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2005.08.30
ことだま
籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この岳に 菜摘ます児 家告らせ 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそ座せ われこそば 告らめ 家をも名をも(万葉集 巻第一)
たらちねの 母が呼ぶ名を 申さめど 道行く人を 誰れと知りてか (同 巻第十二)
古代、女性が誰かに名を教えることは、結婚の承諾を意味したのだと言うけれど、たまに気持ちよく名前を呼んでくれる人がいると、それだけで仲良くなれそうな気がする。ごく個人的な言い分だけれど、わたしは代名詞で呼ばれるのがあまり好きではない。
ほんとうに気持ちよく名前を呼んでくれる人がひとりいる。始めて会ったその日、彼女がわたしの名前を呼んだとき、思わずはっとしたのを覚えている。親しげだけれどでもどこかきっぱりとしていて、まっすぐな呼び方だった。彼女に呼ばれると、自分の名前がなにかとてもいいもののような気がして、わたしはそれだけで嬉しくなる。たぶん、気持ちなんだろうな、と思う。
その彼女、はこの人。 (http://www.bg2000.net)
一番最初に会った日のこと。 (http://tao-momo.air-nifty.com/blog/2004/10/post_23.html)
2005.08.28
秋来ぬと
久しぶりに東京に戻ってきたら、岩のような夏雲がはらはらとほどけ、秋の雲になりかけていた。
秋が来た、と嬉しくなり、長袖のシャツを二枚買った。一枚は、肌触りがいいガーゼのシンプルなシャツで、一枚は、タートルネックの綿のシャツ。今週中に、革のブーツを出して磨いて、しまってあるスカーフも出しておこう。
これからの時期の生地が好きだ。例えば、肌にやわらかく触れるカシミアだったり、あたたかいツイードや、コーデュロイ。ベロアのジャケットやスゥエードのスカートも、手入れに多少手間はかかるが、その分身体の輪郭がきちんとする。
裏の工場で働いていた父の仕事着はいつもブルーの作業服だったが、秋から冬にかけて、出かけるときは、いつもツイードのジャケットを着ていた。ベージュの「とっくり」のセーターを着て、畝の細い「コール天」のズボンを履いて。玄関先に座って、出がけに靴を磨いていたのをよく覚えている。お洒落とはいい難かった父だが、身につけるものの好き嫌いははっきりしていた。何より、ちくちくする生地は嫌いなのだし、寒がりだから、すうすうする服も嫌なのだ。母はといえば、秋冬は家の中ではウールの縞の着物ばかり着ている。畳の上で、正座をして書きものをする母には、着物が一番いいのだという。なのにやっぱり寒いからと、着物の下には父とおそろいの肌触りのいいセーターを着て、自分で編んだ靴下なんて履いていたりする。出かけるときにはさすがに洋服に着替え、どこからか買ってきた生地で仕立てたコートを着る。母のコートは、同じ生地でできた長いのと短いのとがあるきりなのだが、こればかりは、うっとりするくらい手触りがいい。
秋冬の服は、やさしいと思う。寒くなる季節に、守ってくれるものだからか。
両親と暮らさなくなってもう人生の半分以上が経つが、おそらく父も母も、未だにほとんど変わらない服を着ているのだろうと思う。娘はと言えば、あっちこっちに目移りし、同じ服をワンシーズン着続ければいい方だという有様である。季節の終わり、衣替えをするときに、買ったきり数回しか袖を通さなかった服を見るたび、さすがに少し反省する。なのに、こうして季節の変わり目になると、気もそぞろ、やっぱり新しい季節の服を買いたくなってしまうのだから困ったものだ。(……いや、あんまり困ってもいないか。)
夏の間にすっかり日焼けしてしまった腕や顔には少し不似合いだけれど、それでも、九月になったら早速、ブーツを履いて出かけよう、と思う。
2005.08.26
風が吹く
風が吹くとわくわくする。
