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2006.10.31

 まだ半袖

 まだ半袖で歩けるくらいの気候だが、空気が日に日に冷えて清んでいく。朝の道を歩きながら大きく息を吸うと、少しずつ冷たい空気が身体に満ちる。冬に向かうにつれ、だんだんと太陽の差し込む角度が低くなり、そのぶんひかりは純度を増して、コンクリートの壁や、アスファルトにぱちぱちと反射している。そのせいか、街並みが朝陽のなか薄く白く浮いていくようで、そのひかりに絡めとられてぼんやりしていると、なにか遠い国のどこか知らない道を歩いているような錯覚さえ起こす。銀杏並木も色づかないうちに、わたしは冬を思っている。

 毎週、宅配で野菜と果物が届く。先週は梨、今週は林檎。先週の梨は両手に余るほど大きく、あまりに見事だったのでテーブルの上に飾っておいたら、いつの間にか駄目にしてしまった。しかし、甘く、お酒のようないい匂いがする。川に投げ込んだら、蟹の親子が追いかけてくるだろうか。
 それにしても残念だったので、林檎は早々に食べた。陽光、という品種だと言う。美しい紅色は紅玉に似ているが、一回り大きくて甘い。さくりさくりと齧ると、言うに言われぬ香り。何も手を加えず、ただ食べただけでこんなに美味しい、それがほんとうの食べものなのではないか、食べるということは、本来こういうことなのではなかったか、とほんの少しの間だけ、ちらりと思う。
 さくさくと雪よ林檎の香のごとく、と詠ったのは白秋だが、林檎の香りは雪のそれと少し似ている。つまり清らかで、なのにどこか後ろめたく甘い。



2006.10.30

 友だちが

 友だちが渋谷で気持ちのいいお酒を飲んでいるというので出かけていきたくなったが、なにぶん胃の調子が芳しくないので止めておく。未練がましく場所を聞くと、なんと、うちのお客さまのお店だった。最近はそう珍しくもないことなのだが、やっぱりどこか嬉しく、ほんの少しだけ誇らしく思った。

 そのお客さまのところで動いているシステムの原型が出来たのはもう六年前のことだ。ノウハウなど何もなく、ただ、何か良いもの、新しいものを作りたいという気持ちだけはあって、ほとんど毎日泊り込みで開発をしていた頃。納期は決まっていてどうしてもずらせなかったが、予想外の問題が頻発し、開発は大幅に遅れていた。納品一週間前でも、まだ目処は立たず、皆疲れきっていた。それでもなんとか、システムは完成した。出来立てのシステムをセットアップした機械を持って、あるお店に納品に行ったのを、今もまだ覚えている。あのときの機械の重さや感触さえ、ありありと思い出せるくらいに。
 あの頃は、わたしたちのシステムがどこかのお店に入るたび、そのひとつひとつが本当に嬉しかった。渋谷に一店舗、新宿に一店舗、と、片手で数えられるくらいからのスタートだったが、あ、あの駅にわたしたちのお客さまのお店がある、と思えば、その駅自体さえが愛しく思えるくらいだったのだ。
 あれから六年、ぽつりぽつりとシステムが導入されるようになり、やがて加速度がつき、片手で数えていた導入実績が、千、二千、という単位になった。もう、わたしが納品に行くこともないし、システムもバージョンアップを重ね、あの頃のものとは構造も動くスピードも、安定度も違う。それでもやっぱり、「そこのお店でわたしたちのつくったシステムが動いている」ということを、わたしは、今も変わらず嬉しく思っている。

 友だちがいい時間を過ごしていて、そのすぐ近く、見えないところにわたしたちのつくったシステムが動いていて、なんだかそれをちょっと幸せに思う、そういう気持ちの積み重ねで仕事を続けてきたんじゃないか、と、ふと思う。



2006.10.29

 小さな木

 小さな木のロバを、昨日からベッド脇の窓辺においている。手のひらに乗るくらいの大きさ。少しとぼけたような顔をしていて可愛い。長い睫の目をつぶって、うっとりと眠っているようだ。わたしも、今日一日、窓を開けたままずっと、うつらうつらベッドの上にいた。
 夕方、ぼんやりと起きだし、ぶらりと出かける。商店街の奥に、好きな書店があるのだ。チェーン店ではなく、初老のおじさんが、いつもレジの前に立っている。店の奥には古本が、手前には普通の新刊が置かれていて、しかもそのセレクションが面白い。映画関係がひとやま、写真関係が一山。大きな書店でも常備していない志村ふくみの文庫が一通りそろっていたり、輪ゴムでとめられた千夜一夜物語全巻が置かれていたりする。店主と思われるおじさんは商売っ気がほとんどなく、お客さんがやってきて本の在庫を尋ねるたび、「ああ、それはうちにはないねえ。このさきの本屋に売ってるかもしれない」なんていうのだ。それでも、なんとなく好きで、地元で本を買うならここ、と決めている。
 雑誌を一冊、文庫を二冊レジに持っていくと、おじさんは黙ってレジを打ち、2999円、と表示された液晶をしばらく見つめ、「2990円でいいよ。9円はおまけ」と言った。わたしが買った本は新刊の雑誌と文庫である。少しびっくりして(寝すぎで頭がぼんやりしていたせいもある)、「おまけ?」と間抜けな声を出すと、おじさんは「いいよいいよ」と言って、本をどさりと渡してくれた。

