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2011.03.27
満ち足りた気分でぐっすり眠った次の朝は、少しだけさみしかった。
ダイニングテーブルの上には、昨日、あのお店で握ってもらったおにぎりと、もらってきた鯛の鯛が置いてあって、それを見たら少しだけ、鼻の奥が痛くなる。静かに何かが閉じてゆくその名残りを、未練がましく手元に残すべきではないのかもしれない。
簡単に、昆布のお椀をつくり、おにぎりを食べる。わたしはおにぎりが好きだけれど、それは、誰かが握ってくれるからなのだ。そして、それを握ってくれたあの手元を、ぼんやりと思いだす。
いつかこの味もあのお店のことも、わたしは忘れてしまうのだろうか。
そう思うと少し切ない。
2011.03.26
風がぴゅうぴゅう吹く午後、草月ホールへ落語を聞きに行く。落語、といっても「柳家三三で北村薫」というイベント。北村薫さんの『空飛ぶ馬』を、三三さんが演じるという。
わたしが北村さんの小説に初めて出会ったのは、この『空飛ぶ馬』で、当時大学生だったわたしは夢中で、……本当に夢中になってこのシリーズを読んでいた。普段ミステリは読まないのになぜか北村さんの書くものはどれも好きで、読んでいると何故か、身体がなにか暖かなもので満たされる気がするのだった。
余りにも何度も読んだものだから、主人公である「私」も正ちゃんも恵美ちゃんも、まるでよく知っている友だちのような気がするくらいだし、円紫さんの高座だって何度も聞いたことがあるような気さえする。あの、「夢の酒」だって……、まるで耳元で声が響いてきそう。
その大好きな小説を、今日は三三さんが演じる。スーツに身を包んだ三三さんが静かに舞台に立ち「空飛ぶ馬」を演じ始めたとたん、わたしはすっとその世界に入っていくようだった。舞台は冬。木枯らしが吹く道をいつしかわたしも歩いていた。
物語のなか、途中で円紫さんが高座に立つ場面がある。「三味線栗毛」。三三さんは一旦、袖に引っ込み、着物姿で再び出てきて高座に立った。あ、円紫さん、と自然に思う。あそこに座っているのは、柳家三三というその人ではなく、春桜亭円紫。円紫さんは、すっと「三味線栗毛」を始めた。
ここでは筋は書かないけれど、「三味線栗毛」にはいろいろな演出がある。それでも、今日の三味線栗毛は、心根の悪い人は一人も出てこない、隅々まで優しい噺になっていた。聞けばそれがそのまますっと心に届くような、澄んだ冬の青空のような。
わたしはそれを聞きながら、人を救うのはやっぱり人だ、と、ずっと思っていた。
*
*
大好きなお店があった。
品のいいお店だった。ドアを押して入ると、気持ちよく誂えられた店内、なにひとつ気取っていないのに、なにもかもがひとつひとつきちんと吟味されて、そこにあった。
いつも、夜、お腹が空いたなあ、と思いながらそのお店にたどり着き、美味しいものを沢山食べた。季節が、コトリ、とその姿を変えるたびにわたしは、そのお店に行きたい、と、いつも思っていたのだ。
誰かのつくったものを食べる、というのは、やっぱりその人のことを腹の底から信頼している、ということなのだと思う。テーブルが二つ、あとはカウンターだけの小さなお店、そこを切り盛りしているオーナーと、少しずつ、いろいろな話をするようになったのはいつからだったか。そこに座ってご飯を食べていると、少しだけ、その人がどんな人なのかが分かる気がした。頑固な人だろうと思う。繊細だけれど少し大らかで、そしてその繊細さも、生まれついてのものではなくて、後から決意を持って身につけたものだろう。いい加減なことはしないし、努力は惜しまない人だけれど、時々、何かに飽いたようになる。たぶん、型に飽きるのだと思う。でもそれを理性でコントロールしてぐっと、収まりのいいところでお皿の上に乗せることのできる知恵を持っている人。葛藤はあるけれどそれも全部くるんで、美しい一皿の料理にする、そんな人だと思う。
