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2008.12.30

 仕事納め。会社の、ではなく、自分の、だ(会社は先週の金曜日まで)。
 がらんと空いた朝の電車に乗り、疲れた頭でぼんやりと、最後の仕事の段取りを考える。ここ数日、比喩ではなく、忙しくて眼が回った。
 明日からは東京を離れるので、何が何でも今日中に済ませなければならない。
 ……でも、まあ、いいや。
 どうしても、という仕事だけ済ませ、今年を思う。いい年だった。

 今年は全然書けなかったけれど、それでも読んでくださった皆さん、ありがとうございました。
 どうぞよいお年をお迎えください。それぞれの、素晴らしい一年に!



2008.12.22

風は南から

 朝一番の飛行機で徳島まで来ました。早朝の空はいつもまっさらで、どこか神々しいような気がします。
 朝陽に染まる雲をみるといつも思うのです。こんなにきれいな景色を見てしまったら、もう死ぬかもしれない、と。空を飛ぶことは、少し天上に近づくことだからことさらそう思うのかもしれません。でも、今日もわたしは無事目的地に着き、まだ、こうしてここにいます。

 朝の飛行機でこちらへ来て打合せをして、午後には東京に戻ってまた会議。冷静に考えると、ちょっとこんなスピードは自分向きじゃないな、と思うけれど、今は仕方ない。きっと、そういう風に仕事をする時期なのです。(……と、言い続けてもう十年近く経ってしまったのですけれど)

 ここ徳島は、水の豊かなところだと来るたびいつも思います。吉野川がとうとうと流れ、海に注ぐ。こちらで移動していると何度も川沿いや、橋の上を走ります。いつも水が近くにある感じ。なんとなく、わたしが生まれ育った町にも似ています。

 風が吹いています。南からの風。昨日いちにち、あんなに暖かかったのもそのせいでしょう。
 今から帰りの飛行機ですが、今日の上空は時速2000キロメートルの風が吹いているのですって。その風の中、時速1000キロで飛行機は飛ぶ(もちろん、わたしも一緒にです)。時速1000キロって想像もつかないけれど、とにかく、数時間後にはまた東京です。

 東京に戻ったら、少し気が重い仕事が待っています。身体の中に小石がひっかかっているような感じ。でも仕事というものは、そういう小石を消化し、また飲み込み……の繰り返しなのかもしれない。
 いったいいくつの小石が、わたしの身体で溶けていったでしょうか。それとも、もしかしたら小石は溶けずに、わたしの身体の中に沈んでいるのかもしれない。とすると、わたしはもう少しで、その無数の小石に埋まってしまうのかもしれません。

 お土産買いました。近いうちにお会いできるといいな。(無事に飛行機が飛べば・わたしが小石に埋まらなければ・予定がうまく合えば)
 南の風に乗って帰ります。全てよきことは南から来る……そうなので、なにか吉兆を連れて帰れるとよいのですけれど。

 それでは、また。



2008.12.14

 仔犬を預かることになり大騒ぎの週末。生後一ヶ月のラブラドールで、まだ懐に入るくらいの大きさ。家に連れてきてリビングに下ろすなりトコトコと走り回り、おもちゃを振り回し、わたしの足にじゃれつき、おしっこをして、ソファの下に半分頭を入れてすやすやと眠ってしまった。
 家中、この小さくてふわふわであたたかくてトーストみたいな色のチビちゃんにまるで夢中で、わたしは、犬一般が好きだと思ったことはないけれど、このお嬢ちゃんは大好きだ、なんて思ったりした。つまり、何かを好きになるということはそういうことで、人種だとかもともと好みだとか性格がいいとか付き合いやすいとか条件だとか何か見るべきところがあるとかとはまったく別に、天啓のように訪れる気持ちのことをたぶん、恋と呼ぶのだ、と思う。

 ああ、でもチビちゃんはもう帰っていってしまった。寂しいよう。

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2008.12.08

読書メモ

パワーズ 『われらが歌う時』 : なんという物語だろうか。読んでいる間中、頭の中で音楽が鳴り響き、読み終えた後もしばらくその残響が消えなかった。パワーズって賢すぎて、時々とてもあざとく見えてしまうけれど、やっぱりすごい。

