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2007.07.30
夏の嵐。
夏の嵐。
春の雷が吉兆なら、夏の稲妻はどうなのだろうか。
家に着いたとたん雨がバラバラと窓を叩く。ベッドの上、窓を開けて、光る空を眺めていたら、もう、ずっと昔のことを思い出した。
夏だった。その頃よく遊びに行った湖畔の家は、屋根が高く、窓が大きかった。都会で聞く雨音と、自然のすぐそばで轟く雷鳴は全く別のものだ。その日、雨は激しく降り続き、湖は増水し、空は時折、放電した。まだ、雷が怖い年頃だった。怖い、怖い、というわたしに、そのときたまたま遊びに来ていた姉の友人が、ずっとそばにいてくれた。
「かみなり、怖いよ」
「怖くないよ」
「何で怖くないの」
「ここには、雷は落ちないよ」
「どうして」
「雷は、もっと、ずっとずっと高い山の方に落ちるのよ。ここには絶対落ちないから大丈夫」
たぶん、わたしが小学生、そのお姉さんが、高校生くらいの頃のことだ。しかしそれ以来、わたしは、雷が鳴るたびに「ここには雷は絶対落ちない」などと必ず思うようになった。
そんなことを思って眠ったら、夢にあの家が出てきた。そこは元気な父もいて母もいて、風がそよそよ吹いていて、なんというか絵に描いたような、気持ちのいい夏だった。
2007.07.29
フルーツ氷
昔から、かき氷という食べ物が好きだ。
今は虎屋の3000円の氷あんずだって食べられる(実際、とても美味しい)のだが、それでもやっぱり、かき氷というものは、クーラーが効いた場所で食べるものではなく、外の、風がふいてくるところの食べものだ、と思う。
今住んでいるところの近所にはクラシックなフルーツパーラーがあり、アンティークなショーケースを横目で見つつ果物屋の軒先をくぐるように入ると、お母さんがのんびりと迎えてくれる。今の時期はなんといってもかき氷なのだが、「フラッペ」と呼ばれるそれは、赤や緑のシロップでなく果物のジュースがかかっていて、ゆったりと音を立てて回るかき氷機の風情やら、トントンと果物を切るお母さんの様子やら、店内のぬるい空気をかき回す扇風機やらと相まって、昭和の正しいかき氷、という感じである。ここの「氷フルーツ」(「フルーツ氷」だったかもしれない)は、ごろごろと桃やらりんごやらメロンやらが入っていてとても美味しい。願わくばこれにも、シロップでなくて生ジュースがかかっていてほしいなあ、など思いつつ、しゃりしゃりと氷を掬う。
遠くに雷鳴を聞きながら、喉を冷たくすべる氷に、ああもしかしたらこの食べものは、風を生むのだな、と、思う。
2007.07.28
火花
線香花火が欲しくて銀座をずいぶん歩き回ったのだが、お目当てのものには結局出会えず、しょんぼりと歩行者天国を歩く。
去年の夏、母が、昔みたいな線香花火がしたい、と言ったのだ。パチッ、パチッ、と大きな火花が勢いよく爆ぜ、最後には柳のようにほっそりとはかなく消えていく。今の線香花火は形こそ昔のままだが、ちっともあの、花咲くような火花ではない。昔のような花火は、もうどこにもないのかしら……。
今年もまた夏が来て、花火がしたいな、と思ったとたん、母のその言葉を思い出した。調べてみると、今、流通している線香花火の九割は外国産で、国産のものはごくごくわずかだという。そうか、それなら、国産の線香花火なら、母がいう「昔」の花火なのではないか。そう思い、何件かのお店を回る。きれいなパッケージ入りの国産の線香花火が売り出されているというし、ちょうどいいと思ったのだ。
ところが、その花火は大層人気で、どこも品切れなのだという。結局、教えてもらったいくつかのお店でもすべて売り切れで、近々入荷はするものの数は未定だという。お盆に帰る実家で、みんなで花火をしよう、とすっかり張り切っていたのに出鼻を挫かれてしまった。……つまらない。