普通に暮らすわたしたちのための、筋の通った和食。何かをつくり出すのはすごく孤独な作業だけれど、それを淡々と、こんなふうにつづけてきた人をわたしはやっぱり尊敬していたのだ。
その人から、今のお店を畳むんです、と聞いたのは少し前のこと。
きゅ、っと胃のあたりが縮こまったようになり、わたしは少し大きな声で、どうしてですか、と聞いてしまった。次のステップのための準備をするんです、というその言葉を聞いて、それならわたしには何も言えない、と思ったけれど、それでもやっぱり、さみしかった。
最後の日、たまたま東京に出張で来ることになった大切な友達を誘い、待ち合わせてお店に行った。
カウンターに座らせてもらい、あれこれと少しおしゃべりをする。カメラを取り出して、今日だけ撮ってもいいですか、と聞くと、僕の遺影ですか、と笑う。とんでもない、と首を振ったけれど、わたしはただ、このきれいなお店を、少しでも残しておきたかっただけだったのだと思う。
お料理の注文はしなかったけれど、まず蟹が、次にお凌ぎの鯛のお寿司が目の前に置かれた。わたしはいちいち歓声をあげながら、そのたびに手を合わせて、黙々と食べた。並んで座った友だちも、黙って付き合ってくれた。きめの細かい白い肌、その横顔をみて、きれいだな、と思う。
お肉が好きだって言っていたから、と、本来はメニューにないステーキを焼いてくれ、そしてそれは素晴らしかった。最後の鯛飯を食べ、ちょうどお腹がいっぱいで、あ、いつもと同じ、と思う。ここでコースを最初から最後まで食べると、わたしはいつも、お腹がいっぱいで、でも苦しくなく、ぴったり満たされた気分になる。
……こんなお店、他にはないのに。そう思って、少し喉の奥が熱くなったけれど、お茶をごくりと飲み込んだ。
できればすっとそこに座っていたかったけれど、真夜中近く、ごちそうさまでした、と言って席を立った。
ドアを開けると、風が吹いた。寒さに首をすくめながら、後ろを振り向くと、そのオーナーがまだ外に立っていて、目が合うと、こちらに向かって手を振った。
手を振りかえしながら、お店の灯りを何度も見る。あったかそうな、オレンジ色の灯りが、静かな通りに漏れていた。
わたしはあそこでとても大切にしてもらったんだな、とその時思い、涙がこぼれないように少しだけ上を向いて、車に乗った。
2011.03.25
僕は女は嫌いだね、と言われた方がまだましだと思った。「僕は君を評価してるけど、それは君の仕事じゃない。女だから」と言われ、まあもちろんお酒の席でのそんなやり取りは笑って受け流すのだが、一瞬、引きつっててしまった頬をこっそりと撫でながらまだまだだな、と思う。わたしの仕事ではないという「その」仕事は、まさに今わたしがしている/しなければいけない種類の仕事で、だからもうそんなことは、今さら、何万回も聞いてきたし、今さらへこたれるようなことではないのだけれど。
「女だから仕事が取れる」と言われるのも、「女だから信用できない」と言われるのも未だに慣れない。わたしは女でしかいられない。けれどたぶん、自分が女だからというそのことで、仕事に色が付くのが嫌なのだと思う。
2011.03.24
ぴゅうっと吹く風に首をすくめながら、あまり馴染みのない町を歩く。あまり寒く感じないのは、お腹も気持ちも満たされていたからに違いない。
ここ数日、寺田寅彦のことを考えている。漱石先生の弟子で、「猫」の水島寒月のモデルだともいわれる、甘いもの好きの物理学者。わたしは彼の書くものを好きだ。まるで透きとおった水を飲むようで、すっと視界が開けるのだ。「寺田なんか駄目だ。君たち、寺田の文章なんて読んじゃあいけないよ」と、物理を学んだ友人はかつて教授に言われたのだとというけれど、そんなことを聞いてもまだ、わたしは、彼が理性と感性のあいだにすっと橋を架けるのを見るのが好きだと思う。