ファトゥ・ディオム 『太平洋の海草のように』 : 越境する文学。この人は、身体の中に既にいくつかの世界を持っている。

オースター 『幻影の書』 : こんな本を前に何を言ったらいいのか。ただ夢中で読むしか。

ハントケ 『左ききの女』 : 小景。雰囲気のある文体はいくら翻訳されても損なわれないのかもしれない。



2008.12.05

 仕事を抜けてピカソ展へ。あれやこれや言いながら会場をまわる。わたしはピカソの描くオルガが好きだ。恋は感じないけれど、それでも。

 永遠に何かに恋し続けることは、たぶん誰にも出来ない。
 それが普通の人なら、恋をして、忘れて、新陳代謝のようにそれを繰り返し、もしかしたら最後に、凍った恋の陳列室で一生を終えるのかもしれない、と思う。でもピカソは違う。
 ピカソにとっては、永遠なんてたぶん意味がなかったのだろうと思う。そこにあったのは感情でも理性でもなく、彼の「天才」だけで、だからあれだけ描けたわけだし、だからこそ女たちの恋を独占する資格を持っていた。そして、立ち止まらない。変遷する。描き続ける。
 そしてその「天才」というイノセンスがあまりにも強烈すぎて、わたしはピカソの絵に恋を感じないのだろうと思う。そのイノセンスゆえに、ピカソは、どんなものからも許されてしまう特権を持っている。だから、わたしは、ある一人の天才に向かって、なんだ、ちょっとずるいよ、と、思った。



2008.12.04

 始発の飛行機で神戸。

 発券しようとすると、予約していた席が機材変更でなくなったと機械が言う。一番近くにいた係りの人をつかまえ、「申し訳ございません」という言葉を何回も聞きつつ窓口をたらい回しにされ、十分余裕を持って着いたはずなのに、なんとか席が確定したときにはもう離陸の寸前だった。

 だから、その時もわたしは少し不機嫌だったのだ。あてがわれた一番前、窓際の席に座り、コートを脱ぎ新聞を受け取った後も、気持ちが沈んでいた。寝不足の頭が重い。少し寝ようか、と窓に頭をもたせかけたところで、飛行機が動き出した。目を上げると、目の前から、太陽が昇ってくるところだった。思わず心つかまれたようになって、じっと見つめる。ちょうど線香花火の玉みたいなあか色。あれは火の色、そうか太陽も火の玉なのだ、と思う。うるうると燃えている。

 寝るどころではなくなって、その後もずっと外を見ていた。朝の空、いまそこに生まれたばかりの空。海の上を飛び、雲の流れをしばらく行くと、富士山が見えた。冬の富士。神々しい。朝日は薔薇色に空を染め、緩やかな雲に照っている。音楽さえ聞こえてきそうな空。少し……いや、信じられないくらいにきれいで、ふと、こんな景色を見てしまったのだからもう死ぬかもしれない、と真剣に思う。本当にきれいなものを見るということは、そういうことなのかもしれない。命と引き換えに手に入れる天上の景色は、例えばこんなふうに見えるのか。

 いつの間にかわたしの不機嫌は空に溶けて、後には朝の空気だけが残った。うんと伸びをしてから、飛行機を降りる。なぜだか、空を飛んでいる間に、生まれ変わったようだった。



2008.12.03

 風が吹く。
 
 川沿いの道、会社に着く少し手前に、ある国の大使館がある。コンクリートのすっきりとした外見が目を引く、美しい建物。ここ数日、白い壁の前、色づいた銀杏がくっきりと際立っている。
 いつものように朝の道を歩いていると、ざあっと風が吹き、その金色の葉が空の青色に散った。鳥が一斉に飛ぶように、花吹雪が舞うように。一瞬で、その光景がくっきりと目に焼きつく。たぶん、一生忘れないくらいの、空の色。
 思わず息をのみ、それでも何食わぬ顔をして残りの道を歩いた。年末の朝は忙しい。
 
 お昼過ぎ、客先でノートを取り出そうと鞄を覗いたら、何かが底でぴかぴか光っている。取り出してみると千鳥の形をした、あの、黄色の葉っぱだった。