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2009.02.28

 仕事がひと段落して顔を上げると、空がうっすらと明るくなってきているのに気づいた。ディスプレイの隅に、5から始まる三桁の数字が表示されている。一瞬その意味が分からずにしばらくそれを見つめた後、ようやく、ああ、もう5時か、と思った。
 何でこんなに忙しいのか本当に訳が分からないのだけれど、急に雪崩のように仕事が降りかかってきて、それを投げ掃うので精一杯だった。こうなると、会社自体の、仕事を回していくシステムに欠陥があることだけは確かで、結局のところ、いつまで経ってもうちの会社はベンチャーだということなのだ。小回りがきく代わりに個人の能力に依存している部分が大きく、全体的な安定度に欠けている。新しい技術は比較的早く採り入れるし、絶妙のパフォーマンスを発揮することもあるから顧客はそれなりについていて、ストックビジネスのおかげでこの御時勢でも今のところそれなりの売上は維持しているが、それにしたって、個人がこんな働き方をせざるを得ない時点で会社としては二流の下だろう。実際、ここ一週間で、わたしは何度この会社を辞めようと思ったか。組織というものは(特にうちみたいな小規模な組織は特に)代謝が必要だとは思うが、そのサイクルが短すぎれば何も育たないまま枯れてしまう。もちろん、10年も同じ会社にいたわけだから、この責任が自分にないわけはないし、仕事の内容や報酬という意味では随分優遇されてきたと思う。しかし、もうそろそろ潮時なのではないか。こんなふうに、これから先も働いていける自信はない。今まで、夢中で頑張ってはきたけれど。
 とにかく全ての段取りを終えて、やるべきことはやって会社を出た。タクシーの窓から明けていく空を眺めながら、今まで何度こんな風景を見てきたかな、と思った。結局のところ、自分が小物だったと言うことなのだ。個人では頑張ってきたけれど、会社のシステムを変えるところまでは行かなかった。たぶんチャンスはあったのに、能力不足なのか経験不足なのか、わたしにはそれが出来なかった。そしてもう、今から、という気概も残念ながらない。

 思わず大あくびをしたら、バックミラー越しに目が合った運転手さんが笑った。どうぞ、とキャンディを差し出してくれる。お仕事ですか、と聞かれ、思わず愚痴るように最近の仕事量のことを話したら、そりゃあ私たちよりハードですねえ、と言った。穏やかな話し方、優しい声だった。
 「それでも、こんな時代にそんなに仕事があるということは幸せなことなのかもしれませんね」というその運転手さんは、2年前、25年勤めた会社が突然倒産してしまったのだそうだ。50を過ぎて、突然仕事がなくなって、本当に目の前が真っ暗になりました、という。寝不足の、靄がかかったような頭で頷きながら、少しだけ交差しては離れていくいろいろな人生のことを思った。



2009.02.27

 冷たい雨が、途中から雪に変わった。タクシーで山を登っている途中、突然、視界が白い花吹雪で一杯になり、わたしは思わず歓声を上げた。雪は好きだ。
 たまたま今日の仕事先は古い洋館で、梅がほころぶ広い庭に雪が降る姿はとても美しかった。ヒーターで暖められた室内、赤いビロードのソファに座って、大きな窓越しに雪を眺める。初めて来たところのはずなのに、どこか懐かしいような感じ。懐かしいのは雪なのか、この建物なのか。
 歩くとかすかに軋む黒々とした木の階段や丁寧に塗られた漆喰の壁。あちこちに置かれた調度品は和洋折衷で、それが、なんとも言えず心の底から懐かしい。例えば、昔のオークラや万平ホテルのような感じ。絨毯の柄や窓ガラス越しの風景が少し揺らぐ感じさえ「知っている」と思う。指先は凍りつくように冷たかったけれど、わたしはすっかりくつろいで館内を歩いた。懐かしい、懐かしい、と思いながら。



2009.02.19

 夜道に、今年はじめての沈丁花が香った。春、と思う。



2009.02.17

 仕事を終え、ぎりぎりかなと思いながら銀座のシャネルへ急ぐ。スザンヌ・フォン・マイスの写真コレクションを見に。「何はともあれシャネル」なのだと皆言うけれど、普段はまるで縁のない建物。それでも、端整な佇まいが好きなので、ゆっくりと店内を横切って4階のホールへ。

 二度目なのに、気持ちがざわざわするのを抑えられず、ある壁の前で思わず溜息をつく。集められた写真家の名前を聞けば錚々たる面々でそれだけで眩暈がしそうなのだけれど、それよりもなによりも、いったいどういう人がこんなふうに写真を選べるのか、それをまるで奇跡のように思う。全ての写真が響きあっている。美しく、でも美しいだけではなく、必ずしも完璧ではないのに隅々まで端整で、滑らかなのに棘でも刺さったように心に残る。わたしはこの気持ちを表す言葉を知らないけれど、それが、「アリュール」ということなのかもしれない、と、思う。
 有名な写真家の、代表作を集めただけではこうはならない。もちろん、財力に任せてただ思いつくままに買い集めてもこんなコレクションは出来ないだろう。コレクションというのは、一人の人間の個性―乱暴にいえばその人自身―をそっとまとめて誰かに差し出すようなものだと思うのだけれど、そうだとしたら、どんな個性がこんなふうに写真を選べるのか。