 *

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噂のロバ。ロバート、だったはずがロバ太郎、になった。



2006.10.28

 川上弘美

 川上弘美の『光ってみえるもの、あれは』が文庫になった。書店で見かけて、思わずずるい、とつぶやく。表紙が、小林孝宣の"Forest"なのだ。この絵は、『ひかりのあるところへ』という作品集の中に収められていて、絵自体がどこかうっすらとひかっているような、絵の中の明るさに向かって歩いていきたくなるような、そんな絵だ。今の日本の画家の中で、わたしはこの人が一番好きで、特に、ひかりを描きはじめたころからが本当にいい。自分が本当によく知っている光景を窓の外に見ているような、ひそやかで安らかなひとときがすぐそこにあるような、そんな気がする絵だ。ずるい、というのは、川上弘美の文章とは、なんというか「合いすぎる」からだ。調和しすぎていてかえって危うげで、……なんて、うらやましい。
 ところで、川上弘美はどんどんまっさらになっていく気がする。少しあざといくらい、まっさらな佇まい。ぽん、と、いろいろなものから自分を振り払って、しかしそんな気配など微塵も見せずにまっすぐにただ立っている感じ。一度目の中を覗いたら、きっと、二度と目が離せないに違いない。ふう、危ない、危ない。

 川上弘美『光ってみえるもの、あれは』(中公文庫)
 小林孝宣『ひかりのあるところへ』(日本経済新聞社)
 川上弘美『真鶴』(文藝春秋) …これは今日買って読んだ本。感想は後日



2006.10.27

 さて、い

 さて、いよいよ胃が痛くなって、ほとんど食べられなくなってしまった。今日で三日目。さすがに昨日は会社を休んだ。病院に通って薬を呑み続けているのだが、一向に効かない。胃カメラは痛いから嫌だなあ、などと言っている場合ではないのかもしれない。
 しかし、ずっと食べないでいると、それはそれで気持ちがいい。身体の中が、だんだんとがらんとしてくる感じ。振ったらカラカラと音でもしそう。そういえば、池澤夏樹の小説の中で、そんな話が出てきたと思う。『マリコ/マリキータ』の中の、「帰ってきた男」だったか。ある遺跡を前に、二人の男がその力に触れ、いつしか満ち足り食べものもいらなくなって……、という話。そして、その二人は、「帰ってきた男」と「とどまった男」に分けられたのだった。
 食べられないので、最近の楽しみはお風呂で読書。『世界名作選』の次は、幸田文の『雀の手帖』を読んでいる。たっぷりあたたまって、からっぽな身体でぐっすりと寝たら、夢の中で母がご馳走を作ってくれた。



2006.10.24

十五年

 中学二年の頃、住んでいた家の話は以前書いた通りだが、その頃、夢中になっていたことに、ラジオで音楽を聴くことがあった。わたしの部屋には勉強机と箪笥があり、その箪笥の上に無骨なCDラジカセが置いてあった。お小遣いが1000円だったか2000円だったかの時代だ。CDは買いたくてもなかなか買えなかったし、聴きたい音楽は沢山あった。インターネット、なんて言葉も知らなかった時代、わたしのそばにはラジオがあった。
 雑誌で番組の時間を調べ、カセットテープをセットして待つ。あの頃、わたしにとって音楽とは、消えていくものだったし移ろっていくものだった。それを何とかして長い間手元に置こうと、録音したテープを大切に大切に聴き、手入れをし、それでも最後は、テープが伸びてしまうのだった。ラジオの電源を入れ、ざらざらとした雑音の向こうから音楽が聴こえてくる瞬間、空から降ってくる何か大切ものをつかまえるように、耳を澄ませたのを覚えている。

 普段はすっかり忘れていたその頃のことを思い出したのは、その頃よく聴いていた音楽を、また聴いたからだ。寝る前、何気なく聴いたその旋律に、引っ張り出されるようにして、いろいろな思いが胸を満たした。そうだそういえば、と、思い出したのは、ある名前だった。
 思いついて、その名前をインターネットで検索してみた。苗字は分かるが名前の方が不確かだった。いろいろと探していくうち、ああこの人だ、という記事に行き当たった。本を出しているのだという。経歴を見ても、間違いがない。その本の出版社に連絡を取り、連絡先を聞いて、御本人からメールが届いたのがつい最近のこと。なんと、十五年ぶりのやり取りだった。
 その人が誰かというと、あるFM雑誌の編集長をされていた方だ。当時、わたしは欠かさずその雑誌を買っていた。そこに確か、編集長のコラムのコーナーがあり、わたしの好きなアーティストを扱っていた。嬉しくなり、手紙を書いた……、のだったと思う。その返事が来たのだったか、雑誌の紙面で返事をもらったのだったか、とにかく何度かのやり取りがあった。その後、わたしはイギリスに行くことになり日本を離れ、その雑誌は休刊になり、やりとりはほんの数回で終わってしまったのだと思う。それでも、あのときの音楽、好きだったラジオ、夢中だったアーティストと一緒にその編集長の名前は覚えていて、ふと、思い出し、懐かしくなったのだった。

