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2006.11.27

 目が覚め

 目が覚めて最初に、今日は何曜日だっけ、と思った。今日は月曜日、月曜日、と自分に言い聞かせながら身支度をする。週末、休めなかったことなど忘れてしまおう。それにしても、なにかぐったりと疲れている。つくづく、自分は団体行動にはむいていないのだ。旅行といえば一人旅ばかりだから、身勝手に行動する癖がついている。今回の出張はずっと上司とお客様と一緒だったから、気が抜けなくて大変に疲れた。

 今日は関西へ出張。東京から行くのはわたし一人だからそれでも気が楽だ。とはいっても、少しぼんやりしていたのだろうか、仕事を済ませ、帰りの新幹線の中で読もう、と本を買ったのだが、それはつい最近買って読んだ本だった。座席に座り、いそいそと本を開いのだがあっという間にがっかりして、窓の外を見ていた。

 ゆっくりと一日が暮れていくところだった。雨上がりの曇り空、うるうると山は際立ち、稲の刈られた田んぼはがらんと広がっていた。日本はきれいだ、と思う。しばらく外に出て、日本に帰ってくるといつも思う。しみじみとここは古里なのだと、今のわたしはそう思う。……昔は、そうは思わなかった。家族がいる家はここにあったが、この国自体を懐かしむ気持ちはなかったように思う。

 私は宿命的に放浪者である、と、昔読んだ本の一節を思い出し、結局のところ、わたしは放浪者ではないのだな、と思った。ここではないどこかへの憧れをいつも持ちつつ、いつもその場に留まっている。たとえどこかへ行ったとしても、必ずここへ戻ってくる。それは、好むと好まざると、もともと持っている性質のようなものなのか、それこそ宿命なのか。

 窓の向こうを、わたしが生まれ育った街が通り過ぎていった。



2006.11.26

 「桃ちゃ

 「桃ちゃん、大きくなった」と、会うたびに呉さんは言う。呉さんが父の工場で働いていたのはもう20年近く前のことで、その頃わたしは小学生だったのだから、当たり前かもしれない。呉さんは白髪が増え、あの頃は流暢だった日本語を少し忘れ、わたしの背は伸びて、仕事で北京に来るようになった。
 先週、父と母が北京に来ていた。呉さんも会ったのだという。父が呉さんと会ったのはほぼ十年ぶりのはずで、その十年の間に父は食道癌にかかり手術をし、随分と痩せた。「先生の顔、見てびっくりしました」と、呉さんは言う。「本当に痩せた。わたし、胸が痛かった。それでも……気持ちは変わっていないみたいだった」と。呉さんは、なんて言ったらいいのか、と迷った後で、紙に「精神」と書いた。「これは大丈夫。身体は痩せちゃったけど。分かりますか?」。分かります、その言葉は日本語でも同じです、と頷くと、呉さんはにっこり笑った。
 呉さんの隣には、息子さんが座っている。今回、父親にされた頼まれごとというのは、この息子さんのこと。大学を卒業し、就職してはいるが、できれば日本で仕事をしたい、そういう可能性のある会社で働きたい、という。つまり、うちの会社で雇えないか、ということで、まあとにかく会ってみましょう、ということになったのだ。
 英語でしばらく話をする。23歳、若いなあ、と思う。日本で働きたい、という気はある。それは分かる。けれど日本語は話せない、勉強したことがない、コンピュータ言語は分からない、コーディングの経験がない、これではちと厳しいか、と思う。日本で仕事をしたい、というその先にあるものが見えてこない。それならば、今の仕事を辞めてあえてうちの会社で働くことがお互いにとって本当にハッピーなのかどうか。
 わたしは呉さんをよく知っている。呉さんがどんな仕事をするかも。仕事に対する向き合い方も。正直、呉さんだったら、来てもらいたい、と思う。ただ……。

 「どうして日本に来たいと思うんですか」と聞く。「父がいつも僕に日本は素晴らしかったと聞かせてくれます。だから僕も日本で働いてみたい。それに……」「それに?」「……………」話が、微妙にすれ違う。

