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2009.11.30
黒を着て
母の教えで、わたしが唯一今も守っていることがあって、それは、具合の悪いときは特に気をつけて肌触りのいい服を着なさい、ということ。
うちの母は、カシミアを洗濯機でガラガラ洗って肌着にするような乱暴な人だが、それでも、その教えにだけは今も逆らえない。だから、ここ数日は、着心地のいい服しか着ていない。
先週、訃報を聞いた夜、思い余って、ロロ・ピアーナのとっておきの生地で喪服を仕立てようと……思って、裁ちばさみを一旦握り締めたのだがすんでのところで思いとどまった。黒い、とろりとした生地は、なんというか凄みがある。
「これはわたしの人生の喪服なの」、と『かもめ』のマーシャに言わせる一方で、『ワーニャ叔父』では「仕方ないわよ、それでも生きていきましょうよ」と書くチェーホフはつくづくすごいと思う。たぶん、彼には、向こう側が見えていたのだ。そして、こちら側と向こう側の境界など、もしかしたら、かすれた細い線が足元に引かれている、それだけのことなのかもしれない。
それでもわたしは、まだこちら側に留まらなければいけない。いけないので、しばらく黒い服を着るのはやめよう、と決心したのだが、しかし考えてみれば黒以外の服など、数えるほどしか持っていないのだった。
2009.11.29
The show must go on
今日のテーマ曲は、Queenの、"The show must go on"。なぜかって、たまたまYouTubeで、モーリスベジャールの舞台(バレエ)のカーテンコールでこの曲が使われているのを聴いてしまい、それがすごく素敵だったのだ。だから、一日中ずっと、頭の中でこの曲が。
フレディ・マーキュリーの歌声を聴きながら、Show must go on、ってなんて切ない言葉なんだろう、と思う。
2009.11.28
どうして、悲しいときほど、世界がきれいに見えるのだろうか。
2009.11.27
昨日、お昼過ぎ。届いたメールの意味がちっとも分からなくて、何度も何度も読み返した。お客さま……ううん、実際に取引があったことは厳密に言うとないけれど、もうずっと何年も知っていた仕事上の知り合い、その人が急逝した、と、書いてあった。だって、つい二週間前に会ったばかり、その時は元気にプレゼンをしてにこにこしていて、賑やかな懇親会の席、またすぐ会えるからってそう思ってちょっと会釈しただけで別れたところだったのだ。
もう知り合ってから九年くらい経つ。わたしはまだ入社数年で、今の業界のこともよく知らなくて、そのころ、日本中誰でも知っている……本当に比喩じゃなく日本に住んでいる人の90パーセント以上が知っているであろう一流企業の情報システム担当だったその人は、本当にきらきらして見えた。だから知り合って以来、わたしにとってその人は、いつか取引が出来たらいいなと思っていた憧れの人であり、もうずっとよく知っている業界の先輩であり、飲み仲間であり……、つまり、ずっと、近しく思っていた人だったのだ。
嘘だ、と返したメールには、斎場と時間が返信されてきた。それでも、わたしは、ずっとそれが信じられないまま、午後を過ごした。
今日、黒い服を着て数珠を握り締めて立っていても、やけにハンサムに写っている遺影を見ても、やっぱりわたしは信じられなかった。信じられないのに、泣けて泣けて仕方がなかった。泣いちゃいけない、と何度思っても、その度にまたいつの間にか視界がぼやけ、いつの間にか泣いていた。
まだ若かったのに(だって四十歳そこそこなのだ)、お子さんだっているのに(学ランを着て遺族席に座っていた)、あんなに笑ってたのに(つい二週間前)、と、同じことをぐるぐると思った。