 何度かのやり取りの後に、お会いしたのがつい最近のこと。雑誌に載っていたころの写真より少し白髪は増えたが、端正な方だな、と思った。音楽の話、あの頃の話、仕事のこと、生きていくこと、プロディースしたCDのこと……、何時間かがあっという間に経ち、後には、何かあたたかな気持ちだけが残った。
 家に帰ってから、いただいた雑誌をめくると、少し黄ばんだページに小さくわたしの名前が載っている。「あの頃」が懐かしい、と思うのと同時に、十五年後の今だからこそ、こうして出会いがあったのだろうと、遠く、近く、その十五年分を思った。 



2006.10.22

 「時折、

 「時折、分かることがありますよ。ああ、疲れてるなあ。うちの店にやっとたどり着いてくれたんだな、って分かることがある。……だから、頑張って美味しいものを作ります」
 と、ハチゾウさんは言った。ちょっとだけ泣けた。ハチゾウさんの彼女の桜ちゃんは、隣りでにこにこしていた。そのとき、だからあのレストランはいつも一番なのだし、なんだかちょっと、家族みたいに思えるんだ、と、思った。
 きっとずっと忘れない、そんな一言に時折、ふと、助けられている。

 *

 30歳になりました!お祝いメッセージをいただいた皆さん、どうもありがとうございます。
 目指せ、ピュアな40代。あたらしい一日一日を、ふつうに、大切にしていきたいとおもいます。



2006.10.21

 イギリス

 イギリスにいた頃、この時期に必ず買っていた大好きなものがあって、なにかというと、一枚のカレンダーだ。何のカレンダーかというと、クリスマスまでの日数を数えるもの。サンタクロースやら、もみの木やら、クリスマスらしいきれいな絵の中に、1から24まで、数字がかかれた窓がついている。その窓を開けると、中からまた絵が出てくる。十二月一日から、毎日ひとつずつ、窓を開くのだ。全部の窓を開くと絵が完成し、その日はクリスマス・イブ。なんとも大切なものを待っている気がして、わくわくする。

 窓は、何か新しい世界につながっているものだろう。わたしも毎日窓を開け放して生きていこう、と思う。



2006.10.20

ビーズのゆびわ

 土曜日、姉の子どもの幼稚園のバザーに行ったとき、姪っ子が大事そうに、可愛い指輪を買っていた。ブルーのビーズが編まれている。そうだわたしも、あんな指輪を作ってもらったことがあったな、と思う。
 小学校の頃だ。ビーズ細工に、随分と熱中していた一時期があった。今もあるのだろうか、書いてある通りにビーズを並べ、針金に通して形を作っていくと、いろいろな動物や植物がつくれる小冊子があって、毎日それを見ては、少しずつ作っていた。いるかや、タツノオトシゴ(子どもドラゴン!)や、色とりどりのお花をつくり、クッキーの缶に大切にしまっていたのだ。甘ったれな子どもだったから、いつも、それをつくるのは居間のテーブルでだった。そこにいれば、母や、姉や、誰かがいつも近くにいたのだったから。
 当時、父が働いていた工場は家のすぐ裏手にあり、時折ふと手が開いたときに、家に戻ってくることがあった。その日もたまたま、そうだったのだろう。作業服のまま、大きな足音をたてて居間にやって来た父は、わたしがやっているビーズ細工に目を留めて、そのままそこに腰を下ろし、なにやらごそごそつくり始めた。しばらくすると、編んだ指輪をぐるっとわたしの指に巻きつけ、ぴったりの大きさでぱちんと結んで留めてくれたのだった。指輪が嫌いな女の子は少ないとして、そのときは随分嬉しくて、家にいる間は、ずっとしていたのを覚えている。
 だから、何日か後に、お客さまがやってきたときも、わたしはその指輪をしていた。そのときもわたしは居間にいたので、お客さまはわたしの指輪に目を留めて、「あら、可愛いわねえ」と言ったのだった。子どもが作ったにしては凝ったものだったから、誰かに作ってもらったと思ったのだろう、「お姉さんに作ってもらったの?」と聞かれたのだが、「ううん、お父さん」と答えると、目を丸くされた。その時はどうしてだろうとその反応を不思議に思ったのだが、今思えば、驚かれたのも当たり前、いつも大声で怒鳴るように話し、すぐ怒ってばかりだった父が、可愛らしいビーズの指輪を作るなんて、普通に考えれば信じられない話なのだった。
 わたしよりも母がそのことをよく覚えていて、何年か経っても、たまに思い出したようにその話をしていた。そして、あの時はおかしかったわねえ。普通に考えたらおかしいわよねえ、でも、お父さんはわたしなんかよりずっと器用なのよねえ、と言うのだった。
 あのときの指輪は、どこへ行ってしまったのだろう。それでもきっと、実家のどこかでひっそりと、きらきらしているに違いない。母は、あのときのビーズ細工を全部保管していて、この前、上の姉の小さな姪っ子が、髪飾りが欲しくて泣いたときに、お花の形のそれを取り出してきて、ピンでとめてあげたのだから(もちろん、姪っ子は泣き止んでにっこりした)。
 と、そんなことを考えたていたら久しぶりに実家に帰りたくなって、こんな歳になってもまだ、わたしはあの人たちの子どもなのだと、切なく甘く、そう思っている。



