« September 2010 | トップページ | November 2010 »

2010.10.28

 仕事。
 システムに関わる人間というのは、「トラブルなくシステム稼働させる」というのを最優先に考えることが多い。そして、それはもちろん悪いことではない。けれど、そのせいで、確実なこと、間違いのないことしか提案しないし、自分の範囲で少しでも経験がなかったり不安な部分はできないと言ってしまう、冒険はしない、ということになりがちだ。 もちろん、無理をするのがよいことだとは思わない。思わないけれど、でも、「自分の身を守る」ことにばかり心を砕いていると、「いいシステム」って、絶対できないとわたしは思う。だって、わたしたちは、メーカーだし、同時にベンダーだから。だから、できること、できないこと、できるけれど時間のかかること、時間をかけてもできないこと、現実的でないこと、許容範囲、そういったことを上手く調整しつつ、もちろんビジネスだから足が出ないように、納得してもらいながらシステムを稼働させること、それがわたしの仕事だ、と思う。
 難しいな。
 でも、出来る努力はしたいと思う。



2010.10.26

 好きな何かがなくなってしまう、と知らされるとき、寂しいのと、自分は無力だ、という気持ちがないまぜになって、わたしはいつも泣きそうになってしまう。
 自分には何もできないのだし、何かできたはず、と思うこと自体が間違いだということも分かっているのだけれど、それでも



2010.10.23

 昨日はあれから仕事を終え、食事に行った。

 昔、誕生日……というか、ハレの日のレストランといえばなんといっても青山のサバティー二で、その頃はフロアにまだいらしたサバティー二氏に祝福してもらい、一緒に写真に収まり、歌を歌ってもらうのが何よりのお祝いだった。
 今もあのレストランはあそこで営業しているけれど、もう、足は向かない。サバティー二氏が引退し、社長だった今泉さんが去り、経営が変わり、もう知っている人などほとんどいないし、あの特別な雰囲気は二度と味わえないのだと思う。……よく、アシュケナージが食事をしていたのを覚えている。静かに、エレガントに。たまに、本当にあのレストランが懐かしくなり、できることならまたあのテーブルで食事をしたい、と思ったりする。でも、それはもう二度と叶わないということもよく知っている。
 寂しいかって?寂しいよ、とても。昔親しかった友だちと、もう話ができないのと同じことだもの。

 とはいえ、お気に入りのレストランのテラス席に座って、夜が更けていくのを眺めながら過ごす、いい夜だった。イタリア語で、"Tanti Auguri a te(Happy Birthday)"を歌ってもらうのは大好き。十年後も二十年後も、誕生日を心から喜べるような、そんな人生を生きたい、と、ふと思う。



2010.10.22

 少し時間ができたので、品川の原美術館に寄る。崔在銀展「アショカの森」。わたしは原美術館が好きだ。もしかしたら、東京の美術館で一番。その成り立ちからいって当然なのかもしれないけれど、誰か大好きな知り合いのお宅に招かれているような、そんな気がするし、階段一段一段の高さとか手すりの優美な曲線とか、壁の質感とか、建物全部がいちいち美しいから。
 アショカの森。わたしは、アショカ王の故事を知らない。それでも、展示されている木を眺め、覗き込み、森を歩いているうちに、だんだんと気持ちが、もといた場所に戻っていくような感じ。そうか森というのは、それぞれ今の自分であり過去の自分であり、友人であり家族であり音であり光であり、つまりそれがこの世のすべて、時間と実態と幻想がそれぞれ矛盾せずに立ち並んでいる総体なのだ、と思う。
 そして一つ付け加えるなら、中でも、Another moonという作品が素晴らしかった。

 その後、カフェ・ダールでランチ。スパークリングワインを一杯だけ飲む。今日は、わたしの誕生日だから。



2010.10.18

おぼえがき

 そこに光があれば影を、影の方をいつも見る。それはわたしだけではないと思う。うすぐらさ、闇の堆積、母の胎内。そしてそもそも、光というのは、見つめるには明るすぎる。だから、影を見ることで光を、本当は見ているのかもしれない。
 少し前、国立新美術館の「陰影礼讃」展に行った。一見、華々しくはないけれどしみじみといい作品がいい順番で並べられていて、よくできた協奏曲を聴いているみたい。なかでも写真。ケルテス、スタイケン、ユージン・スミス、ときたあたりでもう頭の中がわんわんと共鳴して、そしてふと、クーデルカを見たときにやはり一瞬、空気が止まった気がした。 最後のブロック、デュシャンとウォーホルではじまり、光が燦燦と立ち込める作品で終わる、それがまたよい。