お焼香を済ませ、ぼんやりと斎場の前で立っていると、知った顔がどんどん集まってきて、飲みにいくか、と言う。二十人ほど、とぼとぼと列になってお店への道を歩く。思い出すのは楽しかったことばかり。あれは何年前だったか、誰かの結婚式の二次会帰り、そのシーズン開店初日のビルの屋上のビアガーデンで寒くて震えながら(それでもビールを)飲んだこととか、お花見で、皆でゴザを敷いてぎゅうぎゅう座って場所取りをしたこととか。
そんなことを思い出していたら、誰かがポツリと、ひょっとしてこの中の誰かが、止められたりしたのかな、と、言った。喉の奥がぎゅっと熱くなって、わたしは黙ってゴクゴクとビールばかりを飲んだ。みんな、今にも泣きそうな顔をしていて、でも、楽しいことばかり思い出しては無理に笑っていた。湿っぽいのは似合わないよね、と、言って。
今にもメールがきそうだよね、みんなどこで飲んでるの、って電話の向こうで言いそうだよね、結構寂しがり屋だったもんね、こんなことになるんだったらあの日、出てくれるまで電話を鳴らし続けるんだったのに………。
でも、きっと、どんなに頑張ったってわたしには止められなかったのだろうと思う。だって、ちっとも分からなかった。本当の死因を聞くまで、きっと事故死か病死だと思っていた。それを疑いもしなかった。もしかしたら、って、今では何とでも言えるけど、でも、そんなわたしに、彼を止める力はきっとなかったよ。それが寂しくて悔しい。おぼれるくらい泣いたって、取り返しがつかないほど悔しい。
あの時、最後に会ったとき、せめて帰るとき、目の前まで行って手を振るんだった。またすぐ会いましょう、って、心の中でだけじゃなく、せめて口に出して言うんだった。すぐ会えるなんて……、そんなの、何の保証もないことだったのに。
ぼんやりしたまま家に帰って、お風呂の中でまた、声を上げて泣いた。わんわん泣いて、もう泣くしかなくて、膝を抱えて泣いた。泣きながら、でもわたしには、こんなふうに泣く資格などきっとないのだな、と、頭のどこかで思っていた。
2009.11.21
火の国
湯河原へ。そろそろ温泉が心から嬉しい季節。
夜、日本は火の国、古くから日本では火は熾すものではなく、天から与えられるものだった、という話。
2009.11.20
闇を照らすもの
音楽や、美や、芸術にしか照らせない闇がある、と友だちは言う。そういうその友だち自身も写真家で、わたしは、その友だちの写真に何度も助けられて生きてきたような気がする。助けられた、と言うと大袈裟に聞こえるかもしれないが、それがどういう気持ちかというと、自分は一人じゃない、と信じられるということだ。毎日、どんなに忙しく仕事をしていても、たとえ毎日、具のないおむすびだけ食べて暮らしていたとしても、たまにそんなふうに思えれば、それだけでわたしは生きていける。
*
たまに行く和食のお店がミシュランで星を取った。ミシュランなんて、と思う気持ちもあるけれど、それでも、とても嬉しい。ほっとするお料理、素材の味がかおりたつような、誠実な味。食材を仕入れてしまうと人件費なんて出ないんです、それでもなんとかやっています、と淡々と言っていたっけ。三十五歳まで建築業界で働き、和食の道に入ったという板前さん。あのお店がいいかたちで長く続きますように、と心の中で手を合わせるように思う。
2009.11.19
ぴゅうぴゅう吹いてくる冷たい風に凍えながら歩く。まるで真冬みたい。こんな日に限って外回りの予定がぎっしりとつまっていて、コートを取りに戻る暇もない。終いには雨まで降ってきて軽く泣きそうになったのだけれど、まあ、考えてみればなんということはない、備えの悪い自分を恨め、ということだ。
寒くてお腹がすいているとあまりいいことを考えないので、夕方、ようやく開放されたところでお昼ごはん。日が暮れるのが早くなった。暮れていく空を眺めながら、新しい仕事のことなどをぼんやりと考える。
2009.11.18