暑い中、歩き回ったので少し疲れて、風月堂の二階のカフェでお茶を飲む。ぼんやりと、メロンのケーキを食べながら、線香花火の火花を思い出していた。
2007.07.13
綿菓子
最近、昔のことばかり思い出している。
思い出はどうしていつもこんなに頼りなく、でも限りなく甘いのだろうか。
2007.07.12
一番最初
一番最初に東京で夢中になったレストランは、広尾の「イル・ブッテロ」だった。ざわざわした商店街からほんの二十歩ほどのところにある、大きなお屋敷風のレストラン。くしゃくしゃっと花束のように丸めたメニューやら、暗めの照明、塩の効いた味付け、賑やかでしかし大雑把なサービス。オーナーもシェフもイタリア人で、時々ちょっとテーブルが傾いたりしていて、それでも愛すべき、大好きなレストランだった。一口食べると二度と忘れられない、と思った、強い、強い塩味。中でも四種のチーズのタリアテッレは絶品で、行くたび、いつも頼んでいた。
しばらくすると、外苑西通り沿いの、「イ・ピゼッリ」から「キャンティ」、少し離れて「アッピア」。ブッテロとは違う、丁寧で少しクラシックなサービス、日本人の舌にやさしい味。天現寺の方まで来ると、なんといっても、あのオライアンの岡さん(あの、オー・バカナルの、と言った方がいいかもしれない)の、 「ラ・ビスボッチャ」がある。間違いないイタリアン。素材の味をしっかり活かした、正しいイタリアンだ。岡さんのお店といえば、恵比寿の 「イル・ボッカローネ」もある。
特別な日と、大切な接待の日には、青山の「サバティーニ」へ。まだ、オーナーがお店にいた頃、切ってもらった生ハムの味が忘れられない。間違いなく、特別なときの、特別なレストランだった。
*
もう何度も書いたことがあると思う。わたしは、レストランという場所が好きだ。
……そして、なぜこんなふうに好きなのかというと、「そのレストランが、いつまでもそこにあるとは限らない」からなのかもしれない。
わくわくしながらフロアに通され、食前酒を飲みながらメニューを見る。ざわざわと周りのさざめきを聞きながら、ひとつひとつ料理を選ぶ。その日の体調、一緒にいる人、その日に美味しいもの、そのお店で美味しいもの……、行き届いたサービス、フロアの雰囲気、会話、どれひとつとっても、今、そこにそろっているのが奇跡みたいなことで、それが、いつまでも続くとは限らない。
一時期夢中になったレストランでも、経営が変わってしまい雰囲気が変わり、それきり足が向かなくなったところもある。そして、どんなに大好きなところだとしても、そこに「変わらないでいてほしい」と願うのは、傲慢なことだと思う。だから、「変わらないでいてほしい」とは、言えない。ただ、わたしに出来ることは、好きなお店には通い、信頼できる人たちにそこを紹介し、自分勝手だけれど、わたしなりに、そのお店を大切にしていく、それだけなのだ。
2007.07.11
ゆらゆら
ゆらゆらと、川底に沈んでいくやまなしからできたお酒は、どれだけ美味しかったのだろう。
去年せっせと漬けた梅酒が日に日にきらきらと金色になっていく。ついついすくって飲みたくなるのを我慢するかわりに、シロップ漬けの梅を、カリカリと齧る。来年の季節には、梅酒ではなく梅ジュースをきっとつくろう。小さい頃、母が飲ませてくれたみたいに。
雨がなかなか止まないのは梅雨だからで、梅雨はやっぱり梅の季節だ。ガラスにあたる雨の音を聞くとあの金色の飲みものが恋しくなるのは、もうずっと昔からの、決まりみたいなものだ。台所の片隅の大きなガラス瓶、祖母の部屋の窓際の、赤い蓋の入れ物、水玉柄のガラスのコップ。おばあちゃんの、絣の着物。土に沁みこむ雨音、田んぼに降る雨のにおい。
2007.07.09
プレスリ
プレスリリースしたばかりの新しい製品のせいで目が回るほど忙しく、深夜まで、自分のデスクで掲載紙の記事などをチェックする。もしもそれでよくなるものなら、締め切りギリギリまで手を入れたいと思うのが人情というもので、過ぎていく時計の針を恨めしく眺めながら、パソコンのキイボードを叩く。