 陰影礼讃―国立美術館コレクションによる(http://www.nact.jp/exhibition_special/2010/shadows/index.html



2010.10.14

そこには詩があって、

 職場の自分のデスクの、手の届くところにいつも、いくつかの端切れがある。仕事に疲れると、手に取って眺める。蜉蝣の羽のようなシフォンに、太い糸でぽってりと施された花の刺繍、水墨画のように描かれた雨のようなストライプのシャンブレー生地、木の実みたいな種みたいなドット柄。どれも、両の手のひらに載るくらいのサイズだけれど、何故だろう、それだけで、そこにものがたりが聞こえる。いったいどんな人が、こういうものがたりをつくるんだろう、と、わたしはいつも不思議に思う。

 ミナ ペルホネンの皆川さんのことを、わたしはよく知らない。でも、布を手に取っていると、どういう人かが分かる気がする。結構頑固な人だろう。まっすぐで、純粋で、手を抜かない、厳しい人。でもいつもどこかとぼけたようにあたたかくて、土と草と風の気配がする人。「懐かしい」何かを持っている人だ。その懐かしさは、心の底からひたひたとやってくる。いつも何かを考えていて、静かな決意を持っている。遠くにいるけれど、大きな人。世界を自分の目でしっかりと見つめている、大きな心の人。

 青山のスパイラルガーデンで、ミナの皆川さんと、三宅一生さんのトークイベント。出てきたお二人を見て、あ、シェフみたい、と少し思う。すっきりとした清潔なたたずまい。皆川さんは少し緊張していたように見えたけれど……いい時間だった。とてもいい時間だった。
 皆川さんは言う。自分が産地へ出向くと、必ずそこに三宅さんの足跡があった、と。同じ世界で、自分の先を確かな足取りで歩いている人がいること、それはどれほど希望が持てて励まされることだろうか。
 あの人たちにとって、つくることは生きることなのだ、と思う。そして、熱と勇気があって、産地への愛がある。……愛というか、そこに布があって、デザインがあってパターンがあって縫製がある。それぞれをきちんと守らなければいけない、守って、育てていかなければいけない、そのためには何でもする、という決意のようなもの。

 なんで人は服を着るんだろう。どうしてわたしは、あのグレーのニットでなくてこの白のシャツを選ぶんだろう。なぜ、この花の模様に、こんなに心惹かれるのだろうか。その答えはいつも分からないけれど、それでも、もう何度も何度も洗ってくたくたになって、すっかり自分の身体になじんだシャツの、胸元の刺繍を見るたび一日が少し色づく、そんな積み重ねで自分は人生を生かされているのだと、それだけは確かにそう思う。

ミナペルホネン (http://www.mina-perhonen.jp/
イッセイ・ミヤケ (http://www.isseymiyake.com/
ミナペルホネン展覧会「進行中」 (http://www.spiral.co.jp/e_schedule/2010/09/mina-perhonen-15-spiral-25mina.html



2010.10.13

 そこが通い慣れた親しいレストランなら、閉店間際の雰囲気が一番好きだ、と思う。忙しい一日がゆるゆると終わっていくところ、客席にわずかに残った人たちの前にはレモンチェッロやグラッパやエスプレッソが置かれていて、親密な会話がさざめくように重なってお店に漂う、そんな時間。
 わたしはカウンターに座って、アマレットのジェラートを食べているところだった。ちょうどよくお腹がいっぱいで、満ち足りていて、本当にいい気持ちだった。
 キッチンの中からシェフが出てきて、いらっしゃい、遅くなっちゃってごめんなさい、と言う。わたしはふるふると首を振りながら、ウズラが最高でした、と言う。いや、みんな最高だったけど、特にウズラ。シェフは、にっこり笑って、そうでしょう、と言った。 「さっき、焼いたウズラを開いたとき、来た!と思ったんです。もちろん、もうちょっと火が入ったとしても食べられます。美味しいです。でも、今日のは絶妙な焼き加減だった。生じゃない。でも、食感は本当にレアだったでしょう?」
 「奇跡の一皿?」
 「うん」
 わたしは、前から気になっていたことをシェフに聞く。「たとえば、どういうタイミングでお肉を火から下ろすんですか?見ていれば分かるの?勘?経験?それとも、料理の神さまが今だ、って教えてくれるの?」
 「焼く前の触った感じ……たとえば冷蔵庫から肉を出してどのくらい室温に戻っているか、身が締まっているのかやわらかいのかと、それと、火にのせた時の感じですね。感じ……、やっぱり勘と経験ということになるのかもしれない」
 「それって、修業すれば身につくものですか?」
 「ある程度は」
 「ある程度?」
 「残りは、もしかしたら才能が必要かもしれない。でも」
 「でも?」
 「神さまは、きちんと修業をした人のところにしか来ないんです。……と、思いたい」
 といって、シェフは、はにかんだように少し笑った。