考えてみれば中谷宇吉郎もまた寺田の弟子で、そのひとつらなりの関係を眩しく思った。
2011.03.23
折りたたみの小さな傘が、鞄の中には入っていた。それでも、それを取り出して開くことはせず、しばらく濡れて歩いた。打ち合わせ。見苦しくないようにそっと髪をぬぐって、春のコートを脱ぐ。コートの表面を、雨が玉になって転がり落ちていった。
初めての客先に行くときはいつも緊張する。緊張するけれど、一方でいつも少し心躍るのは、なんにせよそれが、初めの一歩だからだと思う。どんな仕事でも、いつも初めはこんなふうだ。
入口のインターフォンで名前を告げて、中に入ると、気持ちのいいオフィスだった。雑然と物など積まれているのに、それが気にならずむしろ好ましく思えるのは、そのひとつひとつがどれも、きちんと吟味されたものだからかもしれない。薄いクリーム色の美しい紙、白磁の食器、メープルのトレイなど。
ビルから出ると、雨が強くなっていた。見上げると、雨は、明るい空からひかりのように降ってきていた。しばらくそのまま歩いたあと、手を挙げて車を止める。
2011.03.22
心がかさかさと音を立てるようで、なのに本も読めないし音楽も耳を素通りしていく。せめてただ淡々と、日日のさまざまなことごとを、できる限り丁寧に続けていく。
地震の後、灯が絶えたようになっている東京の街を見ながら、自分にはなにができるかをずっと考えている。……そして、数字はもっと生々しい。自分の顧客の、対前年比の売上が五割減、というデータを、何度も確かめるように見直してしまう。こんな時に、数字におびえるのはわたしの悪い癖だろうか。
心の中で、カナリアのことを思う。炭鉱のカナリア。あの美しい鳥の囀りを、失わないためには、何を。
2011.03.21
きれいになった部屋にぽつんと座って、ニュースを見てはめそめそしている。テレビのないうちでもこうなのだから、テレビなど見てしまったら、普通にしていられるかどうか全く自信がない。いてもたってもいられない、と思うけれど、何もできない。
*
今日はバッハの誕生日。
2011.03.20
雑巾を硬く絞って、床を拭く。小学校の頃やったみたいに、雑巾を持った両手をついてパタパタと走ってみる。いろいろと便利な道具があるのは知っているけれど、このやり方が一番落ち着くのだからおかしなものだと思う。ワックスと水拭きとから拭きの間にそれぞれ手早く掃除機をかけて、ついでだからと、換気口のフィルターを洗い、照明のまわりもざっと拭う。キッチンのシンクとガス台を洗い、表に出ていたものを片づけ、(途中でお茶を一杯飲み、)買い置きの整理をする。あるべきところにあるべきものが収まっている姿はそれなりに気持ちがよい。ものが散らばっていたテーブルの上もきれいにしたところで、ようやく、すがすがしい気持ちになった。鬱々とした気分のときには身体を動かすのが一番で、それで部屋もきれいになるのだから一石二鳥。めでたし、めでたし。
2011.03.19
サラリーマン生活ももう長いけれど、時折大きな失敗をする。昨日は、こともあろうか一年に一度の全社会議の日に、その二次会でファウンダーにかなり強く意見してしまった。白状すると、彼の発言に、怒りで目がチカチカしさえした。しかしいくらそれなりに長い付き合いの人だとはいえ、立場を考えればわたしのしたことはとんでもないことで、その場は宙ぶらりんのまま、空気を読んだ人たちによってそそくさと畳まれた。
もちろん、しばらくは口もきけないほど落ち込んだのだが、幸いだったのは同僚二人も同じ気持ちだった(らしい)ことで、駅前の横断歩道でどちらに向かうか迷っていたら、「もう一軒いこうよ」と、言ってくれた。一人であのまま家に帰ったら、たぶん、眠れなかっただろう。助かった。
というわけで、夜明け近くまで居酒屋で飲んだ。散々酔って、霞がかかったような頭で、まあ、みんな思っていることは同じなのだよな、と思う。