出張先の海辺の町、駅前の広場で階段に腰掛けて、後から来るはずの同僚が乗った電車を待っていた。気が進まない打ち合わせが待ち構えていたが、風が吹くたびに憂鬱が少し吹き飛んでいく。
何度来てもこの町はいい、と思う。駅前に背の高いビルはほとんどなく、消費者金融の看板も、チェーンのレストランも居酒屋もない。駅の反対側に降りれば海岸があり、そちらから潮風が吹いてくる。駅前の広場はコロッセオのようで、円形の広場をぐるりと囲むように階段やベンチがあり、真ん中には噴水がある。少し歩くと、小さなプラネタリウムがある科学館があって、その建物の広場に面した場所には美味しいパスタが食べられるレストランがある。
住むなら、海の近い場所がいい、と思う。潮風で洗濯物はべたつくし、自転車は錆びるし、時に真水が恋しくなる。それでも、思い立てばすぐに海が見られる、ということは、どれほど心の均整をとってくれることか。
また風が吹く。もうすぐ二百十日か、と思う。ふと阿蘇にでも登ってみたくなる。
2005.08.25
母のお盆
小学校にはおままごとのような「クラブ活動」があって、わたしは、「和菓子が食べられるから」という理由だけで茶道クラブだった。(確か、クラブ活動の他に高学年になると「部活」があり、それは音楽部だったような気がする。)茶道クラブに入ったよ、というと、母は、白足袋代わりの白い靴下と、薄桃色の袱紗、懐紙と、山道盆を用意してくれた。どれも、母の嫁入り道具の中に入っていたもので、そのほかにも、もうその頃既にあちこちが欠けてしまっていた年代ものの桐の箱の中には、茶碗や茶せん、棗やなんかの茶道具が入っていたのだった。
家の和室で、母に袱紗の使い方だけ少しだけ教えてもらってから学校へ行った。クラブの時間には、おぼつかない手で一通りのことを習ったのだったか。片づけをして、家に帰る段になって、わたしの目の前には、同じように見える二つのお盆があった。どこで混ざってしまったのだろう、ひとつは母のお盆、ひとつは学校のお盆のはずだった。すっと背中が冷たくなったが、同じような色で、同じような大きさだったから、わたしは迷いながらも片方をふきんに包んで手提げに入れて持って帰った。
家に帰って、手提げから出てきたお盆を見て、母は目を丸くした。「違うわよ、このお盆。よく見て御覧なさい」
台所で、しばらく懇々と諭された。「これはプラスチックよ。塗りも違うし、ほらよく見て御覧なさい、持って行ったお盆は山道盆といってね、お盆の縁がなだらかに波打っている。これは平でしょう?……」
そんな違いなんて分からない、とふてくされたわたしは思いつつ、母はそんなわたしにしきりに溜息をついていた。
次の日、家庭科室にお盆を交換しにいった。先生が鍵を開けてくれたのだったか、誰もいない放課後の家庭科室で、二つのお盆並べてしばらく眺めた。……たしかに、お母さんのお盆の方が、きれいかもしれない……。しかも、手に持った感じもずいぶん違うし……。
家に帰ると、母は、戻ってきたお盆を見て、嬉しそうにした。白いふきんで何度も拭いて、戸棚に大事そうにしまっていた。
もう、20年も前のそんなことを、ふと思い出した。それ以来、いろんなものを、ほんの少しだけは注意深く見るようになったけれど、結局のところまだわたしには、見る目がないのだと思っている。それでも、結婚するときには、あの山道盆を母にねだってみようかと、時折思ったりする。
2005.08.24
薄絹を広
薄絹を広げたような雲の向こうからおだやかな陽が照っている。
初めて来る町ではなかったが、ゆっくりと歩いたのは初めてだった。アザミ咲く川べりの道を西のほうへ歩くと、ふと景色がひらけ湖に出た。蝉の鳴き声が、虫の音が聞こえる。少し高い声は白鳥だろうか。
岸辺に座って、しばらくぼんやりしていた。スーツでなければ、寝転んでいるところだ。風にゆられるさざなみを、美しいと思う。
水辺はいつも懐かしい。
2005.08.23
いくつか
いくつかの打合せを終えて建物の外に出ると、暗くなった空からさらさらと雨が降っていた。遠くに雷鳴が聞こえる。過ぎ行く夏を縫い止めるように雨が降る。涼やかな風がどこからか吹く。