2010.10.06

 熱。
 昨日夜、お客様と食事をしていたら、どうも膝が痛いな、と思った。そうこうしているうちに肘も痛くなり(つまり関節が痛い)、座っているのが辛くなり、それでも焼き鳥を食べながら機嫌よく話していた(らしい。よく覚えていないけれど)。さすがに二次会は失礼させてもらいタクシーに乗り、どんどん寒くなっていくのを感じながら、それでも「多少具合が悪い」くらいに思って家にたどりつき、念のため体温を測ったら39℃あって、自分でも驚いた。具合が悪いはずだよなあ、と思いながら寝たら、一晩で熱は下がったけれど。
 朝、一旦出社して、昼休みに病院。お医者さまは、わたしの喉を見るなり、「これで熱が出ないわけない」と、言った。抗生物質と解熱剤、胃薬。いつもの通り。

 *

 「なんとかして、自力で症状の進行を防ぐ方法はないですかね、今後のために」
 「これはね、菌だからね。一度菌がここについて繁殖し始めてしまうと、食い止める方法は基本的にはないです。早く治したいなら抗生物質を飲むしかない」
 「うがいするとかでも?」
 「うん。だから、喉が痛くなり始めてからするのでは手遅れなんだよね。もちろんしないよりはした方がいい。でも、大事なのは、予防の方。痛くなる前に、うがい手洗いと過労は避けること」
 「薬を飲むしかないですか?」
 「早く治したければ。それと、熱がある状態で仕事をするのはしんどいでしょう。……あのねえ、あなた慣れてるからそんなこと言っているけど、普通の人はそんなに喉が腫れてたら痛くてなにも食べられないくらいの状態ですよ」
 「はい」
 「それと、念のため言うけれど、解熱剤は対処薬です。炎症を抑えて、熱を下げる。熱が下がったら楽になるけど、それはただ薬が効いているだけ。30分もすれば効いてくるから気分はよくなるだろうけれど、根本的には治ってない」
 「はい」
 「仕事休めないんだろうけど」と先生は確かめるようにわたしの方を見る「熱が下がったからと言って遅くまで仕事しないこと。今日はできるだけ早く帰って休んでください」
 「先生」
 「はい?」
 「ありがとうございます」
 「……お大事に」



2010.10.05

 昼休み、ぼんやりと自分の席に座ってクッキーなど食べていると、かすかな音がして友だちからメールが届いた。書かれている内容を見て、ふわー、と溜息とも歓声ともつかない小さな声を出しながら、なんというか、なんともハッピーなニュースだ、と思った。
 もうずいぶんと会っていない彼女の、華奢な手首や長い睫毛を思い出す。人生というのは、まあ、ごうごうと風が吹く荒野の中をひとりでどこへともなく歩いて行くようなものなのではないかと思う。その道中、肩を寄せ合って共に歩ける誰かがいるのなら、それを幸いと呼ばずに何と呼ぶのか。小さく祈るようにおめでとう、とつぶやく。



2010.10.04

 よく分からないけれど、
 境界線の上を歩くみたいに生きていきたい。
 時々よろめいて、
 あ、向こうに倒れそう、と思ったりしながら、
 でもどちらにも倒れずに、
 線をまたぐでもなく、
 どちらの世界にも属せずに、
 どちらの世界ともちょっと親しくて、
 でも、決定的に仲間にはなれない
 そんなふうにさみしくて、
 でもいさぎよく生きていきたい。



