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2006.03.31
満開の花
満開の花に眩暈さえおぼえながら、桜並木の下を歩いた。ひさしぶりに、いつものカメラを手に持って。はいっているのは、いつもと同じモノクロフイルム。カラー写真も本当に好きなのだけれど(そうして、心の片隅では、この桜と空はフォルティアで撮ったら絶対きれいなはず、なんて思っているのだけれど)、やっぱり自分で撮るなら、モノクロがいい。
わたしがモノクロを好きなのは、灰色の濃淡が心優しいからだ。空は時に濃く薄く、花影はただひかりのように霞み、グレーに溶ける。色鮮やかな世界の中、それは時には物足りなく思えるかもしれないけれど、そのグレーの花びらを、あの紅色だ、と、わたしは思うのだ。「あの」紅色だ、と。晴れた日には心浮き立つような、雨の日にはひっそりとはにかむような、あの日あの時、それぞれの桜の色が、そこにはあるのだ、と、思う。
2006.03.29
会社を休
会社を休んで、一日中外で、風に吹かれていた。
桜並木の下を歩きながら、これは春とは違うもうひとつの季節だ、と、ふと思う。
2006.03.28
「もし、
「もし、日本に旅行するならどこに行くのがいいだろう」
「どこ、ではなく、春がいいよ。春がいい。桜咲く季節なら、あの国は本当に美しい。もしいつか日本に来ることがあったなら、そしてそのときもわたしのことを覚えていたら、必ず春に来てほしい」
「でも、いつ咲くか、分からないでしょう?」
「そうしたら、呼ぶよ。こられそうな年に連絡して。そうしたら、そのときわたしがいる場所の、桜が満開になる一週間前に、必ず、必ず連絡するから。」
*
おーい、スティーブ。もうすぐ桜が満開だよう、と、それからというもの、毎年わたしは思っている。あれからもう、十二年。連絡は未だ来ないけれど、どこかで彼がこの桜を見ていればいいな、と、そう思いながら川沿いの花霞を眺めている。
2006.03.26
最寄り駅
最寄り駅から会社への道沿いに、桜並木がある。ビルとビルの間、オフィスや飲食店が立ち並ぶほんの五分ほどの道。そこの桜がほぼ満開になった。本当に何気ない、歩道沿いの桜並木で、座ってお花見ができる場所があるわけでもない。それでも、外出するとき、食事に出るとき、ふと、足を止めて見上げてしまう。すると、やはり同じように立ち止まる人や、携帯のカメラを向ける人がいる。大抵はスーツを着た、仕事中らしき人たちだ。
近くの川沿いには、有名な桜の名所がある。桜咲く週末には、ビニールシートが敷かれ、お弁当が広げられ、家族連れやいろいろなグループでひしめき合う。散った花びらが川面に降り積もり、桜色の流れができる。確かに、見事な桜である。
ただ、残念ながら、もう随分、そんなお花見をしていない。この時期は、年度末だし決算だし、しかも一年に一度の全社会議があるし、四月に入ってしまうまでは目の回るほどの忙しさである。桜を見るのは、例えば深夜、自宅へ向かう帰り道や、移動中くらいしかない。
それでも、ひとしなみにわたしたちのうえに桜は咲く。だから例えば、会社の前の並木の桜を、こっそりとわたしは、わたしたちの桜だ、と思っている。スーツを着て、足早で通り過ぎるほんの一瞬、心ほどかしていく、その積み重ねがわたしたちの春なのだ、と、思う。
*
今日の一冊 内田ユキオ『ライカとモノクロの日々』 エイ出版
2006.03.25
何で桜は
何で桜はああいう紅色をしているのだろう、柳のみどりは、どうしてあんなふうに風にそよぐのだろうか、と、思う。
春。
桜が咲くと、それだけで夜が特別になる。歩いていても、タクシーに乗っても、電車の窓から見ても。それだけで夜が香りたつようで、気持ちにさえ、まるで、霞がかかったような。なにか、懐かしいような。