 最初は、漠然とした憧れが動機でもいいと思う。日本語もプログラミング言語も、最悪、これから覚えればそれでいい。でもその代わり、しばらくは我慢して、きっちりと勉強してもらわなくてはいけない。それはそれなりに努力が要るし、辛いだろう。当たり前の話だが、給与を出す以上それだけの仕事をしてもらえないのでは意味がないのだ。果たして彼は本当に大丈夫だろうか、それだけの気持ちがあるだろうか、と思ったとき、わたしには自信が持てなかった。

 とりあえず現地のマネージャーから連絡をさせます、と言った。片言の英語ではもしかしたら言いたいことも言えていないかもしれない。心配そうな顔の呉さんに、日本語で同じことを伝えた。

 呉さんの息子さんの今のお給料は月3000元(日本円にすると45,000円)、それでも一年目としてはいい方だ。たとえば、北京市内の、高級レストランのフロントの女の子がチップは別で月1000元だという。物価は、ホテルのカプチーノが36元、会社の近くの定食屋のチャーハンが12元、マクドナルドのセットが20元くらい。
 うちの会社の場合、日本採用であれば、国籍に関係なく同じ基準で給与が出るが、現地採用の場合、やはり新卒で未経験だと3000元前後。呉さんの息子さんの場合、今の会社と待遇はほとんど変わらない。日本で働けるチャンスはできるとしても、だ。呉さんの息子さんだもの、わたしにできることはしたい、と思う。けれど、わたしだって会社の利益を無視するわけにはいかない。つまり、多少の期待値分は上乗せできたとしても、結局、本人がする仕事以上の待遇は約束できないということなのだ。

 *

 わたしが払う、といったコーヒー代を、呉さんは決して受け取ろうとしなかった。呉さんと会ったのはホテルのラウンジで、コーヒー一杯だって、決して安い値段ではないだろう。なのに北京に来れば、呉さんはいつもわたしに、にこにことご馳走してくれる。そういう人なのだ。そういう気持ちの人なのだ。
 線の細い横顔に、おい息子、しっかりしろよ、と心の中で思う。「あなたのお父さんは本当にいい人ですよ」と、言うと、「でも父は、いつも僕に"ああしなさい、こうしなさい"としか言わない。それが僕はいつも気に入らないんです」と言う返事。親の心子知らず、か。それともわたしが、歳をとったのか。

 「呉さん、また日本に来てください。うちに泊まったらいいよ」というと、「ありがとうございます」と呉さんは言った。「わたし、日本好きでした。先生と、奥さんと、桃ちゃんと食べる食事は皆美味しかった」
 なんだったのだろう、なんだかやけに泣けて、わたしは目をパチパチさせながら、呉さんに手を振って別れた。



2006.11.25

 故宮に来

 故宮に来たのは久しぶり。もう、七年ぶりくらいだろうか。二十四人の皇帝が住んだ、広い広い宮殿の中を歩いていく。わたしは、ベルトルッチの『ラスト・エンペラー』や、『紫禁城の黄昏』や、小さい頃、一緒にここを歩いた姉が指差した屋根の飾りなんかをふわふわと思い出してばかりいた。
 もうわたしは、何かに深く感動することはできないのだろうか、とふと思う。ここ最近、美しいもの、歴史のあるもの、雄大なもの……、何を見ても、「素晴らしい」とは思うのだが、それ以上に心は揺れない。それが何かに、「慣れてしまっている」ということなのだろうか。どんな体験も、過去に起きたできごとをなぞっているような気がして、どこかいつも醒めている。それは、わたしの心が古びたせいか、それとも、ただ単に疲れているのか。
 そろそろどこかへいこうか、と思う。そろそろひとりでどこかへ行こうか、と。

 *

 話のネタに、と、お客さまを連れて回転寿司に入る。ああ、たぶんこれは魚そのままじゃないな、という味。繊維がざらりと舌にあたる。太巻きはまあまあ。一皿、ふた皿とって、精算をする。隣のお店で売っている台湾風お菓子はまるで今川焼きのような見た目をしている。屋台で、お客さまが、タツノオトシゴを焼いたものを買う。わたしは結構です、と後ずさりしながら言うと笑われた。イナゴは平気で食べられるのだから、慣れだけの問題なのだろうけれど。途中、あと二人お客さまが合流して、海鮮料理を食べに行く。こちらでのビジネスの話など。



