっかり寝足りた子どものように起き上がり、ぼんやりと海を眺める。背中が熱い。シャワーを浴びに戻るわたしに、「あら、背中、すっかり焼けたわねえ」と、チョコレート色に日焼けしたお母さんが笑う。
シャワーを浴び、着替え、海の家の畳の上でぼんやりしていると、また雨が降り出した。今度は、かなり激しく降っている。遠くから、雷鳴が聞こえる。膝を抱えて、ずっと海を見ていた。遊んでいた子どもたちも、すっかり海から上がって、あっという間に砂浜は静かになった。傘がないなあ。でも、濡れて困る格好じゃないし、と、ぼんやり考えていると、眼の端がきらりと光って、光の筋がまっすぐに海に落ちていくのが見えた。追いかけるように、落雷の音。ゾクッとした。それでも、恐ろしいくらいにきれいだった。
*
帰り道は、いつも少しだけ寂しい。できれはずっと、あそこにいたかったなあ、とかすかに思う。
それでも、わたしはすっかり満ち足りた気持ちで、家への道を歩いた。藍色の空が澄んでいて、きれいな夜だった。
まだ、耳の中に、海の音が残っていた。旅館の白檀の香りや、樹々の間を抜ける風も。
あそこにいつも海はあって、毎日あたらしい朝がきて夜が来て、あの旅館はまた違う旅人を迎え、樹々は今夜もざわめいている。わたしは今東京にいて、それを確かに知っている。……それでいいじゃないか、と思った。
その場にいられない自分を寂しく思う必要はない。さっきまで、あそこに確かにわたしはいて、今は、ここで、歩いている。そしていつでも、遠くにいる何かを思うことができる。それだけで、十分じゃないか。
夜風が肌にさらりと触れた。星が出ていた。家に帰って鏡を見ると、すっかり赤くなった背中に、水着の跡が残っていた。
2004.07.10
なつやすみ
品川駅で、文庫本を二冊買った。
水着と、少しの着替えと、おにぎりが入ったカバンにそれをしまって、電車に乗る時にはわたしはすっかり夏休みの気分になっていた。
湯河原へ。少し早めの夏休みと勝手に決めて、旅行にいくことにしたのが数日前のこと。小さな旅館を予約して、わたしはいそいそと電車に乗った。
品川の高層ビル街が遠くなり、電車が走るにつれて、自然に肩の力が抜けていくのが分かる。車窓の景色が、どんどん変わっていく。川を渡り、青々とした水田が見えるようになるとたまらなく嬉しくなり、やがて海が見えるころには落ち着いて座っていられないほどだった。
電車が駅につくとすぐに、海へ向かった。砂浜に降りると、波の音。快晴とは言い難い空だったけれど、そのせいで海も空もやさしい浅葱色をしていた。
しばらく砂浜で本を読もう、という気でいたのに、あっという間にいてもたってもいられなくなって、水着になって海へ入った。少し沖へ向かって泳ぎ、しばらく仰向けに浮かんでいた。雲の向こうから柔らかな日ざしがふりそそぎ、どこか懐かしい海の音が、近く、遠く聞こえる。わたしは眼を閉じて、ただゆらゆらと波に浮かぶ。ひんやりと水が肌に触れ、身体を少しずつ流していく。たまに眼をあけると、水面の青がゆらりゆらりと光っていた。
砂浜に戻り、うつ伏せになって本をめくった。一ページ、二ページ。だんだん身体が重くなり、波の音を聞きながら、いつの間にか、本を閉じる。
*
旅館は、丘の上にあった。
周りに木々が鬱蒼と茂っているから、「何か出てきそうですね」と冗談を言ったら、「たぬきも猿も猪も、ハクビシンもでるねえ」という返事がかえってきて思わず笑う。
部屋の数でいったら10室にも満たない小さな旅館だが、入ったとたんに、あ、いいな、と思った。古いけれど、しっかり手入れされた建物。白檀の香が焚かれていて、畳はつやつやとしていた。
荷物を置くなりすぐに浴衣に着替え、温泉へ行く。ゆうらりと身体を湯にあそばせながら、空を眺める。雲が、凄い勢いで流れていた。後で雨が降るなあ、と思いながらざぶりと出て、鏡にうつる裸の自分と向かい合う。
部屋に戻ると、ちょうど暮れていくところだった。大きな窓からは、梅の木や、つやつやした椿の葉っぱや名前の知らない木がたくさん見えて、緑が眼に鮮やかだった。ひとつとして同じ色はなく、それが集まって深い陰影をつくる。