*
今日の一曲 NUU 「春のにほひの唄」/『唄波』
2006.03.23
何が悲しい
何が悲しいのか分からないくらい悲しくて、小雨降る川沿いの朝を泣きながら歩く。
2006.03.20
ベランダ
ベランダに出ると、沈丁花の香りがする。見回しても、姿は見えない。ただ、香りだけがゆったりと、春を運ぶ。
ベッドは、窓際に置くと決めている。引っ越してきたとき、ここに置いてください、と言うと、引越しやさんがほんの少しだけ訝しげな顔をした、部屋の中で一番明るく、一番気持ちのいい場所。それでも、月を眺めながら眠りについたり、目を覚ますと一番に青空が見えたりする贅沢は、何事にも変えがたいのだ、と、思う。
目を覚ますと、青空だった。もう厚いコートは着ないことに決めたので、薄桃色の軽い上着を羽織る。展示会が終わり、外出の予定もないので、ジーンズで会社に向かう。
途中でコーヒーを買って、のんびりと歩いた。右手には桜並木、左手には緑の柳。咲く寸前の桜の枝と、柳の緑がいとおしい。
夜、会議に疲れ、仕事を途中でほっぽり出して同僚と中華料理。大いに飲み、食べる。次の店に行く皆の後姿を見送って、桜並木の下、会社へ戻った。今にもはじけそうに膨らんだつぼみ。まだ咲かないで、もう少し、と、どうしてなのか、そう思う。
月が変わったら花見酒、という友人からのメールに、「もう咲きますよう」と返事をした。頬を撫でる夜風が心地いい。ふと、箪笥の中の桜色の着物を思う。
2006.03.19
ぼんやり
ぼんやりと乗り換えの電車がやってくるのを待っていた。
「すみません」
可愛らしい声。眼のぱっちりした、小さな女の子。
「この電車は、菊名まで行きますか」
行きますよ、と答えると、まじめな顔でうなずいて、ありがとうございます、と。
ひとりでどこへ行くのかな。
2006.03.18
おめでとう、生まれた日
乗り換えの駅で、手のひらに乗るくらいの、ささやかなブーケを買った。大袈裟なものはなんにせよ嫌いな人なのだ。父へだったら、蘭にするところだ。でも、母へ贈るのにいちばんいいのは、もしかしたら、野に咲くれんげの花束かもしれない。
母の誕生日なので実家へ帰った。一足先に着いている姉からメールが届く。「ケーキは買ったよ。ご馳走は何がいい?」しばらく考えて返事をする。「トマトと、ブロッコリーのサラダ。菜の花があればもっと嬉しい。あと、おはぎ!」 電車の窓から、咲いている木蓮が見える。もう、春なのだ。
母はいくつになったのだろうか。わたしは、随分と遅く生まれた子どもだった。小さい頃、母と一緒に歩いていると、よく「おばあちゃん?」と聞かれたものだ。あまりにもよくそう言われるものだから、最後には、すました顔をして「そう、わたしおばあちゃんから生まれたの」なんて言った覚えがある。そんなときも、母は可笑しそうににこにこ笑っていたっけ。今は髪もすっかり白くなり、指の節も随分高くなったが、化粧気のない顔は皺もなくつるつるしている。春が来ると、ああ、母の誕生日だ、とわたしは思う。
ただいま、とドアを開けると、母が姉の子どもたちと一緒におかえり、と出てきた。お母さんお誕生日おめでとう、とブーケを取り出そうとすると、あらあらお母さん何もいらないのよ、と母は言う。「そう言うと思って、いちばんちっちゃいのにした」と、ピンク色のガーベラを差し出すと、母はにっこりと笑い、小さな姪っ子が「可愛いねえ」と、言った。
誕生日だと言うのに、母は台所で立ち働いている。お母さん、もういいから座って食べようよ、というのに、うんうん、と言いながら次々に料理が出てくる。……この人は、いつもこうなのだ。母親、という女の人。帰ってくれば、いつも美味しいものを食べさせてくれる。あたりまえのように。