2006.11.24

 枕元に置

 枕元に置かれたコントロールパネルに、外気温は4℃だと表示されている。エアコンの風が好きではないので、暖房は止めているのだが、部屋の中は暑いくらいだ。シャワーを浴びて、身支度をする。こちらの電源は220ボルト、ドライヤーの風量が違うので髪がすぐ乾く。乾燥しているせいもあるかもしれない。お茶をたっぷり飲んでいるのに、唇が乾く。
 外に出ると、ぴゅうっと冷たい風が吹いた。寒い。けれど、寒い寒いと思ってこちらに来たせいか、それほどの寒さは感じない。午前中はこちらの事務所で仕事。
 今の時期、メンバーの大半が日本で開発をしているので、オフィスはがらんとしている。そもそも、何故、皆を日本に呼んだかというと、こちらではなかなか効率が上がらないからなのだ。日本で決まった案件の開発を一部こちらで行うのだが、いつも埋めようのない温度差がこちらとあちらであって、残念なことに、上手く回っているとは言い難い。全体的な構想があって、設計書があって、納期があって、お客さまがいる。頭で考えれば、設計書どおりに納期を守って品質の高いものを開発すれば良いだけの話なのだが、それがなかなか上手くいかない。技術的な問題の場合もあるし、意思の疎通が上手くいっていない場合もある。曖昧な表現の解釈が双方で異なって、ふたを開けてみれば「そういうつもりじゃなかったのに」と、慌てる場合もある。結局のところ、きちんと事務所が稼動するシステムが、まだ出来上がっていないのだ。でも、今、何か手を打たなければいけない、なにか手はあるはずだ、と思う。
 
 *

 午後、お客さまを迎えに王府井のホテルへ。少し早くついたのでカプチーノを一杯。思いがけず美味しかったので、思わずエスプレッソマシンの方を振り返る。チンバリのオートマティック。20年前のこのあたりは砂利道で、馬車が普通に通っていたし傍らに練炭が山積みになっていた、と言っても信じられないくらいだ。いや、でも、東京だって同じようなものかもしれない。コーヒーなんて煮詰まっているのがあたりまえだったのは、そう昔のことではないような気がする。ケーキはいかがですか、と言われたので、止めておけばいいのにチョコレートケーキをひとつ。ちょっと興味があったのだ。口に入れるとものすごく甘い。歯が浮く、とはこういうことだったか、と思う。砂糖を煮詰めて固めたらこういう甘さになるだろうか。そういえば、「甘くない」ということが美味しいケーキの条件だとされるようになったのは、いつごろからだっただろう。
 お客さまがいらしたので、地下の広東料理のレストランへ。素材が新鮮で美味しい。時間が経つにつれ、ここはどこだったかも分からなくなり、意識をしなければ海外にいるような感じがしない。どこからか、ジャスミンの香りがする。



2006.11.23

 小さなス

 小さなスーツケースに荷物をつめていく。たとえ仕事でいく旅だとしても、わたしはこの作業が好きだ。去年の秋にこのスーツケースを買ってから、それがもっと好きになった。パタンとふたを開けると、仕切りもなし、ポケットもなし、がらんとした四角い空間があるだけなのだが、そこに少しずつ必要なものを入れていくのが単純に楽しい。わたしは、自分で荷物を持たない旅はしたことがない。だから、荷物は多すぎない方がいい。小さいサイズのスーツケースを使っているのもそのせいで、これならぎゅうぎゅうに詰めても、片手で持ち上げられる重さにしかならない。着るものを少し、化粧品のポーチがひとつ、シャンプーと石鹸、ノートパソコン、薬、柔らかい素材のストール、普段はかけない眼鏡。これで全部。それでも、8キロくらい。こうしてみると、必要なものとそうでないものがよくわかる。もしくは、大事にしているものと、そうでないものが。

 日本茶を淹れて飲みながら、実家に電話をする。今回の出張中に父から少し頼まれごとをしていて、その確認をしておこうと思ったのだ。母は最近、もう仕事を辞めろとは言わない。口に出さないだけなのだろうけれど。
 電話に出た母は、いつもより少し饒舌だった。先週でかけた旅行のこと、父の頼みごと、年末の予定のこと。気をつけていってらっしゃい、と、切れた電話を置きながら、「いってらっしゃい」を聞くのはいいものだな、と思った。