2011.03.18
年に一度の全社会議の日。
例年に比べ、会場のホテルはがらんとしていて、ハープが置いてある入口のラウンジも、営業時間を短縮しているという。
黙祷からはじまり、社長の次に、わたしも三十分ほどしゃべった。(主に社長の資料の)準備でほとんど寝ていないのは毎年のことだからもう慣れているけれど、慣れてはいけない種類のこともあるよなあ、とぼんやりと思う。
*
パーティの会場はガラス張りで、大きな桜の木が見える。大きく膨らんでいる蕾を見て、もうすぐ桜の季節、と思う。
もう少しすれば会社の前のあの桜並木も、薄桃色のアーチをつくるはずだ。ふと思ったその風景はまるでひかり輝くようで、すがるようにわたしは、早く桜が咲きますように、咲きますように、と思っていた。
*
ところで、パーティの後の二次会で、いつもの焼鳥屋さんに行った。こんにちは、といつものようにお母さんに挨拶したとたん、とんでもないことに気付いた。……今日は、母の誕生日だ!ここのお母さんは、母と同い年で卯年。いつもそんな話をしていたので、お母さんの顔を見たとたんに思い出したのだ。今年は、会議のことでバタバタしていてすっかり忘れていた。迂闊だった。せめて午前中のうちに気づけば、花束くらい贈れたろうに……。
一緒にいたお客さまに、ごめんなさいと断って携帯を取り出した。慌てているのでちっとも文章を思いつかない。お母さん、お誕生日おめでとう、いい一年になりますように、とだけ書いて送信する。しばらくすると、「ありがとうございます。」と何故かかしこまったメールが返ってきて少し笑った。
2011.03.16
投げ出されたパスポートは、紺色だった。
「面白いものを見せてあげようか」と言ってその人は、胸ポケットから取り出した何かを、わたしの目の前にバサッと投げ出した。小さな手帳……いや、パスポートだった。とっさには何も言葉が出てこなかった。だまって、その人の方を見る。
「白状すると、僕はさっきから、今すぐ成田に向かおうかどうかずっと迷ってる」口の端を無理に上げて笑ったその顔をしばらく見つめたあと、わたしはふっと眼をそらし、目の前のもう冷めたコーヒーを飲んだ。
「わたしがあなただったら同じことをするかもしれない」とわたしは言った。口の中が苦い。「でも、もう聞き飽きたでしょうけど、フクシマとここは240㎞離れている。」もちろん、彼はそんなことは分かっている。この返事がどれだけ意味のない言葉かって、そんなことはわたしだって知っていた。
「わたしたちはこの、時折地面が揺れる国にすっかり慣れてる。でも、そんなわたしたちにだって今回のこれはしんどかった。あなたにとってそれがどれほどのことだったか、そしてそれは今も続いていて、だからそういう気持ちになるのは想像できるし理解できる。だから止めない。今から成田に行くというのであれば、心に一点の曇りもなく、さよならが言えると思う。ただ」「……ただ?」「わたしたちには、今のところ、行く先がないし、それに、わたし個人は実際のところ、まだ、ここから離れる必要もないと思っている」
彼は、ふっと肩の力を抜いてこちらを見た。
「……でも、きみも疲れたでしょう?」
「まあ、本音を言えば、確かに」
2011.03.15
明け方、イギリスから、短いメールが届いていた。高校時代の、先生から。
「あなたのことを考えています」からはじまるほんの数行のメッセージを読んで、少し泣いた。
2011.03.14
早目に家を出て駅まで行ったけれど、少し先のJRと接続している駅で、ホームに人があふれていて電車が動かないという。
仕方がないので駅を出て、会社まで歩くことにする。今からなら、始業時間前にたどり着けるだろう。歩き始めてみるとすっかり春の空気、本当だったら気持ちのいい春の朝なのだった。