しばらくすると、雨が降り出した。ぱたぱたと雨粒が葉を叩く姿を、ずっと飽きずに眺めていた。空は煙り、雨は光るように空から落ちてきて、樹々の上で弾け土に沁みていく。わたしはそれを眺め、眺め、雨音を聞く。
やがて雨音は遠くなり、自分の心臓の音だけが聞こえ、それもその後ひっそりと、静けさがやってきた。
*
寝る前にもう一度温泉に行くと、露天風呂から星が見えた。雨上がり。夜の中に、世界がひっそりと色づいていた。
わたしは自分の身体を眺め、近くのことを少し考えた。そしてそれから、遠くのもののことを考えた。今この瞬間に、どこかで降っているかもしれない雨や、太陽や、海で眠る鯨や、金のどんぐりなんかのことを。
ゆらり、と、星が湯舟に浮かんでいた。風が、どう、と吹いた。
夜空
満天の星、という言葉の意味をはじめて知ったのは、イギリスの田舎でホームステイをしていた頃だ。
それは300年前から建っているという古い農家で、周りには何もなかった。一番近いポストまで車で15分。お隣のうちまでは、10分くらいだっただろうか。
クリスマスの前くらいの時期だったと思う。母屋で皆でビデオを見て、わたしだけ先に自分の部屋へ帰ろうと外に出たところだった。何気なく空を見上げると、降るような星空。見渡す限り、高い建物も人工の明かりも見えない夜空に、星がちりばめられていた。
空にはこんなにたくさんの星があったんだ、とわたしは本気で思い、ああ、見せてあげたい、と強く強く思った。家族や、友人や、大切な人や…皆に、この星空を見て欲しいと。寒くて、耳が痛くなるまでその場に立っていたのを覚えている。
そのとき以来、あの星空はいつもわたしの中にある。
東京の夜空には、星はあまりにも少ない。地上のあかりに照らされて、空はただ、黒く沈んでいく。
それでも、知ってる。あれだけの星が、空にはちりばめられているのだと。
空を見上げる。ようやく、いくつかの星が見える。それでも見えない向こうには、いつも満天の星がある。
そしてどこかで繋がっているあなたの空にも、きれいな星があってほしい、と思う。まるで希うように。
2004.07.09
うたうように
ここ数日の暑さのせいか、比較的仕事がゆるやかなせいか、最近、毎朝きちんと眼が覚める。
布団の中で眼を開けて、いいお天気だなあ、と思う。カーテンを開けて、ベランダの鉢植えに水をやる。おはよう、と、心の中で思う。
洗濯物を干して、シャワーを浴びる。濡れた髪が乾く頃にはご飯が炊けるいい匂いがしていて、今日は、母が持ってきてくれたシラスと卵。麦茶を飲みながら朝ご飯。
熱帯魚の水槽にほんの少し餌を入れ、魚の姿を見ながら家を出る。空が青い。日差しに、汗がつたう。
いちにちいちにちを大切にしたい、と今は思う。
忙しく仕事をしていると、未決裁の書類のことや、納品前のシステムのことや、お客様との交渉や、休みがちな同僚のことが絶えず頭の中を占領していて、わたしは時々、自分を無くす。忙しいから、といろんなことに言い訳をして、ついついリズムを乱していく。
とりもどそう、と思う。朝の空気の中をゆっくりと歩くこと。きちんと味のする食事をすること。時々は、自分の立ち方を確かめてみること。すると、肩の力が抜け、ゆったりと、息をするのが楽になる。
とまっていた旋律が流れ始める。時々は波立ち、不安定に揺れ、かすかにぶれることもある。それでも、きちんと耳を澄ましてさえいれば、リズムはいつしか鼓動になり、うたうように、わたしのなかを流れていく。
2004.07.08
自分が信じると決めたことを最後まで信じきる
友人からのメールで、今年もツールの夏がやってきたことを知った。
ツール・ド・フランス。毎日の平均走行距離が160キロ。全行程で3349キロ、23日間にわたり、9選手で構成される「チーム」が優勝を競い合う、過酷なレースだ。全行程を走りぬいた選手だけが、パリのシャンゼリゼ通りでグラン・フィナーレを迎えられる。
ツールで、個人総合成績が一位の選手が着る黄色のジャージが、「マイヨ・ジョーヌ」だ。全選手が、その黄色のリーダージャージを追いかけ、走る。