 *

 会社で少しだけ仕事。昨日のセミナーを聞いてくださっていたお客様からメールが届いている。「ぜんぜん緊張していない風だったけど……ものすごく緊張してたんでしょう!」ハイハイその通り、と思いながら返信。
 タクシーで一時間ほどで成田。飛び石連休の初日、空港はそこそこ混雑している。荷物を預け、保険の申し込みをして、飛行機に乗る。北京まで、四時間弱。



2006.11.22

 大勢の前

 大勢の前で話した後はいつも少し落ち込むのだけれど、もうあまりそのことは考えないようにする。反省は明日しよう。だいたい、パネルディスカッションなどというものは、ただそこにいるだけで精一杯の場合が多い。緊張で震える声を抑えるのがやっとで、手元の資料など見る余裕はあまりなく、粗を探せばきりがない。録画されたものを見たりするとさらに落ち込むのは目に見えているので、さっさと打ち上げでビール。ええい、飲んでしまえ。
 二次会に行く人たちに手を振って別れ、タクシーに乗った。街並みはもうクリスマス一色だ。今日は随分冷える。いつものお店に寄って、スパークリングワインを一杯だけ飲んだ。やっと肩の力を抜く。一人になってようやく、今日はまあまあよくやった方じゃないか、とぼんやり思った。



2006.11.20

 外資系証

 外資系証券会社へのプレゼンの後は会食。久しぶりに対外的な仕事をした。これから年末に向けて、少しずつそういう仕事が増えていく。パソコンに向かっている方が気が楽だし、本当はコーディングをしている方が好きなのだけれど、いまさらそんなことを言えるわけもなく、呼ばれればスーツを着て出て行く。
 それはそうと、今日は、お客様五人の中、三人が同年代。最近そういうことが増えてきて、嬉しい反面、少し焦る。今まではなんだかんだ言って、「まだ自分は若い」と思っていた。自分の歳で、この経験で、これだけやれれば上等、と自分を甘やかしていたといえばそうとも言える。しかし、もはやそんなことを言っている場合ではないのだとひしひし思う。もっと先を歩いている人たちはたくさんいる。
 たとえば金銭的な成功とか、社会的な地位とか、そういうものを手に入れたいわけではないのだ。(かといって、完全にそういうものに興味がないわけではないところが微妙なのだけれど)何はともあれ、まずはきちんと自分の仕事ができているか、それに尽きるのだと思う。最近は自分の仕事に少し怠け気味で、そのことにはっきりとした自覚があるからこうして引け目を感じるのだ。もう少し、しゃんとしなければ。
 (と、まあ、それはいいのだけれど、夜も更けて、鏡に映った自分の顔に素でぎょっとしてしまった。ああ、わたし、こんな肌ですか、そうですか、顔色も悪いし、目元はくずれてるし……、まあ、そりゃあ、もう三十だし……、なんて思った。泣ける。)



2006.11.19

 最近、雨

 最近、雨の休日は寝てばかりいる。
 どうしたことだろう、ここしばらく微熱が下がらないので、毎日どこかだるい。今日も昼前に出かけ、その時は午後は会社で仕事をしようと思っていたのに、あっけなく出先で具合が悪くなり、そのまま家に戻り、布団にくるまって寝た。少しわたしは身体を鍛えるべきなのだろう。いや、むしろ鍛えるべきなのは心かもしれないけれど。
 今週は、いつの間にか出ることになってしまったパネルディスカッションがあり、その次の日には出張で中国に行くことになっている。少し気持ちが内向きになっていて、外に出るのは気が進まないのだけれど、そうは言っていられないのが仕事というもなので、しぶしぶ出張用の分厚いコート(この時期の北京はものすごく寒い)などクロゼットからひっぱり出す。ここ最近、本をとんと読んでいないので、持って行く本が思いつかない。こういう時には万華鏡でも持っていったほうが楽しいかもしれない。
 ところで、今日、外出したときにバードコールを買ってもらった。小さな木の筒を中の金属に触れさせてくるくる回すと鳥のさえずりのような音が鳴るのだ。嬉しくて、外で鳴らしていたら、頭の上、柿の枝から鳥の返事が聞こえた。おおい、わたしも飛びたいよう、と、空を見上げながら言う。



