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2011.10.31
母の手術。
どうしても外せない打ち合わせを朝一番で終え、あわてて新幹線に飛び乗る。一駅だけ。贅沢な話だけれど、そうでもしないと間に合わないから。
母は点滴をつけたまま、よいしょ、とストレッチャーに乗り、手を振りながら手術室に運ばれていった。いつも通り、淡々と。後に残されたわたしたちは狭い病院の待合室で、ぽつりぽつりと昔話など。遠方から駆けつけた叔母たちと、姉と、わたし。
叔母たちの顔を交互に見ながら、そこに母の面影を見つけて、お母さん、と思う。母がいなくなったわけではないのに、なぜか、切なく思う。
夕方。
先生から呼ばれ、切り取った胃を見せられる。ピンク色の、やわらかい塊り。これが癌です、と示されたその部分は、かすかに白く、硬くなっていて、500円玉くらいの大きさだった。
よく見ましたが、他に転移はないようです。ただ、胃はやはり全部とりました。迷走神経を切っているので、そのままだと確実に数年後に胆石ができる。ですので胆のうだけは合わせて取りました………。先生の説明を聞きながら、ところで母は、と聞きたい気持ちをぐっとこらえる。先生、ところで母は、大丈夫でしょうか。いつ母と会えるんですか………。
手術室から出てきた母は、目をうっすらと開け、かすかに手を持ち上げた。大丈夫よ、と聞こえるか聞こえないかくらいの声。窓の外はすっかり暮れて、夜が来ていた。
2011.10.29
ダリアを選んだのは彼女がダリアに似ているからではなく、ダリアを傍らに置いた彼女はきっときれいだろう、と、思ったからだった。赤いダァリア。
「さよなら、あたしはこれからよるもひるも逃げてあるくばかりよ。お日さまと、お月さまとお星さまと、それから火と。」
そう、確かにダリアは、ひかるように咲く。
芸術というのは、病の一種なのだと思う。魂と引き換えに手に入れる、天上の風景みたいに。
2011.10.27
informed consent
父の手術の時にもうけたけれど、インフォームド・コンセントはひどく疲れる。もちろん、正しいリスクの説明というのが大事だということは重々理解しているけれど、最悪の事態の想定、そんなことはしないで済むに越したことはないのに。そりゃあ、胃を丸々取ってしまうのだから、いろいろな影響が出ないはずはないのだけれど。
母はいつも通り元気で、小さくてニコニコしていて、いつもの母で、一緒に先生の話を聞いた後、病室のベッドによいしょ、と正座をして、忙しいでしょ早く帰りなさい、と言った。
2011.10.22
35歳になりました。おめでとう、ありがとう。
明け方、友人から届いていたメールをしみじみと読みながら、旅先のベッドで、ぼんやりと、今までのこととこれからのことを考える。
2011.10.18
時間があったらご飯を食べに行こうよ、と電話があって、アメリカから一時帰国してきているロール寿司チェーンの社長とデニーズでお昼。クッキーモンスターのTシャツなど着て、ちょうど熱海の温泉から戻ってきたところなのだという。気取っていないというかなんというか、随分と年上の人に失礼かもしれないが、ものすごく可愛らしい人なのだ。
仕事でのお取引があるわけではないのだけれど、たまにこうして電話をもらうのは嬉しいことで、他愛無い話をしながら随分笑い、お腹から少し温まったような気分になって、お店を出た。
2011.10.17
ごく個人的には、
電話が鳴る。
「ハイ」
「ひとつ質問」
「なんでしょう?」
「昨日の夜、負け戦だって言ってたでしょう。それってどの辺が負け戦なの?」
「……総合的にです。他の会社さんの方が有利だと普通に思ったのですが」
「あのね、今のところ、御社の提案がトップなんですけど」
「マジで?……あ、ごめんなさい」
「まあ、もう少し検討するけど。多分御社に決まると思う。このままだと」
「理由、理由を聞かせてください」
「至極当たり前の理由だよ。提案依頼に対して、明確な回答があるかどうか。要望に沿ったことが本当に実現できるのかどうか。それと、値段」
「一番安かったということですか」
「値段だけ見たら一番じゃない。でも、たとえ値段がどんなに安くても、保守ができないという提案は受け入れられないからね」
「ふむ」
「いくら君の頼みでも、」
「はい」
「公正に見て、御社の提案が一番いいものだったら、僕は御社に発注せざるを得ない」
「営業としてはもちろん、受注できれば嬉しいです。でも」
「でも?」
「わたし個人の気持ちは、以前お話した通りです」
「まあそれは、わかるけど」
2011.10.16
会社の会合で湯河原。朝から温泉につかり、昼は公園でバーベキューをした。わたしは新幹線で品川まで戻り、一旦家に帰って着替えてから会社へ。明日締め切りの提案書を、つくらなくてはいけない。
白々と明けていく夜を見ながら、ぽつりぽつりとキーボードを打っていく。つくらなければいけない提案書は海外の案件のもので、基本的にうちの会社は分が悪い。一介のシステムベンダーが、総合力で落ちるのは仕方がない。負け戦……、とは思いつつ、それがたとえ見込みのない商談だとしても、提案だけはきちんとしよう、と思う。ものをつくること、それだけは、どの国で動くシステムであってもわたしたちがきちんとできるはずのことだから。
開発部隊から上がってきた要件をまとめて図に落として、工数を計算して見積をつくる。子どもの頃の夏休みの宿題と同じで、仕事というのは淡々とこなしていかない限り、終わることはないんだ、と自分に言い聞かせつつ、それでもくじけそうになりながらなんとか最後のページまでつくった。
