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2010.03.31
月末というのは忙しい。期末と重なれば尚更。具体的なことを言えば、もらわなければいけない発注書があり、出さなければいけない請求書があり、集計しなければいけない売上があって、それだけではなくてそれら全部をいつもよりずっと高い精度でやらなければいけない日だということだ。
本当に大変な一年だった、と、夕方、経営会議で数字を眺めながらしみじみとする。"Challenging year"という言葉が何度頭に浮かんだことか。しかし、こんなにも自分たちを奮い立たせて何とか一年頑張ったよ、と、言いたいのはそんなことではなく、やっとのことで一年耐えたよね、というささやかなことだけだ。……なんとか、今年も一年頑張った。売上は減ったけれど、何とか、かすかに増収。これで上出来だ、と、明日の朝までくらい、一息ついても、罰は当たるまい。
2010.03.30
お元気ですか。
うちの会社では、三月最後の週に、入社式と新年度の方針会議がありま
す。もしかしたら前にも話したかもしれないけれど、毎年、前日はどう
しても準備で徹夜になってしまうのです。
これは、社長の方針発表のプレゼンテーション資料をつくる、というの
がわたしの職務だからで、原稿を前に、ああでもないこうでもない、と
膝詰めでやりとりしながら完成させるのです。
ひどく疲れる作業だけれど、一年に一度、これをやらないと春が来ない。
今年も、ようやく資料を完成させて会社を出ると、もう空が明るくなり
始めていました。
たぶんもう、始発は動いていたけれど駅まで歩く気がしなかったので、
タクシーを呼んでもらって、ぼんやりと会社の前で車を待ちました。
会社の前は桜並木なのです。見上げると、朝の空に、ぽっと光を灯すよ
うに咲いていました。
身体は重く疲れているのに、朝の空気を吸うと、いつも少し生き返るよ
うな気がします。
毎年、この日は、こうやって桜を眺めている気がする。
徹夜明けの日って、疲れているのに気持ちだけはやけに高ぶっていて、
そのせいか、その日の夜、パーティを終えて(帰ればいいのに)たまた
ま入ったお店で隣になった、ノルウェイから来た親子と話が弾み、一緒
に六本木のクラブ(いつもの、健全なやつ)にまで行ってしまいました。
だって、二人とも、村上春樹が大好きなんだって言うんだもの。
本当は焼き鳥でも食べに行きたかったけれど、お腹が一杯だというので、
それで。
ノルウェイから来て、千倉に数日滞在した後、今は三ノ輪のホテルに泊
まっているんですって。
ちょうどこの桜の時期に日本に滞在するなんてすごく素敵。しかし三ノ
輪。どうしてなんだろう。
娘さんの方は、昨日原宿で買ったというノースリーブのワンピースにド
クターマーチン、というスタイルで、それはそれは似合って可愛らしか
ったのですが、さすがに少し寒そうでした。
でも、彼女は朗らかに笑っていて、なんというか、不思議な感じ。
それにしても気持ちのいい二人でした。別れるとき、ちょっと寂しかっ
た。
……と、いったところが、わたしの春の始まりでした。
あなたの春はどうですか。
2010.03.29
毎年、三月最後の週に入社式と新年度の方針発表会がある。準備で徹夜になるのは毎年のことで、今年も例年通り、にわかに不夜城のようになっている会社で、明け方まで資料をまとめていた。ようやくひと段落着いた午前五時、ふらりと外に出ると、目の前の路地の桜が、朝の淡い光にぽっと明かりを灯すように咲いている。空気はうす青く澄んでいて、冷たくて気持ちがよかった。徹夜明け、身体が重くて、わたしはほっとしたような、懐かしいような、かすかに胸が痛いような、満ち足りたような、そんな気持ちで花を眺めていた。あと何年、こんなふうに桜を眺めるのかな、と思いながら。
全ての会議が終わったあと、一旦会社に戻りまた外に出ると、花霞の向こうに丸い月が見えた。ビルの前で、管理人さんがそれを眺めていたから、じゃましないようにそっと、その横顔の脇を通り過ぎた。今宵逢ふ人皆美しき、か、とふと思う。