2006.11.18

チーズフォンデュ

 小さい頃、母が、「今日はチーズフォンデュよ」と言うのを聞いて、「チーズ本流?なにそれ?」といった覚えがある。フォンデュ、という語彙が、自分の中になかった頃の話。本を読むのが好きな子どもだったから、その頃、新しい言葉に出会うのは、本からの方が比較的多かった。けれど、これは耳から覚えた言葉なのだ。だから、チーズフォンデュ、というと、わたしは台所に立つ母と、首をかしげる小さな自分を思い出す。
 寒くなってきたのでフォンデュが食べたいな、と思い、チーズを買って帰ってきた。ホーローの鍋ににんにくをこすって、そのままチーズを温める。フランスパンを切って焼き、リンゴをむいて、人参とブロッコリーとジャガイモを硬めに茹でる。あとは、ソーセージ。何をつけても大抵美味しいのがチーズフォンデュのいいところ。野菜もたっぷり食べられる。熱いチーズをとろりとすくって、大急ぎで口に入れると、なにか胃の底の方にぽっと灯がともったようで、あたたかくて美味しくて、いい食べ物だなあ、と思う。しかも、簡単だし。



2006.11.16

 わたしが

 わたしが住んでいるところは、東京、という雰囲気があまりしない。目隠しをして駅前までつれてきて、ふっととったら、どこか地方の街だと思う人もいるかもしれない。
 駅から家までの間に細い路地があり、その脇に小さなお店がいくつも並んでいるところがある。家庭料理を出す居酒屋があったり、総菜屋があったり、八百屋があったりだが、どの店も個性的で、夕方にそこを通りがかると、あちこちの店の前でお店の人と買い物に来たおばさんたちが世間話をしている。
 そこに並ぶ店のひとつに、小さなパン屋があるのだが、わたしはそこのパンが好きで、開いている時間に通りがかることができれば、大抵入って何か買うことにしている。お店の奥では、いつもパンが焼けるいいにおいがしていて、ドアを開けると、白衣に白い帽子をかぶった男の人がにこにこ出てきてパンを売ってくれる。そのお店に入るときは、こんにちは、と声をかけて入るのだが、そういえば最近こうやって買い物をすることが少なくなった。実家に居たころは、近所の魚屋さんでも肉屋さんでも、こんにちは、から買い物が始まったものだけど。

 *

 「こんにちは」
 「あ、いらっしゃい。もうずいぶん暗いですね」
 「しかも寒いです。今日は特に」
 「でも、その服あったかそうですよ」
 「寒がりなんです。コート着てこようか迷ったくらい」
 「あはは、じゃ、手袋もしなきゃ」
 「ハイ。明日はしようかな」
 「焼きたてなんで、袋少し開けておきますね」
 「ホントだ、あったかい」
 「ありがとうございます、またどうぞ」
 「ありがとうございます」

 *

 インゲン豆とチーズのパンと、野菜カレーパンと、バゲットをほかほか抱えて帰った。バゲットはチーズフォンデュに、他のパンは、朝ごはん。そういえばここに引っ越してきてから、わたしは少し太った気がする。



2006.11.14

 出張で大阪。新幹線の中から、きれいに富士山が見えた。雪をかぶって、後ろの空は薄く澄んだ色をしている。ああ、ああいう風に富士山が見えるということは、もう冬だ、と思った。
 わたしが通った小学校は田んぼの真ん中にあり、毎日わたしたちは、目の前に富士山を眺めながら朝の道を歩いた。ちょうど正面に富士山、右側に丹沢の山々、左側には新幹線の線路。視界を大きく遮るものは何もなく、だから、晴れた日、いつも富士山はそこにあった。季節ごと、山と、その後ろに見える空の感じは変わっていく。たとえば冬だと空気はがらんと乾いて、空は薄く透明に遠くまで澄んでいく。富士山は雪をかぶり、稲が刈られたあとの田んぼに風が吹きさらしていくのだ。(秋はもう少し空気がとろっとしている。空はもっと高くて青い感じだ。)
 だから、あんなふうに富士山が見えるようなら、きっと、朝は冷えるに違いない。そろそろ手袋を出してもいい季節だ。息も白いはず。……と冬の光景が思い出され、そうかもう冬なのだな、と、しみじみと思ったのだった。