なにか、最近読んだ雑誌に眞鍋かをりさんのインタビューが載っていて、そこに、昔はとにかく忙しく、慢性的に寝不足で、現場で時計の針が進むごとに、ああ、あと五時間しか眠れない、四時間しか眠れない、と辛い気持ちになっていた、と書いてあった。それを読みながら、そうそうわたしもそうだった、と深く頷いたのだった。昔はわたしも睡眠時間を確保するのに必死で、朝起きる時間から逆算しては、今帰れば五時間眠れる、ああ、今から帰っても三時間しか眠れない、もういっそ帰らないで仮眠室で寝た方がいいだろうか、などと思っていたのだった。
最近は、会社としても個人的にも、以前ほど仕事を詰め込むことはなくなったし、遅くなった日の翌日はその分遅く出社できるようになっているので随分楽だ。それでも、時折、あれほど働いていた頃のことが懐かしく思い出されるし、それがなんとなく自信にもなっているのだから、不思議なものだ。
2007.07.08
昨日のプ
昨日のプレゼンで、思いのほか疲れていたのだろうか。一日中起き上がれずにベッドでぐずぐずする。うとうとしては眼が覚める、ということを繰り返し、窓の外では雨が降ったりやんだりしていた。
夕暮れ時に起き出してみると、お鍋の中にはミートソースが、冷蔵庫の中には豆乳杏仁豆腐が出来ていて、ぼんやりしたままテーブルについたわたしがすることと言えば、フォークを握ってスパゲティを口に運ぶことだけなのだった。こんなに甘やかされたら、駄目になるかもしれない。いや、もうなっているのかもしれないけれど。
2007.07.07
七夕の朝
七夕の朝。
上手くいきますように、とつぶやきながら髪をまとめ、スーツに着替える。シルクの、半そでのブラウスはたっぷりとドレープが寄っていて、つるつると肌触りがよく気持ちがいい。おまじないだ、と思う。大切な仕事の日に、着心地のいい服を着ること。いつもこうして、こっそり自分を励ましてきたのだし、きっと、これからもそうなのだろうと思う。
頬はほてっているのに、首の後ろと足先が冷たい。あらら、緊張しているのかしら、と思いながらタクシーに乗る。曇り空。七夕の日は、彦星と織姫が誰にも邪魔されず会えるように、地上はいつも雨なのだ、と誰かが言っていたのをふと思い出す。
*
今日呼ばれている数社の中で、わたしたちの順番はちょうど真ん中で、それがよいのか悪いのか、会議室は随分活気があった。話し始めたとたん質問が飛び、それに答え話が広がり、またもとの筋に戻り、行き過ぎて、押し出され、交渉があり笑いがありとまどいがあり、いつもより二倍しゃべって、プレゼンを終えた。ぐったりと疲れ、それでも一旦立ち上がりお辞儀をして顔を上げると、一番厳しい質問を次々に投げてきたその人が、「よく出来てる」と、ちょっと笑って、出て行った。ぽかんと後姿を見送る。
2007.07.03
ガラスの
ガラスのグラスでもティーカップでも汁椀でもそうなのだが、直接口に触れる食器なら、口造りは厚いより薄いものの方が好きだ。とはいえ、あまり薄すぎるものは落ち着かない。うすはりのグラスなどきれいだとは思うのだが、なかなか家で普段使いにする勇気が出ない。
今一番気に入っているものは、指宿悟さんというガラス作家さんのグラスで、なんともいえない、やさしい風合いをしている。小ぶりなのに、持ってみると意外にしっかりとしていて、口当たりがとてもやさしい。ひかりの加減で中の飲み物がゆらゆらとゆれる感じ、ただの麦茶が金色の美味しい飲みものになる。
もうひとつ、なぜか牛乳を飲むときには必ず手が伸びるカップがあって、蕎麦猪口を一回り大きく薄くしたような白い陶器のタンブラーだ。マグカップのように気安いのに、おどろくほどすっきりしている。時にはスープを入れたりヨーグルトを盛ったりもするが、いつも好きなものしか入れないので、テーブルにおいておくだけで、なにかいいことがあるような気がしてくる。