変にくたびれて、身体に力がはいらなかった。そういえば昼御飯を食べている暇がなかった、とわたしは思い出し、途中の駅で寄り道をする。
細い路地の階段をのぼり、木の引き戸をあけた。こんにちは、というと、カウンターの中からにっこりと、「いらっしゃい」と。
「今日は早いね」
「お昼御飯を食べそびれたんです。ちょっと疲れて、しかも腹ペコで」
小ぢんまりした店内にはまだ誰もいない。くたりとカウンターに座り、それでも目の前の大皿に並べられているおばんざいを見ていると、お腹がなった。
「万願寺唐辛子を焼いてください。それと、茄子のおひたしと、きんぴら。あと、かぼちゃを……」
「ほんの少しだけ?」
「はい」
「松茸御飯があるよ。お腹空いてるでしょう」
「はい。お味噌汁は…」
「今日はアサリ。美味しいですよ」
「…そういえば、飲み物は?」
「会社に戻らなくちゃいけないので、お茶をください」
おやじさんは、話に聞くと有名な料亭出身だという。ずっと同じ場所から仕入れているという野菜も魚も飛び切り美味しい。なのに気取らずいつもあったかいから、ここにくると何故かすっかりくつろげる。一人で本当に気兼ねなくカウンターに座れるお店は、ここと、あと、一店だけ。
ほんとうに、とわたしは思う。ただ空腹を満たすだけではないのだ、と。目のまえに盛りつけられたお料理に箸をつけながら、少しずつ、欠けていた何かを取り戻す。確かめるように、ああ、ここに来れば必ず美味しいものが食べられるんだ、と思う。
レストランという場所が本当に好きだ。ここで時に自分をなだめ、時に元気付けられて、また日常に戻っていく。誰かにつくってもらったものを、手を合わせていただいて、少し満たされてわたしは帰る。
「ごちそうさまでした」
と言うと、おやじさんがにっこり笑う。
「いつもありがとう。またいらっしゃい」
手を振ってお店を出ると、雨はまだ、光のように降っていた。
2005.08.21
徒然
この季節の何が嬉しいかというと、空気がだんだんと澄んできて夜の空が美しいのと、ベッドに横になる頃、ちょうど窓から月が見えることだ。普段から窓は開けたまま寝てしまうのだけれど、この時期は、カーテンまで開けて寝ている。秋と冬の境目辺りで引っ越す予定にしているのだけれど、この窓から見える景色が好きだった。夕焼けも、月も、朝の道も。
*
小さい頃から、大人になったらリモワかグローブ・トロッターのスーツケースを持とう、と思っていた。リモワの銀色は美しいし、グローブ・トロッターはスマートで奇麗だ。しかもどちらも、軽くて丈夫。わたしの背はそれほど高くないので、一人で持てる量はそんなに多くない。イギリスに留学していた頃は、休みごと、サムソナイトの一番大きいスーツケースに本やら食べものやらを山ほど詰め込んでおぼれるように運んだものだが、もうそんな移動はできない。スーツケースの中に、本当に必要なものだけ詰め込んで旅をしたい、と思う。
*
もう随分本のレビューも書いていないけれど、本を読んでいないわけではない。ここ数日は、堀江敏幸さんの『もののはずみ』。ものに対する素朴な愛情と、深いまなざし。わたしはこの人の書く文章がとても好きだ。 池澤夏樹さんの『キップをなくして』は、良質なジョブナイル。切符をなくして駅から出られなくなった子どもたちのものがたり。わたしも駅で暮らしてみたい。そういえば、池澤訳の『星の王子さま』がもうすぐ発売。楽しみ。
*
最近、モノクロで写真を撮っている。グレイの景色。灰色はすべての基調だ、とはジャコメッティの言葉だが、そういえば、草木染も、すべて灰から染められる。グレイからうまれる色鮮やかな世界に、今はただ憧れている。
*
日曜日なのに仕事。早めにあがって、近くの大きな本屋さんへ行く。犬の写真集を一冊。家に帰ってから転寝する。夕陽のきれいな時間におきだして、二つ先の駅まで散歩。小さな洋食屋でハンバーグ。デミグラスソースが美味しい。帰りにドーナツとコーヒー。まだ、月は見えない。
2005.08.20
家を出て