そのツールで、5年連続でマイヨ・ジョーヌを着てシャンゼリゼに戻ってきた選手が居る。USポスタルの、ランス・アームストロングだ。今年、前人未到の6連覇をかけ、ランスはツールを走っている。
ランスのことは、以前にも書いたと思う。選手として絶頂の時期であった25歳で睾丸癌をわずらい、一時は死を前にしたベッドで横たわった彼。絶望からの奇跡のような回復。そして、ツールでの5連覇。
彼は間違いなくヒーローなのだ。こんなにも劇的で鮮やかな人生。しかし、わたしが走る彼を見るたび思わず涙ぐみそうにさえなるのは、彼がヒーローだからでも、優れた選手だからでもない。
『ただ、マイヨ・ジョーヌのためでなく』は彼自身が闘病生活や自転車選手としての生活を語った著作だが、わたしはこれを「闘病記」としては読まない。ランス・アームストロングという一人の男が、時に弱く、時に力強く自分の人生を生きている記録だ、と思う。たまに投げやりになることもありながら、失意の底に居るときもありながら、それでも前を向いて生きる一人の人間の記録だと。そして、わたしは、その人間に惹かれるのだ。
ランスが、今年もツールを走っている。
***
(2001/07/23 (月) マイヨ・ジョーヌ )
ランス・アームストロングが、今年もマイヨ・ジョーヌを着て走っている。
彼はわたしに、希望のひとつのかたちを見せてくれる。
ツール・ド・フランス、第14ステージ。最後の、そして最大の山岳ステージだ。
この、世界最大の自転車レースのトップを、ランスが走っている。
個人総合時間成績のトップ選手のみが着ることを許される鮮やかな黄色のリーダージャージを着て、力強く、軽やかにピレネーを駆ける彼が、一時は生死の境をさまよっていたなんて、いったい誰が思うだろうか。
富と名声を手にした若き自転車選手が25歳で睾丸癌を患い、ガンと闘う。手術。化学療法。失意と絶望の日々。そして、鮮やかな復活。
その劇的な人生は、彼自身が『ただ、マイヨ・ジョーヌのためではなく』で語っている。
「僕たちは死に対し、正面から向き合うべきではないだろうか。勇気だけを武器にして」
父の癌が発見されたとき、ランスの人生は、失意のわたしたちに希望を見せてくれた。
手術。化学療法。癌は不治の病だといわれるけれど、こんな風に乗り越えた人もいるじゃないか、というかすかな希望。
もちろん、ランスとわたしの父は違う。年齢も、体力も、癌の種類も。ただ、ランスは、辛かったわたしたちを支えてくれた。闘病からも、決してリタイアしないその姿勢で。
暑い夏。手術を終え、退院した父が、ツール・ド・フランスを見ている。
テレビの向こうでは、海を越えた同士が、マイヨ・ジョーヌを着て走っている。
2004/07
2004.07.07
七夕の夜
暮れていく空に一番星を見ながら帰った。藍色がかった空がきれいだった。昼間の絡みつくような暑さも少しおさまり、ほっと一息つけるような、そんな時間だった。
家に帰ってすぐ窓を開けた。ベランダの鉢植えに少しだけ水をやってから自分もシャワーを浴びた。7月2日の日記でも書いた絵本を広げ、CDをかける。最初のフレーズを聴いたとたんに、しみわたるような懐かしさがやってきた。ああ、これだ、と思った。ゆっくりと何かが立ちのぼってくるような、あたたかな声。絵本を見ながら、じっと聴く。
「をかしなはがきが、ある土曜日の夕方、一郎のうちにきました……」
聴き終わってからも、山猫のにやあとした顔や、「ひゅう、ぱちっ」という鞭の音や、どこかまっすぐな馬車別当や金のどんぐりや栗の木が、しばらくわたしの中に居るようだった。文章の旋律が身体の中に残り、いつまでもゆるゆると流れていた。
「栗の木栗の木、山猫がここを通らなかったかい」などと言いながら麦茶を煮立てていると、母からの電話がかかってきた。駅に着いたという。今行くからそこで待っててね、と言って、慌ててお財布と携帯だけ持って家を出る。駅への角を曲がると、小さく母の姿が見えた。大きく手を降るとにっこり笑って、こちらへ歩いてくる。水色のブラウスを着て、白いリュックを背負って。