会社に着いてみると、三分の一ほどが出社できていなかった。いるのは、会社の近くに家があるメンバーばかり。こればかりは仕方ない。
計画停電が発表されたので、地震の被害がなかったお客さまからもいくつか、サービスの提供には問題ないかという電話が入っていた。今まで、ただのおまじないだと思っていた自家発電装置、それが役に立つけれど、これをこんなふうに使う事態が起きるなんて、実は今まで、思ってもいなかった。
海外に本社があるお客様からは、たまに、サービスを提供するデータセンターが都内複数個所だけでは不安だ、できれば海外、せめて関西にもバックアップのセンターを置いてほしい、と言われることがあったけれど、それもこういう事態になったからには真剣に検討しなければいけないだろう。
それでもひとまず、計画停電の間もサービスの提供には問題ありません、という文章を急いでつくってもらい、チェックする。胃が痛い。とにかく義捐金を……と思い、ネットで振り込む。1、という文字を3に変えて、しばらく迷った末に5にした。また来月も、必ず。
2011.03.12
昨日までと昨日からとでは世界がまるで変わってしまった。こんなことではいけない、と思いながらもベッドから起き上がれなかった。しかし、原発の報道が気になって眠れない。
しかしこれだけは、と思って家中のコンセントを抜いた。もはや今の自分にできることは、何かあった時のために備えておくこと、できるだけ普通に生活すること、それと、節電くらいしかないかもしれない。
よくわからないけどなにか、何かにむかってずっと祈っていた
2011.03.11
あの日、
その時、わたしは六本木の古いビルの八階で、打ち合わせをしているところだった。もう長い付き合いのお客様の事務所の、広い会議室。開発しているシステムの進捗確認がテーマで、特にスケジュールの遅れもなく会議は和やかに進んでいた。
揺れている、というのに気付いて声を上げたのは誰が最初だったか。ゆらり、ゆらり、とビルがきしむように傾き、皆様子を窺うように机に手をついて身を屈めた。その時はまだ、いつものよくある地震だと考えていたように思う。ところが、なかなか収まらないで、しかも激しくなる揺れに誰かが遠くで叫び声を上げ、ドアを開けに立った担当の方が、「このビルは危ない。とにかくビルから出ましょう」と言った。
鞄をつかむ暇もなかった。手が震えて、とにかく、机の上に置いてあったiPhoneだけを握りしめて廊下に出る。目の前をあるく人がぐらぐらよろめいている。いや、揺れているのは人でなく、地面だった。正面の、大きな窓から見える他の建物も傾いている。恐る恐る足を進めて非常階段の踊り場に出たころにようやく揺れは収まり、それでもそこの壁はぼろぼろと落ち、鉄骨が見えていた。それを見たとき初めて、すっと背筋が寒くなり、わたしはできる限り急いで階段を降りた。途中の階にあるスポーツクラブから、ほとんど裸のままで飛び出してくる人たちがいる。いろんな光景が目に入るけれど何も考えられない。とにかく、外へ出なければ、と思っていた。
正面玄関を抜け、表へ出ると、通りまで人が一杯だった。車の流れも不自然なかたちで止まっている。なすすべもなくぼんやりしていると、「こっちへ避難してください」という声が聞こえた。お客さまの会社の、雑誌でしか顔を見たことのない、社長だった。
裏の、広い駐車場へ避難する。唯一持ち出せたiPhoneで会社に連絡しようとするがちっとも繋がらない。何回かかけたあとで諦め、gmailとtwitterは生きているのに気づいた。ひとまずgmail経由で会社にメールを送る。「皆大丈夫?わたしたちは無事です。今避難しています。Docomoの携帯は持ち出せませんでした。iPhoneだけ手元にあります……」