2006.10.19

 オフィス

 オフィスの中は不夜城のようで、夜中でも煌々と明るい蛍光灯に照らされている。コンピュータを使う仕事なので、一年中室内の温度は保たれている。夏も、冬も、薄手の長袖がちょうどいい。パーテーションで区切られた自分の席、ガラス張りのサーバールーム。ここ七年ほどは、家にいるよりもずっと長い時間を過ごしている場所だ。自然、というのとはほど遠いが、それほど悪い仕事場ではないと思っている。広いしっかりとしたデスク、天気のいい日は窓から富士山が見える。社歴が長いぶんだけ、いろいろなことの融通は利くし、(例えば、おそらくデスクが二つ欲しい、といっても聞き届けられるだろう)、それなりに居心地がいい。
 それでも、やはり偏ってはいけないのだ。いろんなことを長く続けていくには、バランスが一番大切なのだ、と思っている。それは、仕事を始めてから言わば身体で学んできたことで、極端に走ればかならずどこからか、綻びがでる。とはいえ、バランスの取れすぎた人生はつまらない、時にはすべてを投げ打って没頭することが必要だ、とそう思うこともあるし、それはある意味で正しいのだが、身を崩すほどの何かは、長続きしないのだ。
 高くて細いブロックがどこまでも続いている。その上を歩いているのが自分、右に見えるのが広くて青い海、左に見えるのがどこまでも続く砂丘だ。右にも左にも、飛び降りたいけれど飛び降りず、歩いていく。海の香りがし、時折、砂が吹いてくる。それでも歩き続けるのだ、と思う。時折辛いが、上を見上げれば、空も星もある。……そして、いつか、ひろびろとした広い野原に出られるだろうか。
 小さい頃、よくブロック塀によじ登っては、駆け出したことを思い出す。あの、ふわふわした感じを、今も覚えている。


 *


 仕事を終え、停めてある自転車のチェーンを外していると、植え込みからかすかな虫の声が聞こえてきた。リ…、リ、リ、リ……。消えてしまいそうなかすかな声。君はそこにいるんだね、と、そっと自転車を動かす。
 随分と風が冷たくなった。そろそろ、手袋の季節か、と思う。坂道を上るとき、かすかにチェーンが引っかかるような気がしたので、自転車を降り、タイヤを回しながらギアをカチカチと替えてみる。すると、随分よくなった。この乗り物を好きなのは…、とわたしは思う。わたしがこの乗り物を好きなのは、すべてが確かで無駄がない気がするからだ。つまり、端正であるということ。理解し、信用できる、ということだ。
 もう一度、ゆっくりと坂を上り始める。桜並木の坂道を上りきれば、道が開け、そうすれば家はもう、すぐそこにある。
 



2006.10.18

 その幼稚

 その幼稚園の入り口には、小さなマリア像が置いてあった。ささやかな玄関に入ると、木の靴箱。子どもたちの小さな靴が並んでいる。教室をそっとのぞくと、何人もの子どもたちが、それぞれ机に向かったり、床に座ってなにやらしている。ピンク色の小さな木の机と椅子。「お仕事をしているんですよ」と、先生は言う。モンテッソーリ教育では、教具やなにか道具を使って作業することを「お仕事」というのだという。世界地図を広げ、国の名前を暗証している子もいれば、コーヒーミルで豆をひいている子もいる。いい匂いがしているのは、クッキーを焼いているのだろうか。ふと、小さな甥っ子を探してみれば、目隠しをして、なにか木の道具を並べていた。

 姉の子どもたちが通っている幼稚園はモンテッソーリ教育をしているところで、話を聞くと、なにかちょっと、わたしのよく知っている「幼稚園」という場所とは違うようだった。姪っ子が持ってきたきれいな紙細工は「お仕事でつくった」というし、歳の違う子どもたちが皆同じ教室で過ごすのだという。教育のメソッドとしてのシュタイナーやモンテッソーリの名前は知ってはいたものの、実際、幼稚園に行ってみるまで、それがどういうことなのか、わたしにはよく分からなかった。
 先日、機会があって普段の日に見学に行き、子どもたちと遊んで帰ってきた。モンテッソーリ教育を云々するつもりはないが、なんというか、子どもたちが皆自由で楽しそうで、(だから一見、野放図にも見える)、こんな幼稚園だったらもう一回行ってもいいな、なんて思った。何しろ、わたしは子どもの頃、幼稚園が嫌いで嫌いで、毎日玄関の柱につかまって大泣きしては、父にひっぺがされて、送迎バスに乗せられていたのだ。

 先週の土曜日、その幼稚園のバザーがあるというので出かけていった。幼稚園の前の広い公園にテントが張られ、食べものや子どもたちの遊び場やら、子どもたちがお給仕してくれる喫茶店などがある。甘いフレンチトーストを食べ、ふわふわのポップコーンをもらい、子どもに混ざってバトミントンをし、手作りのクッキーをさくさく食べて帰ってきた。楽しかった。
 甥っ子が少し年上の女の子と手をつないで駆け回っているのを見て、小さな女の子が木登りしているのを見て、あたたかく、そしてまぶしく思う。あの、子ども独特のきらきらした感じ、跳ねるような空気、手のひらの熱さ……、どうか、あなたたちのこれからが健やかなものでありますように、と、希うように思った、なにか金色をした土曜日の午後だった。

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キリンの看板。手づくり。

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野生児な甥っ子。この、何かたくらんでる顔!写ってませんが裸足です。

幼稚園のホームページはこちら→聖イリナモンテッソーリスクール
 



2006.10.17

 リネンの

 リネンのシャツのような、とむかし言われたことがあって、とても嬉しかったのを覚えている。できれば、そう、天然素材でいたいと思う。でも、今なら、洗いっぱなしの白い綿のシャツがいい。特に目立たず、じゃまをせず、それでも着心地がよくて、くつろげて、もう一枚の皮膚になる。