「ごはんは?」ときくと、「一緒に食べましょう。このあたりは何が美味しいの?」というから、いつものネパール料理さんに行くことにした。ほうれん草のカレーと、海老のカレー。ナンと、サフランライス。
いろんな話をしながら、お腹一杯食べた。母は、お店のお姉さんと仲良くなり、興味津々でナンを焼く釜を覗き込み、ナンの原料の産地や焼き方まで聞いていた。
ふたりでわたしのアパートまで歩き、一息つく。母が持ってきてくれた梅ジュースを飲みながら、買ったばかりの『どんぐりと山猫』のCDを聴く。あら、懐かしい、と母がテープの岩手弁を真似して言った。
駅までまた一緒にのんびり歩いて、改札をくぐる母の背中を見ていた。人ごみにまぎれ、見えなくなる寸前で、母はふりむいて手を振った。小さな背中。思わず涙が出そうになって、慌てて上を向いた。母はいつまでも母で、娘はいつまでも娘だが、あと、どのくらいだろうか。……あとどのくらい、甘えられるだろうか。
甘えてばかりで、ちっともなにもできていないなあ、と思い、娘は少し落ち込みかける。それでも、母の顔を思い出すと、かすかにほっとするのだ。「きちんときれいに暮らしていてよかったわ」と言った母の顔。『どんぐりと山猫』のCDを聴いたとき、「懐かしい」といったあの口調。
家の前まで歩いてくると、隣の家のベランダに七夕の笹が飾ってあった。可愛らしい字の願い事が短冊に書いてある。空を見上げると、うっすらと雲がかかり、星はあまり見えなかった。今見えなくても、それでも、空に必ず星はあるのだ、と、確かな気持ちで思いながら、アパートの階段を上った。
世界
いつもより少し早く目が覚めたので、朝陽をたっぷり浴びながら、いつもの道を自転車でゆっくり走った。
朝のこの時間が好きだ、と思ったところで少し苦笑した。昨日、夕方の道を歩いていて、やはり同じように、この時間がとても好きだと思ったのだった。
しばらく行くと、目の前を、大アゲハがひらひらと飛んでいった。前を走っていた自転車に乗った子どもが、「アゲハだ!」と言った。
いつもの公園で朝ご飯を食べていると、今日はすぐ横の広場でお年寄りがゲートボールをしていた。「朝ごはん?いいわねえ、ちゃんと食べなきゃね」と、声をかけてくれる。
世界ってきれいだな、と思った。きらきらしている。心を曇らせないで、前を見て歩こう。
*
今日は七夕。今のところ東京は晴天。夜も、晴れますように。
2004.07.05
サカナ
朝、起きるとすぐにネオンテトラの水槽の照明を入れる。
透明だった身体が光を浴びて、だんだんとひかり、色づいていく。自らのなかに光をたたえ、すうっと泳ぐ姿を見るたび、わたしは、なにか、特別な美しいものを見ているような気分になる。光が、その小さなからだのなかから生まれてくるのだ。きらきらと。それはほとんど神々しいほどで、見ていると、すっと息が止まりそうになる。
夜、帰ってくると水槽を覗き込む。ただいま、と言いながら照明を落とす。小さな海は夜になり、やがて魚はそっと静かにうずくまる。ひかりつづけたからだを休め、静かに、そっと。
昨日の夜。いつものように家につき、ドアを開けてすぐ水槽を見た。いつも通り、に見えたのに、次にわたしが見つけたのは、一匹の白く倒れる魚だった。
どうしよう、と思った。こういうとき、わたしは、ただ、どうしていいか分からなくなる。しばらくそのままじっとしていた。気づいたら、口からこぼれているのは、ごめんね、という言葉の繰り返しだった。
あの美しい生き物は、白くからだを濁らせ、横たわっていた。まだ何かを見ているような眼で、ひんやりと。一緒に入れていたヌマエビがその身体に足をかけるのを見て、わたしは慌ててその白い魚を掬い取った。持ち上げると、あまりにも軽かった。あんなに確かに泳いでいたのに。光の中で、きらきらと泳いでいたのは、同じ身体だったのに。
ベランダの、海棠の鉢にそっと埋めた。祝福されて水に生まれた魚が、土のなかにひっそりと沈んでいく。
魚を飼うなんて、所詮人間の傲慢でしかないんじゃないか。故郷と離れ、サーモスタットで管理された水の中で、死なせる権利が誰にあるのか。