美意識が共通している人たちとは話していて楽しいけれど、そうでない人とは進んで一緒にいたくないもの、とある人がぽつりと言ったのを聞いたことがある。六十歳の半ばくらいだろうか、陶芸家で、地方でギャラリーをやっている友だち。わたしはそれを聞いて、確かにそうだな、と思う一方で、でもそんなふうにきっぱりとは出来ないよな、とも思った。いや、しているかな、分からないけど。
それでも、昔よりずっと、一緒にいて嫌な気持ちにならない人たちとだけ一緒にいるようになったと思う。昔は、誰でも彼でも友だちと呼んでいたし、友だちが多いことがいいことだと思っていた。だから、無理して誰かと一緒にいることだってあったのだ。今は、そんなこと、ほとんどない。
*
以前の問いに、友だちがこっそりと答えてくれていた。そう、言ってみればこの人の美意識もわたしは尊敬していて、結局のところ、それが、誰かを友だちとして信用している、ということなのだろうと思う。
2009.11.17
今日出会ったナタさんはインド出身で、日本で営業職をしている。日本語は第二言語だがほとんど完璧。アクセントを聞けば日本語が母語の人ではないと分かるが、話し方、スピード、語彙の選択、どれも素晴らしい。しかも、例えば意見が対立したときにぎりぎりのところですっと身を引いてにっこりする、そのやり方もそつなくて、結局のところビジネスに国境なんて本当はないのかも、と思ったりした。
それにしても、狭い日本の市場を食い合っても仕方がない、これからはインドだ、という、まだまだ実現するかしないのか分からないような話。しかし、この不景気といったら嫌になる。考えれば考えるほど。
2009.11.16
しかし、もう、そんなに残された時間はないのかもしれない。もしかしたら。
2009.11.15
お針子
ぐったりと疲れているのに、ついつい夜になると、ミシンを引っ張り出して裁縫をはじめてしまう。型紙を取り、布を裁ち、ミシンをかけていく。一つ一つの手順の積み重ねが確実に結果に繋がるところがよいのだ。しかも、少しずつ上達していく。かかる時間が少しずつ短くなり、出来上がりが段々よくなるので、今が一番楽しい時期かもしれない。
誰かの、専属のお針子になる人生は幸せだろうか。
わたしはその誰かのために服をつくる。毎日毎日。コットンのニット素材でTシャツを作り、綿ローンで襟付きのシャツを、カシミアのタートルネックを、ウールのジャケット、ブロードのコートを仕立てよう。ネルのパジャマと部屋履き、ワッフル地のガウン、フリースの膝掛け……。
誰かのためだけに服を仕立てる生活は幸せだろうか。
今日はコーデュロイのスカートを、明日はリバティ・プリントの小さなワンピースをつくる。母に何かを、とずっと思っているのだが、まだ、それは、かたちにならない。
2009.11.14
地獄も極楽も、箸の長さは同じだという。
三尺、というのがその長さ。箸の長さも、ご馳走の量も、種類も、食事をするときは必ずその箸を使わなければいけないのも、地獄と極楽に差はないのだとか。
なのに地獄では、いつも諍いが起こる。誰一人として自分の口に食べ物を運べないからだ。目の前にご馳走があっても、長い箸が邪魔になり口に入らない。それで皆が苛立ち、誰かがつまんだ箸の先の食べ物を横から盗ろうとするものあり、箸で突かれるものあり。結局は誰一人満足に食べられない。目の前にたっぷりとご馳走が用意されていても、皆やせ細っているのだという。
ところが極楽では、その長い箸でつまんだご馳走を、誰か相手の口に運ぶ。その誰かは、また自分の箸でつまみ、又誰かの口へ運ぶ。そうしてお互い食べさせあって、皆がお腹一杯、満足するのだとか。
三尺箸の教え、という説話。
世の中そんなに単純ではないことよ、と思う気持ちもあるのだが、結局は、与えられている環境は同じでも、生き方によって幸せにも不幸にもなれる、ということだ。異論はない。