2006.10.16

 自宅から

 自宅から羽田までは、朝ならタクシーで30分、出発時刻の一時間前に家を出れば間に合う。八時の飛行機で伊丹まで。機内で朝食(パンプキンスープとパン)。タクシーで梅田、コーヒー(が飲みたかったけれど胃が痛いので実際はホットミルク)を一杯、打ち合わせは十時過ぎから。お昼に終わり、またタクシーで伊丹へ。高速をつかい、二十分ほどで着く。二時のフライトで羽田へ、(その前に空港で昼食)、タクシーで会社までは30分強。こうして、(少なくとも物理的には)、午前中の打合せならそれが関西でも、夕方前には本社で通常業務に戻れる。しかし、身体はこんなふうにあっという間に行ったり来たりできても、少なくとも頭の方はぼんやりする。何か空の上にでも、忘れ物をしてきたような気持ちで、たとえいつもの自分のデスクにいても、その場所に自分を合わせるために時間がかかる。

 自分のしていることは、何か初めから決められていることなのではないか、と思うことが時折ある。会議が設定され、わたしはそこに運ばれ、意志的な(と、少なくともその時点でわたしは思っている)発言をするが、それは実は決められていることで、例えばわたしがそこでする提案も顧客の反応もあらかじめ通るべき(と、決められている)道筋を辿っているだけで逸脱はしない。自分は城壁を作る石のひとつのように、削られ、そこに嵌め込まれているだけで、周りも大方似たようなもの。そして、今はそれとは分からないが、いつか、すべてがそういうことだったのだと分かる日が(知らされる日が)来るのではないか、などと、そういうふうに思うことがある。今日は、たまたま(…なのか?)そういう日だった。
 
 しかし、ちょっと疲れたなあ。

 *

 Rさんの秋の十冊。ふむふむ。秋の夜長にぴったり。そうかあの本、わたしも読みたいな、という感じ。
 松浦弥太郎さんの文章、わたしはなんでだかものすごく好きです。横木安良夫さんは、わたしにとっては、「鷺沢萠を撮った写真家」として記憶されている、という……。(ちなみに、幸田文、といえば木村伊兵衛、カポーティならブレッソン、カルチェ=ブレッソンと言えば、『ポートレイト内なる静寂』は今一番欲しい本です、実は。)オースターは新刊も出てますね。読むのが楽しみ。



2006.10.15

 秋の空の

 秋の空の下、会社に向かってぶらぶらと歩いていたら、さやさやと風が吹く。青い空、澄んだ風、だんだんと瞼が重くなる。だめだ、倒れそうに眠い、と思いながら、やっとのことで子どもたちが遊ぶ公園にたどり着き、ベンチでごろりと横になる。えい、ここで寝てしまえ。目を閉じると同時に気が遠くなり、泥のように眠る。秋の日差しはやわらかく気持ちよく、しばらくぐっすり眠っていたのだが、やがて海のそこから引っぱり起こされるように、子どもたちの笑い声で目が覚めた。近所の悪ガキどもが、膝を立てて寝ていたわたしの足の甲に、ごろごろと石を積んでいたのだった。ブーツが砂だらけ。ガリバーみたい。

 *

 おお、友人のページで、秋の十冊、十曲、十本が書かれているではないですか!
 荒木陽子の『愛情生活』は、最近何故かよく呼ばれる一冊であります。



2006.10.14

 虫の声が

 虫の声が聞こえるでしょうか、と、留守電に友人からの声。秋吉台にいるのだという。空の近く、星の近くだろうか。少し羨ましくなって、いくつかのサイトを調べる。「秋吉台ははるか昔、遠い海でサンゴ礁として誕生しました……」。わたしもどこかへ行きたくなって、しばらく、耳を澄ます。
 午後の飛行機で大阪。打ち合わせの後、宴会に流れる。大騒ぎ。胃が痛くなるのが怖くて、ビールの後はカルピスだけで過ごす。おひらきの後、こっそり新地へ行って、日本蕎麦と鰊。肌寒い。晩秋、という言葉がふと頭をよぎる。



2006.10.12

 わたしが

 わたしが生まれた町に今も実家はあり、父も母も行ったり来たりはしながらもそこに住んでいる。わたしの「実家」と言えば、まぎれもなくその場所のことで、築何十年かのボロ家だが(実際傾いでいる)、思い出が地層のように降り積もっている、好きな家だ。わたしはいつも、「帰る」といえばともあれそこのことを思い浮かべてきた。一時的にどこにいようと、それはいつも変わらなかった。
 一方で、その時々で住んできた家がある。父の仕事の都合で、中学一年の終わり、千葉に転校した。とりあえずの荷物をまとめて移ったのは、小ぢんまりとした団地の中のひろびろとした家で、庭には金木犀の木があった。中学二年の終わりにわたしはイギリスに行くことになるので、きちんと住んだのはほんの一年の間だが、そこでの記憶はなにかきらきらと明るい。なにより母がその家を好きで、楽しそうにしていた。その家に運んだ荷物は必要最低限のものだったから、家の中はいつもすっきりと片付いていて広く、近所の奥さんたちもいい人たちばかりだといっていた。実家の裏で父が工場をやっていたので、そちらにいるときはもしかしたらなにか、いつも気が張っていたのかもしれない。その家に住んでいたときの母はいつもより少しすっきりと朗らかだった(気がする)。少し歩くと、フランス人のおじさんがやっているパン屋さんがあり、美味しいお蕎麦屋さんもあり、母はいつもここはいいところだと、繰り返し言っていた。早く学校が終わった午後には、母とパンを買いに行った。焼きたてのパンを抱えた家への帰り道、ふかふかのフランスパンのいい香りにどちらからともなく我慢できなくなって、少しだけちぎってつまみ食いをしたりして。
 わたしも、学校にはいい友人たちがいて、毎日楽しく、何の心配もなく過ごしていた。家があり、守られていて、学校では歌い(合唱部だったのだ)、家に帰ってくると庭でフルートを吹いた。イギリスで、寮に入る少し前のこと。いい日々だった。
 金木犀が咲く頃になると、あの家の庭を思い出す。日当たりのいい、芝生の庭。そうして思い出しては、ああ、あれは幸せな一年だったな、と思う。たぶん、初めから期間限定の住まいだったからこそ、こんなに美しく記憶されているのだろうが、思い出すたびに少しほっとする、他愛もないが幸せな話である。