家を出て、空を見上げる。青い空に、夏雲。日差しは熱いけれど、吹く風は秋の気配がする。季節は、風から変わるのだ、と思う。頬を掠める風、風鈴を揺らす風、虫の音を運んでくるのも、風だ。
用もないのに、羽田空港へ。天辺の展望台で一日中、空と海と飛行機を見ながら、風に吹かれて過ごした。昼間の空の青の濃さも、夕暮れの涼やかな風と夕陽も、まるい月も鮮かに。
鈴虫の声を聞きながら家への道を歩いた。月が、さえざえと光っていた。眠りにつくころには、わたしのベッドから、ちょうど見える高さになるだろう。
2005.08.19
母
小さい頃、「暑いよう」と言うと、「心頭滅却すれば火もまた涼し、と言うでしょ」と笑いながら答える母だった。言ってもどうにもならないことを言うのはやめなさい、暑いくらいで騒ぐのははしたないことです、ということだったのだろう。なのにわたしは、それから10年以上も経って、暑い暑いとぼやきながら夏を暮らしている。母の教えはいったいどこへいってしまったのか。
先日、母に電話したときに、「暑いよう」と言ったら、「本当に暑いから身体に気をつけなさい」という言葉が返ってきた。母も歳をとったし、わたしも別な心配をされる年頃なのか、と思って少ししんみりする。
*
「女の子なんだから、そんなに頑張らなくていいのに」と、たまにつぶやくように母は言う。多分、母が望んだものとは違う人生を、わたしは歩いているのだと思う。朝から夜遅くまで働いて、土・日だって休める方が少ないし、徹夜だって普通にある。本当だったら今頃、孫くらい抱いていたいと思うのか、たまに、「いつ結婚するの」と、確かめるようにわたしに聞く。それでも、ずっと自由に育ててきてもらったと思う。中学の半ばでイギリスに行ってから今まで、わたしはほとんど、母と一緒に暮らしていない。仕事のことも、基本的には、やれるだけやりなさい、とあの人はいうのだ。ごめんね、とたまに思う気持ちをわたしは口にはしないけれど、だから、いつも少しせつない。
2005.08.18
「しんぼ
「しんぼうが大事だよ。最初は、おれからすこしはなれて、こんなふうに、草の中にすわるんだ。おれは、あんたをちょいちょい横目でみる。あんたは、なんにもいわない。それも、ことばっていうやつが、勘ちがいのもとだからだよ。一日一日とたってゆくうちにゃ、あんたは、だんだんと近いところへきて、すわれるようになるんだ……」
(サン・テグジュペリ/内藤濯訳 『星の王子さま』 岩波書店)
2005.08.17
午前中に
午前中に打ち合わせが二件。午後ひとつめの商談が伸びて、お昼ご飯を食べそびれる。夕方、打ち合わせが二件。昨日、出張から帰ってきて、明日は日帰りでまた北へ行く。明後日は、大事なプレゼンで、埼玉まで。
とりあえず、今日の予定を全部終わらせて、青山で地下鉄を降りた。スーツの上着を手に持って、ぶらぶらと歩く。通り過ぎる人をぼんやりと眺め、疲れたなあ、と思って、少し泣きたくなる。ほんとうに、わたしでなければできない仕事なんて、ひとつもないかもしれない、と思う。それでも、こんなに仕事が多いのは、わたしが、まだまだ、人を育てることができていないせいだ、と思う。時間と気持ちをかけて、誰かに仕事を教えていくということ。結局のところ、何かに対する不満や不安は、自分に対する不満や不安の裏返しなのだ。
「僕は君が羨ましい」と昼間言われた言葉を思い出していた。仕事をしているときのわたしは、もしかしたら、人より仕事ができるように見えるのかもしれない。自信があるようにも、迷いがないようにも。なのに、実際は、泣きたくなるほどの日の方が多い。誰も皆、そうなのかもしれないけれど。
2005.08.16
夕方、出
夕方、出張先から上野に着いて、そのまま横浜へ向かう。毎年恒例で、姉とその家族が横浜のホテルに泊まっているのだ。港の近くで待ち合わせ。姉の姿が目に入ると同時に、小さな甥っ子が飛び出てくる。姪っ子の乳歯はすっかり抜けて、なんだか可愛らしい。
子ども三人と、姉夫婦と、中華料理。親しい人たちと食べる食事はいつもの何倍も美味しくて、あっという間に時間が過ぎる。部屋まで皆を見送って、一人電車に乗る。