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やっぱり誕生日ケーキは苺だよね、と姉がいい、その妹はろうそくを立てる。アバウトでいきましょう、と、六本だけ。子どもたちが手を叩きながら、歌をうたい、ふうっとろうそくが消される。おめでとう、おめでとう。父は黙って、ケーキを食べている。母は少し困ったように、ほんのり笑った。
2006.03.17
システム
システムは、本来裏方だ。気づかれないところで滞りなく動けば、それでいい。だから、わたしたちの名前も、表に出ることはあまりない。ハードウエアとセットで納品されるシステムでさえ、ソフトウエアはひっそりとその中で動いているだけだ。そしてそれでいいのだ、と思う。システムは裏方でいるのが望ましい。主役はあくまでも、それを使う人たちであり、まわっていく業務であり、それによって提供されるサービスである。
それでも、システムが日のあたる場所に出てくることがあるとすると、それは一年に一度、展示会のときだと思う。わたしたちは、ブースを構え、展示台をつくり、パソコンや機械を並べ、システムを展示する。コンセプトは文字になり言葉になって映像とともに繰り返しプレゼンテーションされ、わたしたちは、わたしたちのシステムを、何百人もの人に説明する。一年にほんの数日の、ハレの日だ。このときばかりは、システムが主役になる。
*
業界向けの展示会に出展していた。月曜日の設営からはじまり、会期四日間。カタログや販促ツールや、もちろんブースのデザインや、そんな準備の期間から考えたら、どれだけ時間がかかったろうか。最後はほとんど徹夜するようにして、準備して臨んだ。四日間、立ち通した足はひりひりと痛み、話し続けた喉は嗄れる。それでも、わたしは、いつも涙ぐみそうにさえなるのだ。わたしたちのつくったものが、こうしてひとときだけでも、立派に飾られ、展示されるそのことに。そして新しい出会いがあり、また仕事が始まる。
何をつくるにしろ、それがどんなものでも、結局は地道な作業の積み重ねではないかと思っている。華々しいことなどほとんどない。それでも、あれがわたしたちのつくったものだ、という自負がなければ、続けていけない、と思う。会期中、わたしは、繰り返し思っていた。あれがわたしたちのつくってきたものだ、と。誇りに思っていい、あれだけのものなのだから、と。
*
まだこの業界向けの仕事を始めたばかりの頃、わたしたちにはコンセプトしかなかった。そこにあったのは、いくつかのアイデアと理想だけだった。忘れもしない、七年前の展示会、今年の四分の一ほどの大きさのブースで、そのコンセプトだけを展示した。「まだなにもないんじゃない」と、言われて悔しくて帰り道、ひとり泣いたのを覚えている。まだ新人の頃だ。
七年。短くはない時間だけれど、その間に、わたしたちはものをつくり、顧客を獲得し、その分野ではある程度、評価されるようになってきた。コンセプトがフォルムを得たのだ、と思う。ただの思いがかたちになり、きちんと動くようになった。
わたしは少し満足し、その一方で、まだまだだ、と思ったりする。
そしてまた、ひっそりと、裏方に戻る。
*
それにしても……もう足が立ちません。もはや若くない……。
2006.03.14
おむすび、ころりん
友人とおにぎりの話をしたらどうしても食べたくなって、仕事を終えて家に帰った深夜、ひとり、新しい家のキッチンでおむすびを握る。おにぎりにするなら、ミルキークィーンというお米が美味しいと信じているのだけれど、すぐには手に入らないので、いつもの米びつからお米を計る。