2006.10.11

 雪見さん

 雪見さんの「秋の十冊」。いつも素敵なセレクションです。うっとり。
 空の二階の「秋の十冊」はこちら。
 さあ、皆さんも、書くなら今ですよー!、冬の前に、是非。

 *

 とにかく胃が痛い。ここ数日は、ようやく眠りについても痛みに揺り起こされる、そのくらい痛い。以前同じ症状に悩まされたことがあって、そのときは病院で精密検査までしてもらったのだが、痛んでいたのは胃と食道で、それも食道裂孔ヘルニアなのでこういう症状は出やすいのだと言われ、薬を処方してもらっておしまいだった。今回も多分それだろうなあ、と思いつつ病院へ行く。しかし、痛い。ああここが食道だったのだな、胃だったのだな、と痛くなって初めて確かめているのだからおかしなものだ。身体のなかで、普段は何も意識しないうちにひとつひとつの部品(といったらおかしいだろうか)が滞りなく動いてくれていたのだなあ、と思う。
 お酒はダメ、炭酸飲料もダメ、辛いものとコーヒーは控えた方がいい、といつか聞いたようなことをまた念押しされて、しょんぼりとしていたら、「ところで仕事は忙しいですか」と聞かれる。つまり、ストレスはあるか、ということ。
 「仕事は忙しいですが、それは慢性的なもので、今特に大変ということはありません」
 と、答えたのだが、たぶん先生の言う「忙しい」と、わたしがいう「忙しい」の間にはギャップがあるのだろうなあ、と思う。
 (つまり、「つまりですね、週に一回か二回は会議で出張があるので始発の新幹線に乗り、普段家に帰るのは大体11時過ぎのことで、土、日のどちらかは大抵仕事をしていますし、月に何回かは接待で家に帰るのが一時過ぎになります。時々システムのトラブルで徹夜もします。」というのが、「今特に大変と言うことはない」わたしの毎日なのだが、(何が標準なのかはよく分からないけれどそれでも)現代日本の標準的なサラリーマンの姿からしたら、「結構忙しいんです」と言ってもいいような気がするがどうでしょう。)
 しかし、先生は胃腸科のお医者さんでありわたしのカウンセラーではないので、わたしは特に付け加えもせず、先生はなにやら頷いて薬を処方してくれた。まあ、そのうち治るだろう。しかし、痛くて眠れないのは困るので、頓服を出してもらう。これで、多分大丈夫。



2006.10.09

 ここ数日

 ここ数日、写真展に出す作品をひとつだけ選ぶために、ネガやらベタ焼きやらを眺めては溜息をついていた。どれもこれもぱっとしないのだ。それでも、結局は迷いなく一葉を選んだ。車の中、後部シートで撮った写真。ほとんどいつもモノクロで撮っているのに、それはたまたまカラーで、運転席と助手席に座っている二人が、ゆるやかにお互いを見ている写真だ。秋のやわらかなひかりが横から差し込んでいる。本当に何気なく撮ったスナップだった。思えば去年も、こうして展示会用に選んだ写真は、何も考えずに撮ったものだった。何点かを並べ、どれを引き伸ばすか選んだときにも、「どれも普通に上手い写真、だけど、これはいいよ」と言われたのだった。その、「どれも普通に上手い写真」はみんな、展示会用に、と、わざわざ遠くまで出かけて撮ったものだった。選ばれた写真はその帰り道、ついでのように撮ったもので、それでも誰が見ても、大きく引き伸ばすならこれ、というのだった。
 作為が見えてはいけない、ということなのだろうか。それとも、力が入ってはいけない、ということなのか。選ぶ一点があってよかった、やら、それにしてもあんなに頑張って撮ったのに、とやら思いながら微妙な気持ちで歩いていたら、ふとあることを思い出した。
 