2010.03.27
春休みで、姉が子どもたちを連れて帰ってきているというのでわたしも実家へ。いつも子どもたちがどこかで走り回っている、賑やかな家の中。
*
ロンドンの姉に、子どもが生まれたのだと言う。日本とイギリス、みんなで入れ替わり立ち代り電話口に立ち、随分長い間話していた。本当はすぐにでも会いに行きたいけれど、ロンドンは少しだけ遠い。
*
新学期の前に髪を切りたいと皆が言うので、庭に出て、大きなスカーフを姪っ子の肩に巻きつけ、即席の床屋さんになる。サンダル履きで歩いた庭の敷石に、スミレが咲いていたから、あ、スミレ、と言ったら、それを聞いた母が、よく気づいたわねこんな小さな花、と嬉しそうに言う。違うのだ。わたしが気づいたのではなく、小さな頃、毎日この季節に庭のスミレを楽しみにしていた母が、わたしにこの小さな花を気づかせるのだ。
*
コタツでうたた寝をしていたら、いつの間にかみんなが周りで夕ご飯を食べていた。遠くから、甥っ子の、桃ちゃん起こそうか、という声と、父の、いいから寝かせておいてあげなさい、という声が聞こえる。
2010.03.25
夜の飛行場
朝十時過ぎの飛行機で羽田を発ち、午後一番で打合せを行い、最終の飛行機でまた戻る。慣れてはいるけれど、いつも、身体は戻ってきているのに気持ちはまだどこか遠くにいるようでぼんやりしてしまう。
なので、ひとり、飛行機の見えるレストランに行き、スパークリングワインとピザを頼む。なにも読みたくないし、誰とも話したくないのになぜかやけに寂しくて、一通だけ、友だちにメールを送った。
2010.03.24
みんな春だった
冷たい雨の中歩きながら、この季節にはいつもいろいろなことが起こる、と思っていた。大事なものを亡くしたのも、手に入れたのも、嬉しい知らせを聞いたのも、悲しいことがあったのも、皆、思い起こせば春だった。
2010.03.23
血が、
簡単な、まっすぐ縫うだけの袋を作ろうとして間違った場所を縫い合わせ、それをほどいていたらリッパーを指に差してしまった。みるみるうちに赤い血が指先で盛り上がり、ぷちんと溢れる。布を汚さぬようあわてて遠くへ放り投げ、怪我したところをぎゅっと押さえる。痛くはなかったけれど多少気持ちが動揺して、しばらくなにも出来ず指を押さえて丸くなったまま、床にぺたんと座っていた。三月の夜。
2010.03.22
ベランダに出ると、隣のアパートの桜のつぼみがひとつだけ花を咲かせていた。ぱっと嬉しくなるのと同時に、何故だろう、ああもう咲いてしまった、と、少し寂しいような気持ちにもなる。勝手なものだ。「来るべきなにかよきこと」は、待っているときが一番愛しくて嬉しい。
2010.03.21
あまり風が強く吹くので、ざわざわして遅くまで眠れなかった。
寝たり起きたりを繰り返し、ずっと、わたしは、韃靼海峡を渡る蝶々のことを考えていた。
2010.03.15
さあ前菜はこのくらいでいいでしょう、もう一軒ご案内します、とその人は言って、すっと立ち上がった。タクシーに乗って連れていかれた先は賑やかで暖かなステーキハウス。先程のお店で、ふわふわの出汁巻きたまごや天ぷらまで食べていたわたしは少し困ってたな、と思いながら、案内されたカウンターに座っていた。赤ワインとチーズ、それとスペアリブが出て、どれもとても美味しかったけれどそのあとステーキを薦められ、断るわけにもいかず一番小さなポーションを選んだ。内心冷や汗をかきながらそれを平らげ、ガーリックライスまで出てきたところでもう眩暈がしていたのだけど、それでももう一軒、と言われて断れなかったのは、その人が、心からわたしたちをもてなそうとしてくれているのがほんとうに嬉しかったからだ。
ある外食チェーンを立ち上げて育てた人だ。何年か前、「美味しいお店があるんだよ」と友だちに連れられて行ったことのあるお店がよくよく聞いてみればこの人のお店で、やっているお店どれもが、レストランを本当に好きな人でないと作れないような、いいお店だっだ。