帰り道は、いつも少しだけ寂しい。幸せそうな、「家族」。昔はわたしの「姉」だったひとが、「母」の顔をしている姿。つないだ甥っ子の小さな手の感触を、思い出した。まぶしくて、少し切ない。
鞄の中の、ノートパソコンが重かった。革靴の足が痛んだ。ガラス窓に映る自分の顔が、少し滲む。奇麗な月を眺めながら、いつもよりひとつ手前の駅で降り、夜を歩く。
2005.08.15
どんなこ
どんなことにも幸福な例外はあるもので、たとえば普段は人を誘うのは苦手なのに、迷わず誘える友達が一人いる。何年の付き合いになるだろうか、初めて出会ったときにはお互いまだ十代だったかもしれない。雷の鳴る音を聞きながら、居酒屋でビール。
彼と話していると、友達というより、仲間という感じがいつもする。たとえば愚痴とか自分の弱いところとか、ぜんぶひっくるめて仲間だと。気持ちよく酔っ払い、自転車を押して雨上がりの夜道を歩く。
2005.08.14
海の見え
海の見える公園の、砂浜に寝転がって空を見ていた。昼間の、息苦しいほどの暑さも一息つき、ゆっくりと暮れていく時間だった。水色の空はおだやかに、潮風が吹き磯の香りがする。この海は、とわたしは思う。この海は、わたしが見慣れた海とは違うけれど、と。それでも波の音は、うたうように、身体の中を流れていく。
少しうとうとしただろうか。風に吹かれているうちに、青色をした夢を見た。眼を開けると、空。ぼんやりと起き上がり、腕についた砂を払う。水筒から水を飲み、膝を抱えて海を眺めた。波打ち際で、小さな犬が飼い主と戯れている。鳥たちが、どこへ向かうのだろうか、夕陽の方を向いて飛んでいく。
朝からのだるさが、嘘のように消えていた。スニーカーを履いて、立ち上がる。ガーゼのシャツから、砂がさらさらと落ちた。少しずつ日は沈み、景色はそのぶん穏やかになり、息をするのが楽になる。
傍にいるだけでいいのだ、と思う。その飛沫に、手を触れることさえしなくていい。ただそこにある海を眺め、風に吹かれてうたた寝をし、潮騒を聞くだけでいい。それだけでいつしかどこか満たされる。
暮れていく空を見上げながら帰った。一番星が、かすかに見える。
2005.08.13
つまり、
つまり、何でずぶ濡れが可笑しいかというと、表面的なことに意識がいかなくなるからだ、と思う。例えば身なりだとか持ち物だとか、そんなこととは関係なく、ただの自分として雨の中に取り残される感じ。だから、いっそ清々しい。
2005.08.12
雨を着る
会社を出ると、ぽつりと冷たい感触。雨か、と思って空を見る。横にいた同じように自転車通勤の同僚が、どうする、と言った。「このまま帰ります。このくらいなら大丈夫」と、自転車を引っ張り出す。
頬にあたる雨が、心地よいくらいだった。ずっとデスクに向かっていた身体が少しずつほぐれていくのが分かる。東京の雨の夜はきれいだ。空気は落ち着き、街灯に照らされた雨粒が光のように降る。
半分くらい走ったところで、突然雨が強くなった。雨宿りしよう、と思う間もなく、雷鳴が轟き、目を開けていられないほどの豪雨。髪から雨が滴る。背中のリュックサックに入れたノートパソコンとカメラが気になったが、仕方ない。そのまま走る。あっという間にずぶぬれになり、肩をたたく雨粒はますます強くなる。止まってはいけない、と何故かわたしは思う。霞む眼を凝らし、すべるハンドルを握り締め、走る。
最後の角を曲がり、住宅街に入るころには、まるで泳いできたような有様になっていた。わたしはいっそ可笑しくなって、水溜りの上を走り抜ける。わたしのクロスバイクには、泥除けもついていない。きっと今ごろ背中も、泥だらけに違いない。こんなに雨に濡れたのは何年ぶりだろうか。子どものころのようにはしゃぎながら、前へ、走る。
2005.08.11
夜
自転車のサドルを、いつもより三センチ上げた。これで、多分ぎりぎりくらい。まっすぐに立つと、つま先がかすかに地面に触れるくらいだ。それでも、いつもより3センチ高い世界が嬉しくて、ギアを少しあげて走る。
川べりの道で、自転車を止めた。欄干に肘をついて、川面を眺める。いつも、こうして心を落ち着けてきた、と思う。泣きながら家を出た日も、仕事に疲れたときも。