2006.11.13

冬の十冊を選びました

 ・泉鏡花『天守物語』
 ・よしもとばなな『アルゼンチンババア』
 ・ローラ・インガルス・ワイルダー『長い冬』
 ・ポール・オースター『ムーン・パレス』
 ・ヒルトン『チップス先生さようなら』
 ・アンデルセン『雪の女王』
 ・ディケンズ『クリスマス・カロル』 
 ・鷺沢萠『大統領のクリスマス・ツリー』
 ・丸谷才一『輝く日の宮』
 ・幸田文『流れる』 

 『天守物語』は、晩秋のお話ですが、冬につながる澄んだ感じがするので一番初めに。『アルゼンチンババア』は、なんといってもこたつの描写がすばらしい。わたしもこたつに入りたい……。『長い冬』は、小さい頃、夢中で読んだ本。わたしの知らない「冬」があるんだなあ、と強烈に思いながら読みました。吹雪の中、橇で行く学校、しゅんしゅんと音を立て真っ赤に燃えるストーブ……。「大草原の小さな家」シリーズの一作です。『ムーン・パレス』もどちらかといえば晩秋か。『チップス先生さようなら』は、きりっとした冬にほっこりした名作を。『雪の女王』も、繰り返し繰り返し読んだ本です。少年カイの目に刺さるガラスの、なんときらきらしていることよ。ベタ過ぎる気もしますが、『クリスマス・カロル』も。最近、鷺沢さんの夢を見たので、『大統領のクリスマス・ツリー』。「強(つよ)い心と強(こわ)い心は違う」という一文を、ことあるごとに思い出します。『輝く日の宮』は、『女ざかり』と迷ったのですがこちらを。『流れる』は、年末年始にぴったり。

 池澤夏樹『スティル・ライフ』の雪の描写がすばらしい、とか、やっぱりクリスマスは『レ・ミゼラブル』だろう、とか、そうだ『マッチ売りの少女』もあるよなあ、とか、年末年始だったらやっぱりジェフリー・アーチャーか、とか、藤沢周平の『秘太刀 馬の骨』を入れたいなとかいろいろ思ったのですが、エイヤ、と選んだ十冊です。

 冬は映画も選ぼう!と思っていたのですが、力尽きたのでまた今度。



2006.11.10

 谷川俊太

 谷川俊太郎、という名前はそれだけでなにか明るくて、「いいもの」につながっている気がしていた。小さい頃から、ずっと。谷川さんの姿を見るたび、なんて素敵な人だろう、と思う。男の子のようにも、大人の男にも、おじいちゃんにも赤ん坊にも見えて、ほんとうに気持ちのいいことばを使う人。なんというか、徹底的に健やかなのだ。健やかで、いやらしくて、朗らかで、さわやかで、子どもみたいで、肉体派なのに知性的で、時々どきっとするほど格好良くて、つまり、こんな人が目の前にいたら好きにならずにいられない、という感じ。

 谷川賢作さんと俊太郎さんの詩と音楽を聴きに行った。健作さんのピアノと、俊太郎さんの詩と、ゲストはチェロの溝口肇さんと江國香織さん。会場の王子ホールは小さくて親しげなホールで、しかも昔からの友人と一緒だったので、なんというか、たっぷりと幸せだった。
 穏やかでやわらかな声、歌うように詩を読むすがた、ありがとう、というあたたかな手、にっこり笑って頷くところ、そんな断片がぱらぱらと身体の中に散って染み込んでいく感じ。ああ、この人と同じ時代に生きていてよかった、と、思いながら、身体の中からぽかぽかと家までの道を歩いた。



2006.11.09

 「お母さ

 「お母さん、かぼちゃどうやって食べよう」
 「煮なさい、煮なさい、甘く煮なさい」
 「出汁は入れるの?」
 「いれなくていいわよ」
 「味醂は?」
 「いれないの。どんな味にしたいの」
 「いっつもうちで食べてるみたいに煮たいのよう」
 「じゃあ、かぼちゃ切って、お水をひたひたにして」
 「うん」
 「煮えたらお砂糖とお醤油を同じ分量くらい入れて」
 「どのくらい?」
 「加減を見て入れなさい。でも少な目がいいわよ。あまり多いと、かぼちゃの味がしなくなっちゃうから」
 「それだけ?」
 「それだけ。かぼちゃが美味しければ、間違いなく美味しくできるわよ」
 「はい」
 