偶然、展示会で出会い、名刺交換をして、一度いらっしゃいと言われて本部にお邪魔した、ただそれだけなのに、なにか以前からずっと知っていたような気がするあたたかな人だった。レストランに大切なのはただそこに物語があるかどうかなのだと言う、その顔が穏やかで、わたしは、こういう人の言うことなら信じられる、と素直にそう思った。
薦められるまま一緒に食べて、飲んで、たくさん笑って、いい夜だった。なんでだろう、たまにこういうことがある。わたしはなにもしていないのに、ただ台本でも読むように物事がすんなり進み、仕事が決まる、こんなことが。
わたしは神様を信じていないけれど、たまに、こんな奇跡みたいなことがある。
2010.03.10
ぐりとぐら
ぼくらの なまえは ぐりと ぐら
このよで いちばん すきなのは おりょうりすること たべること ぐり ぐら ぐり ぐら ……
『ぐりとぐら』は好きな絵本だが、なかでもこのことばのリズムといったら最高だと思う。ついつい、思い出すたびに、このよでいちばんすきなのは……とつぶやいてしまうくらい。美しい言葉というのはいつも、無駄がなくて力強い。
それにしても、急に『ぐりとぐら』を思い出したのは、ハワイイのパンケーキのお店、Eggs'n Thingsが東京にグランドオープンしたのだというのを聞いたからだ。わたしにとってのパンケーキといえば、ぐりとぐらのたまごのカステラ。甘くて、いいにおいがして、ふかふかしていて、なんて幸せな食べもの、と、思う。
パンケーキは、バターとシロップたっぷりの後ろめたい感じで食べるのがいちばん美味しい。
2010.03.09
ひとりごとのようなお願い
パリに行ったことはないけれど、原宿にパリがあったことは知っている……、などと書いたら大仰に聞こえるだろうか。しかし、やはりあの頃のオーバカナルは特別だったと思う。あの時代、東京にパリのカフェをつくろうと思った人がいて、それがあんなふうに実現していたということ。今考えても、奇跡のようだと思う。
この前、友人が連れていってくれたカフェはまるでイギリスのようで、それも取り立ててオシャレでもない普通の、地元の人が出入りするようなお店みたいで、「秘密は分からないけれどいつもここ、イギリスみたいな気がするんだ」と言った友だちに大きく頷いたのだけれど、それからというもの、その場所―例えばカフェとかレストランとか―の空気を決めるものは何なのだろうとそればかりが気になっている。
その時からずっと、オーバカナルのことがいつも頭にあって、それはなぜかというと紛れもなくあのカフェがわたしにとってのパリだったからで、その秘密は何なのかがとても知りたいのだがいつまで経っても分からない。
当時オーバカナルを経営していたのはオライアンの岡さんで、その岡さんのお店は広尾のビスボッチャにしても恵比寿のボッカローネにしても、(これはフランスじゃないけれど)本当のイタリアみたいだから、もしかしたら秘密は岡社長というその人にあるのかもしれないなあ、とも思うけれど、一人の天才はコンセプトはつくれるかもしれないけれどそれを継続していくのはお店全体であるから、やはりそれが長年続いていくということは一人の人の仕事だけではない何かがそこにあるのだろうと思う。
というわけで、今わたしはもっぱら、「東京にある異国のカフェ」のことばかり考えているので、どなたかそんな場所に心当たりがあれば是非教えてください。
2010.03.07
目が覚めるともう、お昼近かった。さすがにびっくりしてあわてて顔を洗ったのだけれど、その後も床の上で昼寝などしてしまった。頭が痛い。
せめて何か少しでも生産的なことをしようと、型紙をとり布を裁つ。買っておいたリバティ・プリントでブラウスを仕立てようと思ったが、背中の方からなんとも寒いので、あたたかな溶接ニットを手に取り、季節外れの雪の結晶柄で、ポケットのついたトレーナーを作った。
2010.03.06