そういえば、あの人とは海を見にいかなかったな、と思った。ふたりとも、海は好きだったのに。ようやく一緒に行ったときには、もう恋は終わっていた。もう随分と、昔のこと。
具合が悪い、とメールをしたら、病院に行った方がいいよ、一緒に行ってあげようか、という返事がかえってきた。こんなふうに、優しくされることに慣れていなくて、少し泣けた。
月はぼんやりと空を照らしている。風がゆるりと肌に触れた。川は、街灯を映し光っている。星は見えない。
2005.08.10
「君はい
「君はいつも一人でいたから」
と、言われて少しびっくりした。そうかわたしは一人だったのか、と思った。全然気づかなかった。
「でも、何人かの女の子が、君みたいになりたい、と話していたのを覚えている。どちらにしろ、君は変わってたよ。未だに、君みたいな生徒には会ったことがない」
あれから少なくとも十年は経っているはずなのに、この人はちっとも変わらない、と思いながら、わたしはぼんやりと座っていた。しばらく前、高校の頃の先生と、久しぶりに会ったときのことだ。たぶん、変わっていたのはわたしじゃなくて、皆の方だ、と思う。わたしが通った高校は全寮制でイギリスにあり、ひとクセもふたクセもある生徒たちばかりが集まっていたように思う。たとえばお母さんが女優だとか、お父さんがプロゴルファーだとか、本人が役者だとかなんだとか。そんな中にいたら、ごく普通の生徒の方が珍しかったのではないだろうか。
どちらにしろ、とわたしは思う。それでも、どちらにしろ、人付き合いが苦手なのは今も昔も変わりはない。人と親しくなりすぎるのは苦手だ。仲良くなりたい、と思った人がいたとしても、仲良くなりかけるととたんにそれが負担になる。哀しいかな。そのくせ、楽しそうに笑っている友人たちを見るといつも羨ましかった。今も同じだ、と思う。人に話しかけるのは苦手だ。笑顔で会話を続けるのも、気配りをするのも。電話もなかなかかけられない。友達もなかなか誘えない。なのに、人前で話す仕事ばかりしている。なんでだろう、といつも思う。
連日の出張で少し疲れて、早々と家に帰った夜。ゆっくりとつかったお湯もアロマオイルもあまり効果はなく、ベッドに入った後も随分と眠れなかった。鬱々と寝返りばかりうっていたら友人からの電話。しばらく話していたらだんだんと瞼が重くなり、ごめんなさいもう眠たくて、と電話を切った。
ほんの数回しか会ったことはないのに、何故か彼には気が置けない。気をつかわなくても、会話が続く相手というのは貴重だ、と思う。眠くなったときに、眠いといえて、電話を切った後少し元気になっている。彼にはきっと友達がたくさんいるんだろうな、と思いながら、眠る。彼にしても、電話で話すのは半年ぶりくらいのことで、わたしにはきっと、そのくらいが程よいのだ。
2005.08.09
シートに
シートに身体を沈め、眼をつぶった。頭が痛い。新宿駅、朝七時半。
出張は嫌いではないが、少し気が重かった。薄いグレーの空。鞄の中には、ノートパソコンとカメラ、昨日買ったばかりのハードカバー。どれを取り出す気もしない。
カタン、と電車が走り出してすぐ、隣の席に誰かが座った。重たい瞼を開くと、笑顔。パルドン、と。フランス人か。
大学時代の第一外国語はフランス語だったのだが、わたしはまるで話せない。こちらを向いて投げかけられる音に、優しい母音の言葉だな、と思う。ごめんなさい、フランス語は、わかりません、と片言でいうと、だってあなたが今話したのはフランス語でしょ、と彼が言う。えー、(と、ここから英語)ただそれだけしか話せないのです、と。
車掌さんに簡単な通訳をした御礼にと、車内販売のコーヒーを一杯。窓の外は山深い緑。『星の王子さま』の作者の奥さんの話をする。美しくワガママな薔薇にたとえられる彼女。二杯目のコーヒーの後、彼は、わたしの顔をしげしげと見つめ、君によく似た友達がいるよ、と言う。「今まで、本当にいろんな人にそう言われました。今までのところ、世界中にわたしに似ている人が少なくとも50人以上は居る計算になる」と返事をするわたしに彼が笑う。