 わたしは、「アリュール」という言葉が本当には分からない。でも、並んだ写真を見て思ったのは、どれも間違いなく美しいということ、そして、その美しさは、いつも自覚的なものだということだ。「ただありのままが美しい」のではない。美しさを意味あるものにするためには、手をかけなければいけない、という確固たる意思がどの写真にも込められていて、だからこそ決然と美しい。作為が見える、というのとは違う。美しさとは、美しくあろうとするところにこそ輝くように表れるものなのかもしれない。

 シャネルネクサスホール 「アリュール 内なる輝き―スザンヌ フォン マイス コレクション



2009.02.16

 お客さまのところへ取材が入ることになり、その立会いでお店へ行く。10分ほどの映像だというから、ハンディ(カメラ)だと思っていたら、道路に止まった車に山ほどの機材。出てくるわ出てくるわ、見たことのないライトや大きなレフ版や、何台ものテレビカメラ。スタッフは総勢20名ほどだろうか。インタビューをお願いしていたお客さまも少し緊張気味で、間に入ったわたしは恐縮してばかりいた。

 もう十年近く同じ会社で仕事をしてきて、いろんな顧客と出会ってきた。さっと通り過ぎる会社もあれば思い入れが深いところもあり、そんな中でも一番わたしにとって大切なお客さまはきっとこの人だ、と、思いながら、ライトを浴びて少し居心地悪そうにしているその人の横顔を見ていた。入社して、初めての大きな仕事で出会ったのがこの人だった。レストランのしくみを何も知らなかったわたしに、一から何でも教えてくれた。わたしが今、システム屋なのに「まるで外食産業で何年も働いてきたみたい」だと信用してもらえるのは間違いなくこの人のおかげだし、あの時、何も分からなかった新入社員のわたしに、何の含みもなく対等に接してくれたその人の誠実さが今になってしみじみ有難い。わたしは、レストランにとって大切なことを、ほとんど全部この人から教わったのだ。

 客席の隅、邪魔にならないところに立ってぼんやりと取材風景を眺めながら、わたしはやっぱりレストランが好きだ、と思った。どんな仕事でも、たぶんある程度は楽しく出来るだろう。それがシステムに関わる仕事なら尚更、きっとわたしはどこででも働ける。それでもやっぱり、レストランはわたしにとって特別な場所であり、沢山の時間を過ごしてきた場所だし、憧れの場所でもあるのだ。
 夕方の開店が近くなり、お店が慌しくなりはじめた。テーブルがセットされ、着替えた店員さんたちがフロアに立ち、食器はぴかぴかに準備されている。当たり前のことなのだけれど、その当たり前に、わたしは毎回馬鹿みたいに心打たれてしまう。つまり一つ一つの地道な作業の積み重ねで、レストランという場所が出来上がるという事実に。
 やっぱりここが好きだな、と思う。何年も同じ仕事をしていると、どこかにどんどん滓みたいなものが溜まっていき、多少手を抜いてもそれなりの仕事が出来るようになるのと引き換えに、澄んだ気持ちをなくしてしまう。だから、ここ数日は、いつこの仕事を辞めようか、いつ他所へ行こうかとそればかりを考えていたのだけれど、実際、大好きな現場に立つと、少しまた心の濁りが収まるのが分かる。
 ぼんやりとしていたら、煌々とついていたライトが消え、お客さまが汗を拭き拭き席を立ち、こちらへ戻ってきた。その、少し困ったような笑顔を見ながら、この人は10年前とちっとも変わらない、と思う。わたしはどうだろうか。あの頃の新鮮な気持ちを思い出せるだろうか、と、思った。



2009.02.13

春一番

 夜、オフィスを出て裏口のドアを開けると、甘い風がざあっと吹いた。みかんの花のような、ほんのりと甘く懐かしいにおい。春だ、と思う。
 昼間、あちこちを歩き回ったのだがもうそれは遠く夢のようで、風吹く夜を早足で歩いた。暑くもなく寒くもなく、本当によく知っている誰かの肌のような夜。ぱらぱらと降る雨が睫毛の先に落ちてきて、拭っていたら急に悲しくなって、少し泣いた。



2009.02.05

 どうして急にミツバチになりたくなったかといえば、ある商品カタログで、「ひとりになりたいミツバチのための家」を見つけたからだ。その家は、小さくて白くて感じがよくて、もし次にミツバチになったなら、是非、住んでみたいものだと思う。



2009.02.04

 もしわたしがミツバチならば、一日の終わりには必ず独りになりたいと思う。もしもわたしがミツバチだったら、どこか遠くへ、飛んではいけないものだろうか。



2009.02.03

 「吾子はをみな柚子湯の柚子を胸に抱き」
 今日教えてもらった山口青邨。なんていい句なんだろう、と思う。子どもはいつまでもいとしい子どもだけれど、ある日突然その子が「をみな」であると気づく、その限りなく優しいまなざし。柚子の香りと、風呂場の湯気まであたたかく漂ってきそうな。



2009.02.01

 そうかもしれない。「何を選ぶか」ではなく、「何を落とすか」なのだ。