……そんなことを考えたのは、でも、随分後のことで、しばらくわたしは無為に涙だけ流した。自分のためだけの涙だ、と思いながら、わたしは泣くことを自分に許す。
泣きながら眠った夢には、光る魚が泳いでいた。
2004.07.04
いちにち
38、というデジタル表示に、うんざりして体温計をほっぽり出した。測らなきゃよかった。夏風邪は犬もひかないが馬鹿がひく、なんてことわざを思い出して、少しだけ面白い気持ちになる。自転車にはとても乗れないなあ、と思ってタクシーで帰ってきたのがもう夜中で、時計の短針は、2と3の間あたりを指していた。
とりあえず、ペットボトルを傍らにおいてシーツの上にバスタオルを敷いた。布団をかぶって横になりながら、サウナみたいだ、と、思った。
夜中何回かパジャマを着替え、最後に鴉の鳴き声で起きたときには随分気分がよくなっていた。節々の痛みも治っている。洗濯機にタオルやパジャマを投げ入れ、シャワーを浴びた。
それにしても、と、会社に電話を入れ、出勤を夕方からにしてもらう。空気を入れ替えておいてから、薬を買いに薬局へ。
駅に向かって歩いていると、眼の前に人ごみが見えた。綿菓子やヨーヨーを持った子どもたちが走りまわっている。
貼ってあるポスターを見ると、毎年恒例のお祭りだという。長身のピエロが歩き、屋台が出て、街が賑やかにざわめいていた。
人の波に押されながらゆっくりと歩いていると、誰かに肩を叩かれた。ふりむくと、小さな男の子が、お母さんに抱かれながら、こちらを向いて笑っている。
「レーズン」
と言われたので、
「レーズン?」
と聞き返すと、気づいた若いお母さんが笑いながら、あらあらすみません、この子、レーズンが好きなんです、と。思わず笑う。
「安静にして、あったかくして寝るのが一番です。水分は沢山とって、あ、ついでだからこのビタミン剤も飲んでいきなさい」
やっとたどりついた薬局のおじさんは何故かとても優しくて、おまけのビタミン剤をわたしの手のひらに載せてくれた。ドリンク状の風邪薬で飲み込むと、コップの水を差し出してくれる。
一緒に買った洗剤と重曹を横目で見ながら、「掃除なんてしないで寝た方がいいよ」と付け加える。ありがとう、と手を振りながら、薬局を出る。
家に着いてシャワーを浴びてから、しばらくベッドの上でうとうとしていた。夏の風がやわらかく通り過ぎていき、近くの中学校の校庭から何か賑やかな声が聞こえた。
夏って、どうしてこんなにいつも懐かしくて鮮やかなんだろう、と思いながら、やってきた穏やかな眠りにそのまま身体をゆだねてみる。
自分のために。
誰のためでもなく自分のために、決めることは決めなきゃいけない時がある。
何かを「選ぶこと」は、他の何かを「諦めること」だ、といつも思ってきた。何かを選び取りながらも、選ばなかった何かに心を残して生きてきたような気がする。
だから、潔く何かを選べる人を、わたしはいつも、愛しく思う。
そろそろ、わたしも、決めなきゃいけない。
2004.07.03
no title
携帯電話の震える音で眼が覚めた。
土曜日の朝。十中八九トラブルだろうなあ、と思いつつ電話に出る。
昨日、家に帰ってきたのは明け方のことで、流石に身体が重かった。
電話は、気が重くなるには十分な内容だったけれど、いつものようにパジャマのままで外に出て、陽を浴びていると、少し気持ちが上向くのがわかる。
しっかり立とう、と思う。
*
時折、他意のない言葉がひどくわたしを傷つける。
イタタタタ、と思っていたら、世界がみるみるにじんでいく。一人で泣けるうちだけ、まだ幸せだ。
*
朝のトラブルを大方解決し、お客様の事務所を出た。
空がまだまだ青かったので、しばらく風に吹かれていた。どこからか、甘酸っぱい香りがながれてきた。夏だ、と思った。
読書メモ
川島誠 『ロッカーズ』 角川文庫 2004