けれど、時折意地悪だったり、分かっていても助け合えなかったり、場合によっては人を憎んだり、憎まれたり、一方で愛したり、それが人間なのではないかと思う。上手く言えないけれど、一般的に正しいとされる範囲からはみだす振れ幅のようなもの、そここそがその人の個性であり愛すべきところではないのか。たぶん、わたしは、誰かを好きになるならその部分を好きになる。
2009.11.13
コートを着ないともう寒い。
夕方、雨に降られて走った。
2009.11.12
お客さまと食事。にこにこしながら、気持ちよく沢山飲む人で、お客さまにもいろいろいるけれど、唯一、この人が上司ならついていける、と思える人だ。信頼している。
上司と、兄さんみたいな先輩と四人で居酒屋。会社のこれからのことなど。
途中、ちょっと深刻な話題になりわたしが下を向いたとき、ふっとその人が手を伸ばして、くしゃくしゃとわたしの頭を撫でた。親が子どもにするみたいに。その手があったかくて大きくて、(人に触られるのは本当だったら嫌いなのに)全然嫌な感じではなくて、ちょっと泣きそうになってしまった。
「背中丸めちゃだめだよ」といわれて、「はい」と答える。
2009.11.11
共鳴する
昨日の続き。
「世界を救うものは美」だというのに個人的には賛成の意を表したいけれど、でも、「美」の定義をするのは難しい。去年の今頃、「美って何だろう?」と散々考えていたのだけれどそのときも結論は出ず、人生を通じていつも考えていることなのにそれらしき答えが思いついたことさえない。(だれか素敵な答えを知っていたら是非こっそり教えてください)
「美しさ」というものが定義できない以上、それぞれの思う「美しさ」には隔たりがあって当然。だから、最近は、大切なのは美そのものより美意識なのではないかと思っている。よく分からないけれど美しいとされる何かがあったとして、それに共鳴する人の心こそが大切なのではないか、ということ。という意味では、美しさって、常に響いている何か、引力のように人をひきつける何か、ということになるのかもしれない。
*
本物、にせものという言葉がある。どこで真贋のほどを決定するのか。
ほんものは、いつも隠れた美しさをそなえていて、誰かの愛情によって発見されるまで待っている。
この「待つ時間」の静かで自然であることが、ほんものの証拠である。
にせものは、美しさをおもてにあらわそうとしてつねに焦っている。
だからどんなに巧みに「待つ時間」を虚構しても、そこには必ず媚態があらわれる。
人間はこれにだまされる。
(亀井勝一郎「思想の花びら」)
2009.11.10
わたしが小さい頃はカシミアなんてまだまだ贅沢品で、そのコートなど本当に特別だった。何も知らない子どもでも、手触りの違いだけは明らかに分かる。他の服とは違う、なめらかで吸い付くような手触り、しっとりとした質感。母がそのコートを着るとわくわくしたものだ。スタンドカラーの長いコートと、襟付きのハーフコートがあって、どちらも同じ生地で仕立ててあった。
今は、カシミアという名前だけなら千円で手に入る時代だけれど、その分、心はあまり躍らなくなった。本当にあのときのあれと同じものなのかな、と、たまに不思議に思ったりする。
*
いつもユニクロのワンピースばかり着ているわたしだけれど、いつか着たいな、と憧れている洋服がある。イタリアの、もともとカシミアメーカーで、うっとりするくらい肌触りのいい生地、シンプルできれいなライン。そのサイトを久しぶりに見て、はっとしてしまった。一番最初に、ドストエフスキーの言葉が引用されているのだ。「世界を救うものは美」だ、って。……確かに、そうなのかもしれない。
2009.11.09
ある企業の、次期システムの提案依頼書説明会。呼ばれたのは、SI企業、メーカー、ベンダー混在で二十社弱。この時勢でたぶん総額四十億くらいのプロジェクトになるだろうから、相当の規模。既存ベンダーがこの商談を落としたら、担当者一人の首くらいは簡単に飛ぶとかいう話を聞いた。ああ、怖い怖い。