雨の土曜日。
ぼんやりとしたまま、傘を差して長靴を履きとぼとぼと歩く。食欲なんてないのに、なにかあたたかいものが食べたくてカフェに入ってみたけれど、やっぱりなにも食べられない。あたたかいカフェオレを少しずつ、両手で包むように飲む。
友だちが随分少なくなったな、とふと思う。それでもそれは、寂しいことでも悲しいことでもなくて、ただ、事実としてすとんと胃のあたりに落ちていった。
2010.03.05
黒を着る。
それでも、昼間は仕事なのでただ、いつもの黒のスーツ。
わたしはいつも黒が好きだ。やさしいから。黒というのは、いろんな気持ちを黙って飲み込み、寄り添ってくれる色だと思うから。
仕事を早々に仕舞って、電車を乗り継いで初めての町へ。たよりなく改札を出ると、そこには示し合わせたわけではないのに友人たちがいて、少しだけほっとする。顔を合わせてもいつものように笑い合うわけではなく、悲しいね、信じられないね、と、小さな声でつぶやく。
遺影が可愛くて、ほんとうに、知っているときのまま可愛らしくて、棺の中に納まっている姿も、今にも目を開けてにっこり笑いそうだった。音楽が流れる会場で、ぼんやりと、祭壇をみつめながらしばらく座る。もう、涙が流れているか、それがどれほどか、そんなことはどうでもいいことだった。
*
余計なことかもしれないけれど書きます。
乳がん検査、子宮頸がん検査、子宮体がん検査、ここを読んでくださっている女性の方で、久しく受けていないという方がいらしたら、どうか、是非受けてください。
友人は、あっという間にいなくなってしまいました。今さら言っても詮無いことかもしれませんが、早く発見できたら、ほんとうに、助かったはずでした。
自覚症状がほとんどなく、かすかな兆候なんて忙しければ見逃してしまうかもしれない。だから、二年に一度でもいいから、どうか定期的な検査を。
2010.03.04
いろいろな理由がある。あるのだけれど、ここ数日のわたしはひとりになると、アメイジング・グレイスばかり歌っている。わたしは信じる神様を持っていないけれど、そのような人生はなんと美しいものであろうか、と、たまに思ったりする。
2010.03.03
もう厚いコートは着たくない、だってひな祭りだし……、などと思いながら薄いワンピースにジャケットだけ着て出かけたら、思いのほか寒くてびっくりした。それでもそこここから春のにおいがして、気持ちのいい一日。春へ向かう季節というのは、なんともいいものだと思う。
2010.03.02
やりきれない
友だちが亡くなったのだという連絡を出先で受けて、それを聞いたときびっくりして周りの音がすっと遠くなったような気がした。中・高の頃の同級生、人好きのする可愛い顔の子で、本当に偶然、つい何日か前、そのいたずらっぽい表情を思い出していたところだったのだ。
特に仲がよかったわけではない。連絡を取らずにもう何年も経っていた。彼女が癌を患っていたことも知らなかったし、今どんな仕事をしているのかも知らなかった。それでも、寮生活……というか、一緒に暮らしたことのある友だちというのは不思議なもので、身体の奥底に染み付いて消えない思い出のようなものが濃く濃く残っている。今も、思い出すのはあの頃の笑顔ばかり。リュックサックを背負って歩く短いスカートの後姿とか、自分のことを時折名前で呼ぶ少し甘い声とか、そのわりにさばさばした口調とか、いつも今にも笑いそうに見える口元とか。
悲しい、というのとはたぶん違う、信じられない、という思いばかりが頭をぐるぐる回り、昔のことを延々と思い出しながらわたしは、その夜、ちっとも眠れなかった。眠れなくて、深い夜をじっとにらみつけながら少し泣いて、寂しいという気持ちは、内蔵がひとつぽっかりとなくなるような感じだ、と、思った。
2010.03.01
自分の中で何かが死んだ。
最初は、傷口から血が噴出すようで痛かったけれど、今は、その傷口を眺めて、あの時何かが死んだのだなあ、とぼんやりと思う。つまり、もう、傷はふさがったということだ。