twitterのタイムラインはどんどん流れていた。震源は三陸沖、マグニチュード8以上、震度7……、お台場で炎?、携帯が繋がらない……。そんななか、時折、地面がゆらゆら揺れる。近くの民家からガラガラと瓦が落ちるのを見ながら、東京は震度五、なのにあんなに揺れた、震源に近いところではどれだけ揺れただろう、とにかくみんな無事でいるだろうか、と、なにかとりとめもなく気ばかり急いて、足が震えて、しゃがみこまないようにするだけで精いっぱいだった。
もともと、スケジュールがめいっぱい詰まった日だった。次の打ち合わせは、普段だったら歩いて10分ほどのところで行われる予定で、行こうと思えばたどり着けないことはなかったが足が動かなかった。しかし今考えてみればこのときはまだ、わたしは事の重大さを本当には分かっていなかったのだ。すぐ次の打ち合わせはキャンセルになるだろう、でも、その次の打ち合わせはもしかしたら行われるかもしれない、で、あればタクシーで十分ほどの場所だけれど歩いていくべきだろうか、きっとタクシーはつかまらないだろうから……などと考えていた。
そのうちに、また大きく揺れた。よろめきながら、周りを見回す。すぐそこに見える六本木ヒルズの建物だけが、きらきらと何事もないようにみえた。
防災頭巾をかぶった小学生たちが母親に連れられて帰っていく。わたしたちも、いつまでもここにいるわけにはいかなかった。荷物を取りに行かねばならない。それでも、ビルの中に戻るのはやっぱり怖かった。
お客様の部長が、「みんなで荷物を取りに行きましょう。どちらにしろ、今日の業務はこれで終了になったから」と言う。裏口から、みんなで階段を上り、そのままになっていた会議室に戻って書類やノートを慌ててまとめる。コートを着込み、また階段を降りて、「くれぐれも気をつけて」というお客様と手を振って別れた。
駅には人があふれていた。もちろん、空車のタクシーなど一台も走っていないし、道路自体も渋滞していた。こりゃだめだ、と思い、一緒にいた同僚に、仕方ない、とにかく歩いて帰ろう、と言う。多分、一時間弱で着くだろう。
携帯は相変わらず使えなかったけれど、幸い、メールはずっと生きていた。みんな無事です、といういくつかの便りを確認して、打ち合わせをキャンセルするメールを送った。
店頭に張り紙をして、閉店しているお店も多かった。警察の前には人だかりがして、皆、道を聞いているようだった。公衆電話にもバス停にも行列ができている。携帯がこのような状況で、電車が全面的に動いていないのだったらこれも仕方ない。歩いて帰れる場所にいただけで幸せと思わなければ。
次々と駅を通り過ぎると、どの駅にも人だかりがしていた。もうしばらくすれば電車が動くかもしれない、と、みんなそう思っているようだった。その分、道路は歩きやすく、わたしたちは淡々と歩いた。とにかく会社に戻らなければ、とそれだけを思っていた。
*
会社にたどり着くと、当然のことながらエレベーターは止まっていた。よろよろと階段を上り、八階まで。セキュリティの関係で、いつもは二重に閉まっているドアが開け放されている。それはそうだろう。仕方ない。
社内はわさわさとしていたが、それなりに秩序を保っていた。ほっとして、今日社内にいなかったメンバーの安否を確認する。サービスを提供しているサーバーは耐震構造のデータセンターにあり、一番安全だと思っていたが思った通り、びくともしていなかった。
自分の部屋に戻ると、社長が、「でかけるぞ」と言う。「どちらへ?」と聞くと、「だって約束だから」と答える。確かに、今日は、お客様と一緒に食事をする約束をしていたけれど、当人だってこの状態では来られないだろうに……。
それでも、仕方がないので、手早く荷物だけ整理して出かける。社用車に乗りこむと、ひどいニュースが次々に流れてきた。津波、燃えさかってる工場、倒壊した家屋、停電……、しかも、都内の電車もまだ軒並み動いていない。JRは今日の運転再開を諦めたという。あわてて、会社に連絡するもまだ電話が繋がらない。仕方ないのでまたメールで連絡をすると、今日約束をしていたお客さまから、「電車が動かなく身動きが取れない」というメールが来ていた。