怖い怖い、などと暢気なことを言っている場合ではないのだが、それでも、この規模の商談になると、うちの会社など単独ではとても太刀打ちできない。どこかプライムの会社の下で動くことになる。そもそも、説明会にわたしが出席していること自体が普通に考えれば少しおかしなことで、実際、他に呼ばれた会社とは企業規模がまるで違う。小さな会社だけれど、敬意を持って扱ってもらっているということなのかもしれない。有難い、と思う。
たぶん、既存のベンダーがこの商談を落とすわけがない。それこそ、全力で取りに来るに決まっているのだ。だからせめて、印象に残る提案がしたい、と思う。それがわたしの仕事だから。
会社に戻って上司に報告すると、「まあ普通に考えれば十中八九勝ち目はないよね」と言った後、「完璧な提案をすればいい。負けても名を残す。」と。大袈裟な、と思いながらも黙って頷く。
2009.11.08
同じ方を向いて歩く
隣のテーブルで、「若いんだからもっと食べなさい。だからそんなにやせっぽっちなのよ」「後でおかわりするよう」などとという声。お母さんと、若い女の子。
昔は、朝のビュッフェなどいくら食べても足りないくらい食べたものだが、今は、少ししか食べられない。林檎のジュースと、カフェオレ、薄く切ったトーストに、ヨーグルト。あまり食べられないし、食べたいともあまり思わない。自分の仕事のことを考えると、この傾向は、あまりよくないかもしれない。
冷たい空気が清清しい。風がざあっと吹くと、木の葉がはらはらと降ってくる。ブーツで落ち葉踏みながら歩くと、次第に身体が中の方から温まって、気持ちがいい。空が広い。
サン=テグジュペリが、愛とはお互いに見つめ合うことではなく、 いっしょに同じ方向を見ることだ、と言ったのだという。たぶん、わたしが友だちと散歩をするのが好きなのも同じ理由で、つかのま、同じ方を見て同じ方に歩いて、……つまり共に生きられる感じがいいのだと思う。本当に誰かと同じ景色を見ることなど決してできないのだけれど、それでも。
2009.11.07
旅なのか、どうか
軽井沢へ。
パソコンも何も持たず、誰かと会話をするためだけの旅というのもなかなか。まあ、なんということはない、結局は仕事の話になってしまうのだが、普段と違う場所につかの間、身を置くことで、解けていく何かがある、と思う。
いつもの星のやではなく、プリンスのコテージ。個人的に、プリンスというと時代遅れの代名詞のように思いこんでいた時期もあったのだが、それは間違いだったかもしれない、と最近よく思う。特に、軽井沢とか奥日光とか、敷地をたっぷり使ってゆったりとつくられた建物は悪くない。合理的であることがそれほど重視されなかった時代独特の贅沢な雰囲気が漂うようにまだ残っていて、それこそもう半分古びてはいるが、返ってそれが落ち着く。
いいホテルには二種類ある、と思う。二種類というのは、「ほっとするホテル」か、「わくわくするホテル」かどちらかということ。例えば都内で言えば、オークラの本館は前者、丸の内のフォーシーズンズは後者。わたしにとっては、ということだけれど。以前、今よりずっと働いていたころ、なにかから逃げるように深夜、都内のホテルを泊まり歩いていた時期があるのだけれど、その時も、そういう弛緩と高揚の狭間でホテルを選んでいた気がする。
今頃、どのホテルにもクリスマスツリーが飾られているだろう。きらきらのオーナメントや足元にこんもりと積まれたプレゼント。深夜、チェックインをするために、もう明かりの落とされたロビーを横切るとき、それがどんなにひっそりと美しく光るかわたしは知っている。けれど、もう、あの頃に戻りたいとは思わない。
軽井沢の夜は早い。閉店間際のトラットリアに飛び込むように入れてもらい食事。生ハムからエスプレッソまで満腹。三笠会館で修行したという若いシェフだという。中庸の徳たるや、それ至れるかな。極端に走らない味というのは好ましいし、立地を考えれば正解なのだろう。