手を振って降りていく彼に手を振りかえし、わたしも身支度をする。スーツのジャケットを羽織り、鞄を持ち上げる。頭痛は少し、和らぎ、いつの間にか青い空が広がっていた。
2005.08.08
大好きな
大好きなレストランがある。
商店街の大通りから少し入った、こざっぱりしたビルの二階。ほんの二十席ほどの店内に足を踏み入れるといつもいい匂いがする。パルミジャーノやオリーブオイル、イベリコ豚のグリル。うるさすぎもせず、静か過ぎもせず、いつも気持ちいいざわめきで満ちているささやかな場所。
お酒には弱いのだけれど、ここに来るといつもスプマンテを少しだけ飲む。オレンジ、柘榴、パイナップル。その時々のフレッシュジュースで割ってもらうと、ちょうどよくおなかが空いてくる。
アミューズは、空豆の焼いたのだったり、生牡蠣だったり。リコッタチーズに栗の蜂蜜をかけたのも美味しい。冷たい前菜にはモッツァレラチーズとトマト。生ハムをひときれ、ふたきれ。あたたかい前菜は白魚のフリットかアスパラの焼いたもの、アナゴのミルフィーユ。パスタは生ウニのカッペリーニが美味しくて、メインは何を選んでもほとんど絶品、といった感じ。スズキか牛フィレかイベリコ豚か。ドルチェはスプーマかティラミス、アマレットのジェラート。フレッシュハーブティはいつも、レモングラスのいい香りがする。
シェフの石川さんはいつも気取らなくて謙虚だ。わたしよりほんの少しだけ年上。いつもニコニコ笑っている。わたしは石川さんの顔を見るたび、この人のところへ来れば、必ず美味しいものが食べられる、と、思う。レストランって、もともと、「回復する場所」という意味の言葉だという。日常で少しずつ損ねた何かを取り戻す場所。
……どうしてこんなことを書いているかというと。つまり、今わたしは腹ペコなのですよ。ぐう。
2005.08.07
生まれ変
生まれ変わったら、猫になりたい。
黒い猫がいい。海の近くの、世慣れた人に飼われたい。旅好きな人ならなおさらいい。
よく晴れた休みの日には、海を見に連れて行ってもらう。灯台の見える高台に座って、潮風を浴びながら海を見る。
空は清んだ水色をしていて、ひと刷きの白い雲。風が吹くたび、海がさざめく。
散歩するなら、首に小さな鈴をつけてもらう。
日影を選んで歩いて、途中で甘いトマトを食べる。
階段よりは、坂道がいい。木陰に入れば、蝉時雨。
家に帰ったら、薄いカルピスをつくってもらう。
途中の小さな焼き鳥屋で、蜂蜜色のお酒をひと舐めもらうのもいい。
道路際のテラスの席で、膝の上で静かにするから。
ベッドの隅で丸くなり、緑色の夢を見る。
はずした首輪か風鈴か、ちりん、と小さな音がする。
2005.08.06
素麺
土曜日の朝。窓を開け放して、洗濯をした。ベッドの傍らに積まれた本を片付けていたら、風鈴がちりんと鳴った。陽射しの下の洗濯物を眺めていたら何故かふと、そうめんが食べたくなって、母に電話をした。
「おかあさん」
「あら桃ちゃん。元気なの。」
「元気よ」
「今日はお休み?」
「うん。後で会社に行くけど」
「あらあら。たまには帰っていらっしゃい」
「お母さん」
「なに」
「そうめん食べたい」
「あら、お母さん今そうめん食べようと思って、出汁をとってたところよ。鰹節で。美味しいわよ、食べにいらっしゃい」
今日は行けないなあ、と返事をしながら、お腹が鳴った。やっぱりわたしはこの人に育てられたんだなあ、と思って、少しおかしかった。
2005.08.05
仕事
仕事ってなんだろう、とやっぱり時々思う。わたしたちのつくっているシステムは、24時間動いている。たとえば、ハードウエアが壊れたとしたら、そこで運用が止まる。データベースのレスポンスが落ちれば作業効率が極端に下がるし、ネットワークが不通になれば集計業務はできない。顧客の数は、もうどのくらいになったのだろうか。業務用のシステムを作っている以上、トラブルは放置できない。パッケージではないから、細かい仕様の管理が煩雑になる。保守要員を育てるにも、時間がかかる。