炊き立てのご飯で握ったおむすびが、美味しくないわけがない。自分の手で握るのだからなおさら。塩だけで握りながら、味噌汁を火にかける。本当は大根がよかったけれど、妥協して買い置きのワカメをもどしていれる。茄子のお漬物が食べたかったけれど、これも我慢。それでも、ほおばったそれは、本当に美味しかった。食べものをいただく、ってこういうことだ、としみじみ思う。
身体は正直だ。食事をおざなりにしていると、必ずこうして、確かなものが食べたくなるのだ。そういえば、おにぎりの友人のメールにも、こう書いてあった。「身体が欲したものを食べてゆったりするのがいちばんです。……たんとめしあがれ!」
それにしても、家に帰って台所に直行し、スーツも脱がずご飯が炊けるのをじっと待っている姿って、傍からみたらちょっと怖い、かもしれない。
2006.03.12
春の風
住んでいた部屋の鍵を返し、ほっとしたような、何かなくしたような気持ちになって駅への道を歩いた。たった二年だったけれど、わたしは本当にあの部屋が好きだった。遠くから、届く駅の発車ベルも、すぐそばの中学校から、部活の声が聞こえるのも。新しい家も、歩いてほんの15分ほどのところだけれど、それでも、親しい場所から離れるのはどこか寂しい。
ふてくされたような顔をして、とぼとぼと下を向いて歩いていたら、風が吹き、ふわりと春の香りがした。あ、沈丁花だ、と、思い、今年初めてのその香りに背中を押されたような気分になる。
実家の庭の片隅にも、この花は咲いていた。ブローチみたいな白い花。この時期になると、母が一枝切って、小学校に持たせてくれることがよくあった。教卓の上の花瓶に活けるのだ。だからなんとなく、小さいわたしは、沈丁花はわたしの花だ、と思っていた。
電車に乗るのがもったいなくて、風吹く中を会社まで歩いた。お腹がすいていたので、途中のパン屋さんでくるみパンを買い、公園のベンチでつまみ食いした。
空気が眩しくて、なぜか、目眩がする。
2006.03.08
MOLESKINE
ちょうど良いサイズのノートを買ったので、字を書く時間が格段に増えた。仕事で使っているものと同じメーカーのノートだが、ひとまわり小さなサイズ。文庫本よりも小さい。
罫線のないものが好きなので、少し厚めの無地のものを選んだ。ついでに、ブルーの細いサインペンも。夜が来る少し前の空の青色は、クリーム色の紙に、しっくりと合う。
ノートは縦型だけれど、横にしても書けるし、紙が厚くて綴じが平たいので、見開きのページをまたがっても書ける。だから、純粋に書くのが楽しいのだ。
これをいつも持ち歩いて、何かしら書いている。
一人のレストランで。仕事中にふと思いついたことを。電車の中で、時には道端で。思いの切れ端みたいなものから、美味しかったケーキの名前や、いつか行くお店の電話番号まで。…字だけではなく、いたずら書きみたいな絵も描く。ゾウを呑みこんだウワバミのニセモノとか、地図みたいなものとか、ブランコとか。
汚い字に辟易するし、漢字は間違うし、字がナナメになっていたりするのだが、「書くこと」は思いのほか楽しい。そしてこれはたぶん、必要なことなのだ。自分の考えを言葉にしてそれを字に表すということ…。
小学生のころ国語の授業で、時折文章を暗誦することがあったのだが、わたしはそれだけはとても得意だった。どんなに長い詩でも、必ずクラスで一番に覚えられた。もとから、特別優れた暗記力があったわけではなく、わたしがしたことといえばただひとつ、覚えようとするその文章を繰り返し書いてそれを読み、自分の耳で聞くことだけだった。そうすると、いつしか自然に文章が、口をついてでてくるようになるのだ。
例えばそういうことなのだと思う。