2010.10.03

 たとえば旅館に泊まるなら、できるだけすっきりとした旅館がいい、と思う。お香が香る廊下、控えめに置かれた、でもきちんとした調度品、季節の花、さりげない電話機。浴衣はシンプルで質がいいものがいい。……と、わたしが思う「理想の旅館」のほとんど完璧な実例が湯河原にあって、わたしはそこへ行くたび、ほんとうにここは素晴らしい、といつも思う。大きな旅館ではない。全部で十にも満たない客室。山の上にあって、静かで、すがすがしい。余計なものは一つもなく、すべてのものが誰かの――信頼できる誰かの美意識で完全にコントロールされている。電話はBang & Olufsenなんだよ、湯上がりに置いてあるポットなんてエヴァソロのジャグだし、アメニティはMARKS&WEBでねえ……、なんて非常に俗っぽく分かりやすく言えばそういうことなのだが、それだけではない。
 たとえば浴衣。奇麗な色や柄ではない本当に素朴な白地の綿の浴衣なのだが、その質がとてもいいのだ。やわらかく肌に沿い、しかも軽くて肩が凝らない。一見しただけでは分からないが、着ると分かる。必ず分かる。わたしは、他のどんな旅館でもこれほど着心地のいい浴衣を着たことがない。
 たとえばもし分かりやすいサービスをしようと思ったら、色とりどりの浴衣を用意して選べるようにしたり、作務衣を用意したりそういったことだってできるのだと思う。でも、それよりは、ごく普通の、でもとびきり質のいい浴衣を用意する、それが、その旅館を取り仕切っている若社長の方針なのだと思う。押しつけがましいサービスをするわけではない。でも、そこには、わたしたちはあなたを歓迎しています、という温かな空気のようなものがいつも漂っていて、そんなの、どこへ行ったってお金では買えない、といつも思う。
 もしあの旅館がなくなったらわたしは泣かなければいけない。

(と、こんなことを書いているのは、今日泊まった旅館がいまいちだったからなのでした)



2010.10.02

 本当に偶然だったのだ。そもそも、そのレストランに行くのを決めたのも、昨日の夜だった。たまたま、会話の中にそのレストランが登場し、西麻布でずっとレストランをしていたシェフが完全予約制で山の中に開いたレストランだというから、行ってみたいね、という話になったのだ。その場で予約して、やってきたのが今日のこと。
 お料理は可もなく不可もなく、というところだった。ボリュームがあって、よく勉強された美味しいイタリアンだと思ったが、印象が薄い。しかし一軒家のレストラン、よく晴れていて開け放たれた窓からは風が抜けて、とても気持ちがよかった。
 アミューズ、前菜、パスタを二種類。お肉の煮込みに取りかかっているところで、外に車の停まる気配がし、女性の声が聞こえてきた。何故だろう、よく知っているような声……。ふっと窓から入口の方を眺めると、なんと、知った顔が二人。思わず手を振る。東京で一番好きなレストランの、シェフとマダムがそこにいた。
 しばらくイタリアに滞在したのだと聞いていた。二人とも、よく日に焼けて、にこにこして、まるでさっきバカンスから帰ってきたよう。「誰が手を振っているのかと思いましたよ」と、シェフが言う。コムデギャルソンの黒いポロシャツ。コックコートを着ている時よりもくつろいでいて、ずいぶんと年上の男の人に失礼な表現かもしれないけれど、なんというかとても、可愛らしかった。マダムの方は相変わらず、きっぱりとしていて、ちょっと独特で、でもそれがとても素敵なのだった。「あんまりイタリアにずっといたから、さみしかったわ」と、その口調が若いお嬢さんみたいで、それでもそれは、マダムによく似合っている。
 お店に他のお客さんがいなかったから、わたしたちはしばらく一緒におしゃべりをした。実は、この人たちにこういうふうに偶然出会うのは二度目だ。なんとも、不思議な縁なのだと思う。
 マダムは、自宅の住所が書いてある名刺に別宅の住所と携帯を書き添えてくれた。わたしは、ずっと言いたくて言えなかったことを思いきって言う。……東京じゃなくてもいい、どこでもいい、またレストランを始められるときは呼んでください、必ず行きます、と。するとどうだろう、マダムはぱっと、ヒマワリの花のように笑って、本当?やりたいのよ、レストラン、今場所を探しているの、と、言った。

 *

 名残惜しかったけれど先に立ちあがり、お目にかかれてよかったです、と、お店を出た。空腹が満たされる以上に、とても幸せで、わたしはあの人たちが好きだ、と思った。
 あの人たちが好きだからあのレストランが好きだったのか、あのレストランが好きだから、あの人たちを好きだと思うのか、よく分からない。よく分からないけれど、いらっしゃい、と笑顔で迎えてもらい、美味しいものをつくってもらってお腹いっぱい食べて、そんなふうに、何年も、腹の底から信頼していた人たちを、そう簡単に忘れられるはずも嫌いになれるはずもないのだった。