夜が深い。星を見ながら眠る。
2009.11.06
信じたい、信じられない、信じている
コンセプトがとてもよかった、あれは忘れられない、と、とあるクライアントが言っていたのだとお取引先の営業さんが教えてくれた。少し前にリリースしたわたしたちの新商品のこと。プレゼンテーションとデモをしてから、二週間になる。
ちいさなシステム会社が生き残っていくためには、他と同じことをしているわけにはいかないのだと思う。しがらみに縛られず、発想を自由にシステムにしていけるのは小さな規模の会社の特権だから。時には積極的にリスクをとって、自分たちがいいと信じるシステムを開発していく。そのスタイルを好む顧客も嫌がる企業もあって当然だが、わたしたちみたいなところは例えどこかがいびつでも多少はしかたがない。誰かの心に残って、使ってくれる人たちが幸せになって、できるだけ長く付き合っていければそれで。平均点をコンスタントに取ることにあまり意味はない。
もう十年近く前のことになるだろうか。あるシステムの開発初期に、プレゼンテーションの場で、「そんなことは聞いたことがないしできるわけがない」、と言われたことがある。言ったのは、誰もが知っているある大手のメーカーの担当部長だった。
その場にいたほとんどの人がそれを信じた中、顧客企業の担当の方が、熱意でわたしたちを推してくれた。人との出会いが人生を変えるが、システムもまた同じなのだと思う。そのシステムは、今もそのお客さまのところで動いていて、後に十五億の荒利を稼ぐことになるパッケージの原型になった。
コンセプトとフォルムだ、といつも思っている。一貫したコンセプトを持ち続けること。信じること。そしてそれをかたちにしてつくること。それがわたしたちの仕事だ。コンセプトがフォルムに息を吹き込み、フォルムがコンセプトを具現化する。心だけではなくて、かたちだけでもなくて、両方がそろったときにはじめて、やっと、それは誰かの心に残ることになる。
もちろん、そんなことは、ただの一担当者の思い入れである。小さくても企業だし、仕事だから、利益を出さないプロジェクトに意味はないし、結果的に価値を産めないシステムはただの屑だ。そんなことは分かっている。
それでも、思えば結構幸せにやってきたな、と思う。自分たちが信じていないシステムはつくらずにすんだし売らずにすんだ。それで何とか生き残ってきた。決して楽じゃなかったけれど、それでも。
ちっちゃい会社で、狭い業界のすみっこの方でなんとか生きてるだけだっていつも分かっている。それでも自分たちの信じていることを、プライドを持ってやってきたと思う。
だから、あのシステムは忘れられない、なんて、どんな言葉より甘い。まるで、頭を撫でてもらったようで、それだけであともう少し、頑張れる気がする。
2009.11.05
眠くて仕方がない。
仕方がないけれど、お客さまとの打合せも社内会議もスキップするわけにはいかないので、コーヒーと甘い炭酸飲料(なぜか劇的に目が覚める)を交互に飲みながら仕事。それでも、眠くて、だるくて、身体が重くて、腕を持ち上げるとちゃぷちゃぷと音でもしそうだ。もう、どうしようもない。
こんな日は、よくないことばかり考える。
自分が人間として欠陥品だということはよく分かっている。問題は、なにがどれだけ足りないのかが分からないことだ。
2009.11.04
あの、星のような
レヴィ=ストロースが死んだ。
『悲しき熱帯』、あれは本当に特別。あんなに平易で、あんなに美しく理知的な文章をわたしは他に知らない。あこがれや恋や尊敬、もはやそんな対象でさえなく特別な、……特別な人だった、と思う。閉じているのに開いている。拒絶のうちの抱擁。突き放した、でも暖かな視線。
他の誰のどんな著作とも違うのだ。軽々しくいろんなことを飛び越えていくところとか、越境を源泉としているようなのにそうは見えないところとか、残響がいつまでも消えないところとか。