 *

 「もしもし」
 「あ、桃ちゃん」
 「はい」
 「かぼちゃどうしてるの」
 「今煮てるよ」
 「煮すぎちゃだめよ。かぼちゃによってはすぐやわらかくなっちゃうのがあるから」
 「うん」
 「ちゃんと様子見てね」
 「はい」
  
 *

 三十を過ぎてこの有様……。



2006.11.08

 六本木の

 六本木の片隅に、小さなお店がある。女の子が居た時代もあったのだが、今はマスターとママが二人でやっている小さなクラブだ。けばけばしくも地味でもないごく普通のお店だが、初めて連れて行かれたのは新入社員のころだったので、もう七年になる。昔は賑やかだったのだろうが、今は常連客も少なくなり、ドアを開けると、ママがソファに座って一人、読書をしていることもある。ドアの音でママはぴょこんと立ち上がり、パタパタと出てきてくれるのだけれど。
 そこでは、マスターがギターで伴奏をしてくれるから、普段はカラオケに行かないわたしも、マイクを握って歌う。とはいっても、最近練習しているのは、井上陽水の「白いカーネーション」(かもめ食堂に出てきた)だし、たとえば「サボテンの花」とか「池上線」とか、歌うのはそんな懐かしい曲ばかりだけれど。

 先日のこと。ひとしきり歌ってもう夜も更け、ほかにお客様も居なかったので、マスターとママとぽつりぽつりとお喋りしていた。
 ふと、「マスターは、今までに一体何万曲くらい歌ったでしょうね」、と言うと、そうだねえ、毎日毎日歌ってるからねえ、とマスターは答えた。
 「でも不思議なものでね、機械だったらもう、とうの昔に壊れてるよね、僕の手。でもね、手は壊れない。十八のときから、毎日毎日ギターを弾いて、それでもまだまだ弾けるんだよ。本当に人間の身体ってよくできてる」と、言った。
 「そうかそれなら、何万回、よりもっとかもしれないね。そのうち何十曲くらい一緒に歌ったかな」というと、マスターはにっこり笑った。「なんの、まだまだ何百曲でも一緒に歌えるさ」

 ママが、チョコレートとカプチーノを持ってきてくれた。わたしが好きなのを知っているのだ。マスターもママも、わたしのことを苗字でなく名前で呼ぶ。もう、何年もだ。
 それでも、わたしが会社を辞めたら、わたしはここにこなくなるかもしれない。マスターは、いつまでギターを引き続けるのだろうか。ママはいつまでこうして、毎夜お客さまを待つのだろか。ほんとうに、後何曲くらい、わたしはマスターと歌えるのかな、と思って少し寂しくなり、マスターが剥いてくれた梨をさくりさくりと齧った。



2006.11.07

 風が吹く

 風が吹く水曜日。青空の向こうで、大粒の雨がぱらぱらと舞っていた。オフィスの窓から差し込んでくる陽は、きらきらと背中を叩いていく。



2006.11.05

月夜の兎

 ほんの、数日前のこと。友人と夕暮れの散歩をして、ご飯を食べた。コーヒーを飲んで外に出ると、目の前に月が見えた。そこは半地下になっていて擂鉢上に吸い込まれるように低く、だから月は遥か上のほうで、しんしんと光っていた。普段はそんなことはしないのに、思わずカメラを構え、シャッターを切った。あの月に手を伸ばしたい、と思ったのだ。満月には数日遠く、少し欠けた、だからこそ完璧な月だった。
 そのひかりがすっと身体に吸い込まれてしまったようで、それ以来、どこか気持ちの中が一部分、青白く光っている。そして耳を澄ますと、かすかに音がするのだ。虫の音のような、窓ガラスをかすかに揺らす風のような音が。