"rock"、という英単語の意味を教えてもらったのは姉からだった。どこでだったかは忘れてしまったが、そのときそこにはイギリスのバンドが歌うある曲が流れていた。印象的なリフレイン。あるフレーズが耳にとまり、「ねえ、rockって、動詞だとどういう意味なの」と聞いたのだ。「揺さぶる、って意味よ」、という姉の返事に、頷いたのを覚えている。
そう、だからロックなのだ、と思う。
コレット 『青い麦』 新潮文庫 1955
夏になると必ず読みたくなる一冊。鮮やかで、切なく美しい。あざみを見ると、わたしはこの本を思い出す。
いくつかの訳がでているが、この新潮文庫の堀口訳が秀逸。
山崎マキコ 『ためらいもイエス』 文藝春秋 2004
28歳で年収600万を超え、仕事が好きな主人公。多分外から見たら、いまさら使うのも恥ずかしい「キャリアウーマン」ということになってしまうのだろうけれど、内面は結構葛藤している。
ストーリーは荒唐無稽で、「そりゃあないでしょ…」と思うのだが、それもご愛嬌で面白い。
2004.07.02
絵本
ずっと探していた絵本がある。
わたしが生まれたとき、「必ず本の好きな子どもに育てよう」と思ったのだと母は言う。
随分遅くに生まれた子どもだったから、母にも少し余裕があったのかもしれない。母は毎晩、歯磨きの仕方を根気よく教えたあと、布団に入ってからは絵本を読んで聞かせてくれた。それは、記憶の限り一日も欠けることなく、わたしが自分で本を読めるようになるまで続いた気がする。
枕もとのスタンドだけつけた小さな和室で、並べて敷いた布団にもぐって、わたしは母の声を聞く。好きだったのは、『ちいさいモモちゃん』や『花咲き山』。日本のお話が、多かったように思う。
いつもいつの間にか寝てしまうから、最後までお話が聞けることはあまりない。それでも、あくびをしながら、母に続きをせがんだのをよく覚えている。
そんなふうに育った子どもが本を嫌いになるわけがなく、少し大きくなってからも、母が読んでくれた沢山の絵本を、今度は自分で何度も読んだ。家には姉たちの読んできた本が沢山あったし、時々は、母が買ってきてくれることもあった。
その中で、一番気に入っていた絵本があった。母がどこかに注文して取り寄せてくれたもので、黄色の袋に絵本とテープが入っている。絵本といってもシンプルな本だった。めくると、白いページに鮮やかに刷かれた金色の線。テープをかけると、温かみのある男の人が朗読するものがたりが流れてきた。「このお話が書かれた地方の方言だそうよ」と、母は言った。
わたしはそれこそ毎日、その絵本をめくり、テープを聞いたのだ。夜ばかりではなく昼間も、畳の部屋に寝そべってはその本を開いた。絵はやわらかく眼に映り、文章は、鼓動のようにわたしのなかに存在していた。
その本を手放した日のことも覚えている。中学1年の時のことだ。小さな子どもが居る知り合いの家に遊びに行くときに、母が、よかったらあの絵本を持っていってあげなさい、と言ったのだ。わたしは少し躊躇し、それでも結局はその本を持ってその家に行った。わたしこの絵本大好きなんです、と少し誇らしげに手渡しながら。
それでも、その後もその絵本はわたしの心にいつもあり、最近ふと、また読みたいと思うようになった。あのそっけないほどシンプルな、あたたかい絵本。穏やかな朗読。
随分と探し回って、とうとうその本を見つけたのは昨日のこと。インターネットでやっとその情報にたどり着き、そこに載っていた絵本の表紙を見たとたん、あの頃のことをはっきりと思い出した。その絵本は、細々とだけれどしっかり売れつづけているそうで、今はテープがCDになり、まだ購入もできるという。
早速購入の手続きをして、子どものように、その絵本の到着を待っている。
心の中で何年も、ずっと響いていた文章を、自分の眼でまた確かめる。
2004.07.01
よる
クーラーの冷気と仕事に疲れて、ふと、外に出た。
コンビニでかき氷を買い、月を眺めながらさくさく食べた。
風が吹く。
わたしはこの街が好きだ、と思う。時々は息苦しく、星は遠く、ほんものの空はなかなか見えない。
それでもまだ、わたしはこの街が愛しい。
見上げると、十四夜の月が穏やかに光っていた。
あなたの空にも、この月は見えますか。