一度、会ってみたかった。
それでも、そんな人と一瞬でも同じ時代を生きたということこそ僥倖なのかもしれない。
*
夜、友だちにメール。
思い出すのは何故か温かなことばかり、暖炉で焼いて食べるマシュマロとか、ボン・ファイヤーを見ながら飲むホットワインとか、冬の日の花火とか。
2009.11.03
わたしたちを夢見る夢
一日中、寝ているのか覚めているのか分からないような一日。寒いので、ずっと、手元に紅茶のカップを置いて、布を裁ったり昼寝をしたりお風呂に入ったりしていた。できれば、もう、冬眠したい。
夜、月があまりにも明るいのでびっくりする。そのまま眠る。自分を夢見る夢を見る。最近、眠りが浅い。空腹を感じることが少なくなって、体重が、少し減った。
2009.11.02
めまい、冬のはじまり
海外から来客。
まだどうなるか分からないが、うちの会社が開発したライセンスを販売したいという話。軌道に乗ればそれなりの商いになるはずで、今はまだ、詳細を詰めているところ。スケジュール通りに進めば、来年の春リリースになる。
夜、食事に行った帰り道、建物を出たとたん、あまりの寒さに身をすくめる。あれれ、しかもなんだか目が回る。お客さまに挨拶をし、同僚に手を振って見送ってから、すとん、とベンチに腰を下ろした。頭が痛い。雪でも降りそうに冷たい風が吹く。
2009.11.01
携帯電話もなかった
もうひとつ思い出した。
スティーブの恋人とわたしの名前が同じだったから、スティーブの家に用があって電話をしたとき、おかしなことになったのだった。
わたしが名乗ると、電話に出たスティーブのお父さんらしき男性は、嬉しくて仕方ない、という声で、
「やあやあ、元気にしているかい、久しぶりだねえ、君がいなくってみんな寂しいよ……」
と話し始めた。大きな声、それ自体が笑っているみたいな、少しくぐもったあったかい声だった。それを聞いて、慌てるあまりわたしはしどろもどろになり、
「えーっと、違うんです、わたしは別人です、えー、名前は同じなんですけど……、わたしはスティーブに日本語を教えている別の……」
と答えた。視界の端っこの方では、それを聞いていたブリジッドが、やれやれ、と大げさに頭を抱えるのが見えた。
電話を切るなり、ブリジッドは、「一体どうしちゃったの?」と言った。ひどい英語、もっとマシな話し方ができるでしょうに、という意味だ。
わたしは情けない顔で肩をガックリ落としながら、「どうしちゃったのか自分でも分からない」と、言った。言葉を上手く話せなかったときというのは、結構こたえるものなのだ。
今なら理由はなんとなく分かる。誰にも罪のないただの勘違いだけれど、わたしは、本来なら自分に向けられるものではない温かい言葉を思いがけずかけられて、びっくりしたのだ。他の誰かが受け取るべき、愛情と親しさがこもった特別な言葉。それを突然手渡され、申し訳なくも戸惑って、なんと言ったらいいかすっかり分からなくなってしまったのだ。
その後すぐ、スティーブから電話がかかってきて、「ごめんね、父が勘違いをしたみたいで」と、謝らなくてもいいのにすまなそうに言った。
「いいのいいの、こちらこそ申し訳ない、お父さまにもよろしくお伝えください」と、今度は少しはまともな受け答えをしてから電話を切った。
次のレッスンの日、お父さんからだと言う小さなチョコレートの箱をスティーブはくれた。「もう一人の日本人の女の子に、って」と言って。たぶん、スティーブのお父さんは、こうすることで、スティーブの恋人と日本という国に、挨拶を送っているのだ、と思った。親しさと好意の表明。それを、また別の、彼女と同じ名前を持ったわたしにお菓子を贈る、というかたちでしているのだ。
ありがとう、と受け取ったそのチョコレートは、ちょっと甘すぎたけれど、とても美味しかった。そしてその時、わたしはまだ会ったことのない同じ名前のその彼女にも、ありがとう、と思ったのだった。