 と、そんなことを思っていたら、偶然に、いつもメールをくださる方が教えてくれた。わたしがあの日見た月は、十三夜、のちの月だったのだ。

 遠く月を思い、遠くても近しい人たちを思った。どうか穏やかな日々を、どうか、と、祈るように思っている。



2006.11.04

 少し時間

 少し時間に余裕ができたので、そうだ海へ行こう、と思う。途中の駅で降りて、荷物をコインロッカーに預け身軽になり、海へ続く坂道を降りた。かすかに夕暮れの気配がする空を眺めながら、潮騒を聞く。空が広い。空は、こんなふうに、見上げなくても空なのがほんとうなのだ、と思う。波打ち際で、カモメが遊んでいる。ブーツの踵が砂にもぐる。一瞬考えたが、そのまま靴は脱いでしまい裸足で歩いた。ひんやりと冷たい足元から、もう、冬が来る。
 潮風で身体を満たし、ただ何をするでもなくぼんやりと立っていた。遠く、近く、波の音が聞こえる。水の音は、誰かの話し声に似ている。ふと誰かから呼び止められたような気がして、後ろを振り返った。

 時折こうして自分を調律することが必要なのだ。ひとりになること。がらんと広い場所にくること。できれば、海の近く、風が吹いているところで、自分に合った速さでしばらく歩くこと。

 *

 目的の駅に着くと、友人が車で迎えに来てくれていた。大学時代の友人たちが集まって、彼女の家に泊まりに来ているのだ。女の子ばかり五人、大騒ぎしながら鍋を囲む。もう、出会ってから十年になる。
 あの頃は同じ場所に立っていたわたしたちが、今はそれぞれ違う場所にいて、それでもこうして会えば淀みなく時間の続きは流れ、わたしはただ楽しくて、笑ってばかりいた。



2006.11.03

 ぼんやり

 ぼんやりと仕事。打ち合わせでウェスティンに行ったら、見事なクリスマスツリーが飾られていた。そうか、ハロウィンが終わったからか、と思う。ハロウィンの翌日がオール・セインツ・ディ、11月5日はガイ・フォークス・ディだが、日本ではどちらもとばしてクリスマスになる。
 ガイ・フォークス・ディは、イギリスでは各地で行われる大きなお祭りで、篝火を焚き、花火をあげる。子どもたちは人形を町中引き回し、それを最後に篝火に投げ込んで燃やすのだ。その人形が、ガイ・フォークス。国王ジェイムズ一世の暗殺と議会の爆破が謀られたとき、その実行犯として現行犯逮捕された男である。計画は実行寸前に発覚し、弾薬が運ばれた地下が徹底的に捜索され、彼は火薬とともに逮捕された。その事件にちなんでこの日、あちこちで花火が打ち上げられ、篝火がたかれる。毎年このお祭りが終わると、秋が終わり冬が来るのだ。ジョン・レノンのRememberの最後に出てくる"The fifth of november"も、このガイ・フォークス・ディのこと。
 と、そんなことを思い出していたらふと、この時期のロンドンの冷たい空気を思い出して、ふと、ああ、あそこへ戻りたいな、と思う。けれど、戻りたい、と言ってもわたしが戻れるところなどもはやなく、ガイ・フォークス・ナイトの花火も今はおぼろげな記憶の中にあるだけなのだけれど。



2006.11.01

 水曜日、

 水曜日、夜10時。かぶをよく洗って、出汁でコトコトと煮る。煮立ったら豚肉を入れ、アクをすくって弱火に。すっかりやわらかくなったころに味噌をひとさじ。ざくざくと切っておいた葉っぱも入れる。
 料理というものをほとんどせずに生きてきてしまったが、素材がよければ大抵のものはおいしく出来上がるのだ、ということに最近気づいた。あとは、手間を惜しまないことだ(これは、仕事でも同じ)。ほんの些細なひと手間のつみかさねが、仕上がりを左右する。個々で見れば大したことのないことが、全体の印象を決定的にかえるのだ。あなおそろしや、とも思うが、結局、嘘はつけない、ということなのだから喜ぶべきなのかもしれない。
 母が料理に関して繰り返すことに、「嘘のものはつかっていないのよ」というのがある。つまり、素材は素材のまま使う、素性のよくわからないものは使わない、ということ。夜の台所で一人、ガス台の前でそんなことを思い出している。