 小さい頃、習字教室に通っていたことがある。お隣のうちが大きな農家で、その一室を借りて毎週土曜日、先生がやってくるのだ。土曜の午後になると、わたしは姉のお下がりの習字道具を持ってそこに通った。小さな机がいくつも並べられていて、そこに正座してそれぞれ書くのだ。別段上手くはならなかったが、それでも墨を擦り、半紙に大きく字を書いていくのは楽しかったので、毎週、何枚も何枚も、書いた。
 毎回、課題になっている字を練習し、最後に清書をして何枚かを先生に持っていき、保存する一枚を選んでもらうのだが、そのときにいつも不思議に思うことがあった。清書するんだ、と気合を入れて書いたものはいつも選ばれない。いつも、選ばれるのは、自分では何気なく書いたと思う一枚だった。
 あんまりそういうことが続くので、不思議になって先生に聞いたことがある。
 「先生、これ、ポンポン、って何も考えないで書いたのに」
 「それがいいんですよ。自然に書いたものが一番いい」
 「どうして?」
 「お習字、好きでしょう?」
 「はい」
 「力を抜いて書くとね、好きっていう感じが分かる字になるの。それがいい」
 「先生、じゃあ、どうして練習するの」
 「練習しないとね、きちんとした字にならないの。はねとか、はらいとか、決まりがあるでしょう?いくらいい字でも、めちゃくちゃに書いていいってわけじゃないのよ……」
 
 もしかしたら同じことなのかな、と思い、それにしても小学生のときに聞いたことを今思い出すなんて、と、少し笑った。先生、あの時はありがとう、とちょっと伝えたい気がしたのと同時に、じゃあ、もっともっと撮らなきゃな、と、思いながら、二十年後の秋を歩いている。



2006.10.08

 秋の朝に

 秋の朝には何故か紅茶が似合う気がするので、朝からガラスのポットで金色のお茶を飲む。こんな日には外でお茶が飲みたい、本を持って……、と思うのだが、家の中でぼんやりとしているうちに青空にほんのりと藍が混じる。夜の気配。ああ、今日も無為に過ごしてしまった、と、切なさと甘さがない交ぜになった微妙な気持ちになりながら、太陽の匂いがする洗濯ものを取り込み、ブーツを履いて外に出た。ぶらぶらと歩く。
 秋の夜は物悲しくてすこしいい。夏の宵はもっと期待が混ざりざわざわする時間だが、秋は程よく枯れてあてもなく外を歩くのにちょうどいい。誰かを誘うでもなく、ただ自分ひとりのために、眠りにつくまでの時間を過ごす。素晴らしい風が吹く。きらきらと空の青が夕暮れに溶けていくが、鞄の中のカメラを取り出すでもなく、ただ歩いた。



2006.10.07

 風と雨の

 風と雨の音を聞きながら眠ったら、青空の朝が来た。半分眠ったまま洗濯機を回し、窓を開ける。気持ちがいい。部屋の中を風が通り抜けていくのが分かる。秋の空気、澄んでいる。ずっと気になっていた衣替えをし、荒れていた家を片付けていく。傘を干し、家具の埃をはらい、掃除機をかけ、ついでに本を整理する。窓の外、一日中、心の隅々まで行き渡った青空の後には、なんともすばらしい夕焼け。生きていくのにうってつけの日、と月を見ながら思う。



2006.10.05

傘がない

 傘を持ち歩くのと雨に濡れるのだったら、雨に濡れる方が好きだ。だから、家を出るときに見上げた空が、今にも降りだしそうな灰色をしていても、大抵わたしは、傘を持たずに歩き出してしまう。今朝もそうだ。自転車を会社に置いてきてしまっていたから、電車でいかなければいけないけれど、30分も経たずに会社には着く。会社には傘がある。まあ、大丈夫だろう、と思ったのだ。
 ところが、電車を降りたとたん、結構な雨が降っていた。少し待ったが、やみそうにない。近くにコンビニはあったけれど、傘なしでいけないことはなさそうだったので、そのまま歩き始めた。
 すれ違うほとんどの人が傘をさしているのに気づく。歩き始めたときより、強さが増したようだった。トレンチコートでも着ていたらよかった、と思うけれど仕方ない。こういうときに何が気になるかというと、濡れていく自分ではなく、悪目立ちすることなのだった。(なので、周りに誰も歩いていない時は、雨の中を歩くのも結構楽しい)髪の毛からぽたぽたと雨が滴る。レインコートを着た犬が、飛び跳ねながら傍らを通り過ぎていき、気の毒そうにこちらを見た。少し、寒くて、だんだん寂しくなってきて、とぼとぼと歩く。ちぇ。

 川沿いの道を曲がったところで、後ろから声が聞こえた。と同時に雨が降ってこなくなり、見ると、大きな傘が差しかけられているのだった。近くに住んでいる、仲良しの先輩だった。
 「濡れている人がいる、と思ったら桃さんだった。びっくりした、ここで会ってよかった、大丈夫?」と言う。ありがとうございます、と有難く傘に入らせてもらい、5分ほどの道を並んで歩く。とたんにわたしは元気になって、そうしてみると、傘に落ちる雨音さえやわらかく聞こえるのだった。

 会社に着くと、その先輩の肩は、わたしと反対の片側だけすっかり濡れてしまっていた。「ごめんなさい、ありがとうございました」、というと、「ううん。昨日、うちの部署で嫌なことがあって、あの時、会社、いきたくない気持ちになってたの。あそこで会えてよかったです」、と。
 手を振ってエレベーターを降りていく笑顔を見ながら、後でご飯でも誘おうかな、と思った。もう、ちっとも寒くなかった。