車はひどく渋滞していた。途中で、目的のお店に行くのを諦め、空腹だという社長と馴染みの寿司屋に入った。まるでいつも通り、繁盛している。それでも出前が殺到していて、そろそろシャリが足りなくなりそうだと言っていた。すぐ脇にある大きなテレビでは、ヘルメットをかぶったアナウンサーがニュースを伝えている。
イギリスの姉から、携帯にテキストメッセージが届く。"I heard the news. Are you all right? …… "もうイギリスでも報道されているのか。姉は、実家に電話をしたけれど繋がらないという。わたしも、父と母の携帯にメールを出していたけれど返事はこなかった。普段、携帯を持ち歩いていない人たちだからしょうがないけれど、無事でいてくれればいい……。「わたしは大丈夫。ただ、携帯が全然繋がらないの。お母さんに連絡取れたら教えて」という内容を返信すると、しばらくして、"OK"という返事が来た。
早々にお店を出て、会社に向かう。すぐ近くまで来たところで、車がピクリとも動かなくなった。短気な社長は車を降り、歩いて帰るという。しばらくすると、駅前の焼き鳥やにいるから歩いておいで、というメールが届いた。やれやれ、と思いながらわたしも車を降りて、歩き始めた。
その頃には、歩いて帰宅する人が歩道に列をなしていた。途中のコンビニも行列している。その頃にはもうすっかり暗くなっていて、停電していないのが幸いだった。これで真っ暗だったら、もっと混乱していたに違いない。
急ぐ必要もないのに、知らず知らずのうちに小走りで駅へ向かった。いつものビルに飛び込んで階段を駆け上がり、お店のドアを開け、よく知っている人たちの顔を見たとたんに何故か、少し泣きそうになった。
*
でも、その時になってもわたしはまだ、何も知らなかったのだと思う。
2011.03.08
「手を上げられたら止まらないわけにいかないしねえ」
という言葉の意味を理解するまで、少し時間がかかった。気を使う種類の書類仕事と客先での打ち合わせがミルフィーユのようになった一日がようやく終わった午前零時。走れば終電に間に合ったけれどもう疲れて、通りかかったタクシーに乗り込み、行先を告げたところだったのだ。
「あそこの駅の、終電に合わせて行こうと思っていたんですよ」
と、その運転手さんは近くのJRの駅の名を挙げて畳みかけるように言った。わたしはそれを聞いてようやく意味を理解し、それからは反射的に、「すみません」と謝っていた。わたしが乗る距離は、メーターの金額で2000円ちょっとにしかならない。終電前後はタクシーの一番の稼ぎ時、近距離は嫌われるのだった。
「すみません。わたし、降ります」と棒読みのように言ったのは腹が立ったせいではなく、もう今日はこれ以上、どんな交渉もしたくなかったからだ。口を開くのさえおっくうだった。おべっかをいうのも誰かに気を使うのももう沢山で、面倒な会話になるのであれば降りた方がずっとましだと心から思ったのだ。
「本当に降りても構いません」と、もう一度淡々と繰り返した。すると運転手さんは、ふっと笑って少し諦めたように、「冗談ですよ」と言ったのだった。
*
いつまで経ってもタクシーに乗るのに慣れない。年間何百回も乗っているのに、だ。なんでだろう。お店で100円のキャンディ買うのは平気なのに、タクシーに乗って、初乗り710円だと心苦しく思うなんて。「近いから」って乗車拒否や不機嫌な態度を取る運転手さんが日本で一人もいなくなったら、きっとタクシーを使う人だって今よりずっとずっと増えて、結果的に業界全体の売上だって、今よりだいぶ、増えるだろうに。
*
お、終電、間に合いそうだな、と、車を止め、ちらりと時計を見て運転手さんは言った。
よい営業になりますように、と言って、わたしは、車を降りた。