何をするにしろ身体をつかって、実体験としての何かを手に入れていくということ。そうして見につけたもの、そうしてつくっていくものは、なかなか消えないのであろうし、それがやがて自分の芯になっていく。
仕事柄、パソコンの前に座っていることが多いからか、キイボードを叩かなければ何も始まらない、と思うことが多かった。文章は繰り返し推敲して時系列で保存しておく。電話番号はデータベースに入れておけば確実だしすぐ呼び出せる。でも多分、そんな便利さとは違うレベルで、一冊のノートは大切で便利だ。そして、当面を生きていくのに必要なメモは全て、一冊のノートに入ってしまうのだ、わたしの場合。(と、いうことに幸か不幸か気づいてしまった。)
だから、ことあるごとにわたしはそのノートを開く。そして、ノートを開けばまるで毎日の自分そのものが見えてしまうようだから……、死ぬまでに溜まったノートは必ず一緒に燃やしてもらおうと、今からそんなことまで思っている。
2006.03.03
ひなまつり
ちらし寿司が食べたい、蛤のお吸い物が飲みたい、と、雛人形より先に思うのはなんとも食い意地が張った話だけれど、この時期になるとふと実家が懐かしくなるのは、小さい頃、毎年毎年、母が雛人形を飾ってくれたからだと思う。
昔は別段特別なことではなかったのだと思うけれど、我が家にも古い雛人形があった。七段飾りの、立派なそれは桐箱の中に入っていて、普段は納戸にしまわれている。時期が来ると、母はそれを取り出し、白い手袋をはめてひとつひとつ出していく。アルミの階段を組み立て、上に緋毛氈を敷いて、順番に並べていくのだ。汚してはいけないからと、まだ小さいころは人形は触らせてもらえなかった。わたしが並べていいのは、ぼんぼりや、金の屏風、桃の花。それでも、壊さないようにそおっとそおっと飾ったのを覚えている。
玄関を入ってすぐ左側にある和室がその部屋だった。お雛様の時期は、その部屋ではそっと歩かなければいけない。鞠で遊んでもいけないし、そばでおやつを食べてもいけないのだ(ひなあられはもちろん別だけれど)。それでも、お雛様が飾ってある時期は少し特別で、どういうふうかというと、空気がうっすらと色づく感じだった。
たぶん、あの時期の空気が甘かったのは、わたしが守られていたからだ、と、ひとつひとつ薄布をといて人形を並べてくれた、今よりずっと若い母の姿を、ふと、思い出している。
あかりをつけましょぼんぼりに、と、ひとり、道を歩きながら、お母さんのちらし寿司が食べたい、と、子どもみたいに思ったりする。
2006.03.01
一番ふる
一番ふるい音の記憶は、たぶん、母の歌声だ。母親は歌うのが本当に好きだったから、台所に立ちながら、車を運転しながら、一緒にお風呂に入りながら、寝る前にも、うたう。ゆったりしたメロディの、昔の歌が多かった。シューベルトやブラームスの子守唄や、ぴちくり鳴くひよこの歌、里の秋や、朧月夜。
子守唄の時期が過ぎると、次は、お話だった。もう、ずっとむかし、字も読めないころのはなしである。母は、わたしが生まれたときに、必ず本を好きな子どもに育てようと思ったのだという。だから、毎晩毎晩、寝る前には必ず本を読んで聞かせた。だから、おかしな話だが、今も、「ものがたり」と聞くと、わたしは必ず、ベッドの中で母の声を聞くちいさな自分を思い出す。
*
小さなホールへ、朗読とピアノの催しに出かけた。池澤夏樹原作の、『南の島のティオ』。仕事を終え、走るように会場へ向かうと、まんなかの舞台におかれたグランドピアノがつやつやと光っていた。ピアノの音色とともに、小説が語られ言葉になり耳から全身に響く。美しい言葉はそれ自体で力を持っている。ただうっとりと耳を傾け、時折涙し、感嘆の溜息をつく。あんな言葉を、わたしも、と、焦がれるように思う。