2006.10.04

秋の十冊

 宮沢賢治『どんぐりと山猫』
 サマセット・モーム『九月姫とウグイス』
 ボルヘス『砂の本』
 小川洋子『ブラフマンの埋葬』
 オースティン『高慢と偏見("Pride & Prejudice")』
 宮本輝『錦繍』
 志村ふくみ『一色一生』
 北村薫『秋の花』
 稲垣足穂『人間人形時代』
 白洲正子『かくれ里』
 
 山猫から手紙が来るのは九月十九日。もう過ぎてしまったけれど、今年、わたしのところには届きませんでした。モームは『月と六ペンス』にしようかとも思ったのですが、こちらを。このお姫さまは九番めに生まれたから九月姫。九月とは関係ないのですが、でもとても好きなお話なので入れます。同じ砂は砂でも、安部公房の『砂の女』は夏、ボルヘスの『砂の本』は、秋、という感じがする。さらさらと流れ続ける砂のように始まりも終わりもない本、この砂は雪に少し似ている。『ブラフマンの埋葬』は何故か「金色」のイメージ。オースティンの"Pride & Prejudice"、邦題はなぜかどれもしっくりこないのは何故だろう。宮本輝の『錦繍』は、やり取りされる手紙が経糸と横糸のように物語を織っていく一作。『一色一生』はいつ読んでも素晴らしいのですが、山が錦に織られる秋に、是非。『秋の花』は物悲しくも心優しい。秋にはタルホ……と思うのは、月が近しく見える季節だからでしょうね。『かくれ里』は白洲正子で一番好きです。
 
 おまけ。
 詩だったら…
 ・佐藤春夫「秋刀魚の歌」
 ・ヴェルレーヌ「落葉」
 ・西条八十「烏の手紙」
 ・李白「峨眉山月の歌」
 ・ヒーニー「九月の歌」
 
 *
 
 「峨眉山月歌」
 
 峨眉山月半輪秋
 影入平羌江水流
 夜発清渓向三峡
 思君不見下渝州

 君思えども見えず、のところが良い。



2006.10.03

 あちこち

 あちこちを行ったり来たりして慌しく暮らしているうちに、いつの間にか季節が移っていく。雨の音を聞きながら眠る夜は長く、朝はひっそりと透明にやってくるようになり、風は時折、驚くほど冷たく吹く。銀杏並木が色づき始めるのもそう遠くないかもしれない。
 出張から帰ってきてからというもの、軋むように身体が重いのはどうしてだろう。目覚めが悪く、目に映る世界の重心がどこかずれている気がする。少しのことが気に障り、仕事が滞り始める。しかし、もう何度となく繰り返しやってきたはずのこうした不調を乗り越えるためにわたしができることといえばごく僅かしかなく、目のまえの一日一日をただ丁寧に過ごしていくこと、そして、これが自分だけに降りかかる特別な厄災ではないのだと理解しておくことだけなのだった。
 
 *
 
 出張の帰り、新幹線の窓からぼんやり外を眺めていると、何か目の端を黄色いものが横切った。よくよく眺めると、それは黄金に色づいた稲穂の海だ。稲穂を通り抜けるざわざわとした風の音や、あの、乾いたようなあたたかい匂いを思い出す。ざくりざくりと稲を刈る感触まで手のひらに浮かび、つまり、田圃に囲まれて育った、ということは、そういうことなのだ。
 座席に深く座って目を閉じた後も、あの金色が目の裏にいつまでもあたたかかった。



2006.10.01

 本棚に、

 本棚に、一冊のペーパーバックがある。よしもとばななの、『とかげ』。Faber and Faberの、ポケットサイズだ。
 いつ買ったのだったか、もうあまり覚えていない。高校の頃だったか、大学時代に遊びに行ったときだったか。どちらにしろ買った場所はロンドンのオックスフォードストリートにある大きな書店で、確か、白い壁の清潔な店内のところどころに大きな椅子が置いてあった。今はどうか分からないけど。
 それがどんな国であれ、わたしは書店という場所が好きだ。なんというか、自分の居場所があるという感じ。だから知らない街角を歩いていて疲れたときには、いつのまにか書店に入ってしまうことがある。この本も、そうして買った一冊だった。
 そのころ、英語の本と言えば、例えばジェーンオースティンとか、デュ・モーリア、ワイルドやディケンズを読むことが正しいと思っていて、思っていたのだが、多分そういうのに疲れていたのだろう、わたしはふらふらと日本人作家の棚の前に行ったのだった。三島由紀夫…川端康成…阿部公房……村上春樹、と追っていくと、ふとよしもとばなな、という名前が目に付いた。『とかげ』はいつか読んだことがあったが、わたしはこの一冊を選び出しレジへ向かった。"Lizard"。それからわたしは、馬鹿みたいに繰り返し繰り返しこの本を読んだのだった。そうして、"Lizard"は『とかげ』より深く深く、その頃のわたしに吸い込まれていった。
  
 よしもとばななの『ひとかげ』を読んだ。『とかげ』のリメイクだが、『とかげ』よりずっとずっといい、と思った。あの頃のわたしは『とかげ』を好きだったけれど、今のわたしは『ひとかげ』が好きだ、という感じ。実は、もうずっと長いこと、よしもとばななの文章の中では「ムーンライト・シャドウ」が一番好きだ、と頑なに思っていたのだが、去年くらいからだんだんと、ああ、やっぱり最近のものがいいな、と思うようになったのだった。『ひとかげ』を好きだ、と思うのも、その感じに少し似ている。
 

 よしもとばなな『ひとかげ』幻冬舎