十分な納期で、受注金額で、仕事ができれば越したことはない。ただ、実際、わたしたちはいつもぎりぎりのところで仕事をしている。少しでもいいものを、少しでも短納期で。やっぱり、お客さまの喜ぶ顔を見れば嬉しいし、困っている顔を見るのは辛いのだ。自分たちの作ったものが、使われないシステムになるのは単純にとても辛い。だから、多少の無理はしてきた。それが正しくない姿だというのは分かっているが、仕様書なしの仕様変更さえわたしたちはたまにやる。その結果、評価も、顧客もついてきた。それだけは誇りに思っていいと思う。わたしたちは、わたしたちにしかできないことを、やってきたと思う。
時々は泣きたくなる。本来、責任の所在は別にあるはずのハードウエアのトラブル、ネットワークの不通、それともちろん、ソフトウエア自体に不具合があることもある。顧客の窓口になっていればいつ呼び出されるか分からないし、実際、休日夜間を問わず電話がかかってきたり、盆も正月もなかったりする。「そんなのおかしい」と親しい友人や恋人でさえ言う。それは、わたしだってわかっている。わかっているのだ。でもたとえば毎日夜中まで仕事をして、土日も休めたら運がいいほうで、そんな生活でも、わたしが仕事を続けてきたのは、そんなちっぽけな誇りがあるからだ。わたしたちは、わたしたちにしかつくれないものを、つくってきたということ。
今わたしたちの主力商品になっているシステムを、一番最初に納品したときのことをまだ覚えている。何日目の徹夜かもう数えるのも嫌になった朝、お客さまのところへ機械を持っていったのだ。ふらふらになりながら会社に戻り、少し寝たのだったか、数時間後、もう一度お客さまのところへ戻ったら、その機械に名前がついていた。わたしと同じ名前だった。「大切に使います。ありがとう」と。
泣きたくなると、このときのことを思い出す。そのシステムは稼動から五年が経ち、近いうちにバージョンアップをする予定になっている。仕事って何だろう、と思うたびに、このときのことを、ふと思い出す。
2005.08.03
青空と、
青空と、入道雲と、蝉時雨の夏。この国は、時々ひどく美しい。
2005.08.02
まだ小学
まだ小学生のわたしが、桟橋に両手をついて立っている。湖を見ながら。その当時気に入っていた、ギンガムチェックのワンピースを着て、短い髪をして。後姿しか見えないが、目線の先には誰かが水上スキーをしている姿が見える。そのモーターボートを運転しているのは父で、後ろでウェットスーツを着ているのは姉だ。夕暮れだろうか。やわらかな日差しにてらされて水面がきらきら光っている。
多分そのときたまたま遊びにきていた父の会社の誰かが取ってくれたのだろう。夏の間、わたしたちはその湖畔の家にことあるごとに遊びに行っていたのだし、いつも誰かが出入りしていた。白黒のその写真は、大きくプリントされて額に入っている。もう、撮ってくれたのが誰かは忘れてしまったのに、それをもらったときの嬉しい気持ちは覚えている。顔さえ映っていないが、その写真のわたしは、ほんとうに幸せそうだ。
確かに、あの夏、わたしは幸せだったのだろうと思う。父がその家やモーターボートを手放すことになるのはほんの数年後のことだが、そんなことは思いさえしなかった夏。ただ、その写真を見るたび、真空パックに入った幸せを呼吸するようで、なぜか穏やかな気持ちになる。もう帰ってこない日々が鮮やかな記憶になって、ひととき、忘れていた何かを思い出す。
わたしはやっぱりこんな写真を撮りたい、と思う。特別心打つわけでもなく、何か歴史を切り取るわけでもなく、ただ優しく穏やかな気持ちで何かを思い出せるような、そんな写真が。時にひどく古風で、平凡で、でも、大切に守るべき何かを。
あの写真を撮ってくれた人は、もうきっと、こんな写真を撮ったことさえ覚えていないだろうけれど。
2005.08.01
ユルスナール
今年の雲はいつまで経っても夏らしくならない、と思っていたら、突然のように夏雲が広がる空。八月になるのを待っていたみたいに。
お客さまのところへ出かけた帰り道、一番星を見ながら歩いていたらふと買い物がしたくなり、靴を買う。少し高い買い物だったけれど、やわらかい革に包まれた足が嘘みたいに軽い。どこまでもあるいていけそうだ、と思う。