締め切りの1時間ほど前に送付して、痺れるように痛む頭を頬杖をつくように抱えながら、ずっとこんなふうに仕事をしてきた気がする、と、ふと思う。(まあつまり、夏休みの宿題を最終日に慌ててやるタイプなのだ)
2011.10.15
むかし一緒に仕事をしたことがあるMさんと、朝早く築地で待ち合わせて市場を回る。Mさんはアメリカ在住で、先日サンフランシスコでも会って一緒にステーキを食べた。Mさんの元同僚、Kさんも一緒。Kさんは今も日本にいて、今もわたしのお客様だ。
築地で朝ごはんなのにお寿司、アメ横に移動、麻布十番でうちの社長も合流していつものイタリアンでランチを食べる。Mさんと手を振って別れたあと、新幹線で湯河原へ。楽しい一日だった。
2011.10.13
survive
母の胃は、中程度の進行癌でおそらく全摘。ただそれさえしてしまえば寿命を全うできるでしょう、と先生が言ったのだという。その道では名医だと評判の先生だというから、もはやわたしには、祈ることしかできない。
電話で少し話をしたその後に、母は、あなたあんまりくたびれ過ぎないように気をつけなさい、と言った。先生曰く、食べものより何より、癌に一番悪いのはとにかくストレスなのだそうだ。だからあなたは気をつけなさい、と繰り返す母の声を聞きながら、わたしはまた少し泣く。
うちの父は、食道癌を患い、抗がん剤と放射線治療、そして手術をした。もうあれから何年が経つだろうか。多分父は、癌は克服したということになるのだろう。少なくとも再発はしていない。それでも、もうほとんど食べものは喉を通らず、すっかり痩せてしまったし、少し歩けば大息をつく。父を見ていると、病が完全に治ることなどないのかもしれない、とさえ、わたしはときどき思うのだ。ふと、survive、という言葉の定義を考える。……一体、何をsurviveと呼ぶのか。
それでも母にはもうしばらく生きていてほしい、と、悲しみでもやがかかったような気持ちの奥底から思う。まだもう少し、と、願うように。
2011.10.10
日曜日を泣いて過ごし、祝日の月曜日、出張に出発する。もう泣いても仕方ないではないか、と自分に言い聞かせ、行き先が高松なのをいいことに飛行機の便をふたつみっつ早め、金比羅詣りにいくことにする。こんぴらさんは参道が石の階段で出来ていて、全部上ると千段を越える。大変だよ、と彼の地出身のお客さまには脅されたけれど、今のわたしにはただ無心に階段を上る、そんなことこそしてみたい気がして。
空港からバスに揺られ、50分。重たい荷物をコインロッカーに預け、身軽になって出発した。お天気のいい秋の休日、気持ちがいい。
両脇に並んでいるお店を横目で見ながら、ぶらぶらと歩く。ちょっと、丹沢の大山みたい。大山の阿夫利神社も山の上にある神社で、参道は石段になっている。わたしが生まれ育った町から大山はそう遠くない。家から小学校への通学路からも、丹沢の山々はいつも見えていて、わたしにとっては親しくて近しい場所だ。
大山と言えば……、とわたしは思いだす。大山と言えば、山頂の阿夫利神社のお御籤を、いつか母親にもらったことがある。大学受験の年、イギリスから日本に帰ってきて、受験勉強をしている冬だった。
母は、大吉のお御籤をわたしに渡し、「あなたのことを考えながらひいたら大吉だった。だからきっと大学に受かるわよ」と言ったのだ。その時、母が、大吉が出るまでお御籤を引き続けたのだと姉から聞いたのは、大学に受かって随分経った後だった。そのお御籤は、まだ自分の机の引き出しに入っている。
考え事をしながら歩いていたら、いつの間にか御本宮のすぐ近くまで来ていた。上を仰ぎ見るようにしながら黙って一段一段登っていく。最後の一段に足をかけぐっと身体を持ちあげると、すっと風が頬をかすめていった。
そのまま本殿にお参り。礼をしてじっと母のことを思う。
後ろを振り向くと讃岐平野が広がっていて、穏やかで優しい、なんとも気持ちのいい眺めだった。神札授与所まで歩いてお守りを買う。お御籤を引いたらそれが大吉で、その時わたしは反射的に、出来ることなら、と思った。できることなら、このお御籤を、すぐに母に届けたいのに、と。
石段を降りてこんぴら歌舞伎の金丸座を見ているとお客さまから電話があった。わたしが一人で金比羅詣りをしているというのを心配して、わざわざ迎えに来てくれたのだ。一緒に車に乗って、途中コロッケを食べたり瀬戸大橋を見上げたり。高松市内に戻って打ち合わせ。
2011.10.08
会社に置きっぱなしにしていた携帯電話のランプがチカチカと点滅していた。見ると、着信履歴には実家の番号が表示されていて、わたしは、おかしいな、と思いながら電話をかけた。母がわたしに電話をしてくることなんて、あまりないのに。
誰もいない休日のオフィスで、何も考えずにコールバックした。買ってきたコーヒーを飲みながら、片肘をついて。部屋の窓からは、午後の日差しが差し込んでいた。白っぽい秋のひかり。
電話に出た母は、いつもと同じ調子で、あら桃ちゃんどこにいるの、とのんびり話したあと、あのねお母さん癌みたいなの、と言った。
胃癌だというのを聞いた、そこからの話は、あまりよく覚えていない。父親の付き添いで病院に行き、父親に勧められて検査を受けたこと、検査の結果、癌だと言われたこと、手術をすることになるだろうということ……。
途中から、涙が出て、ただそれが受話器の向こうに伝わらないようにするのが精一杯だった。
あなたも転ばないように気をつけるのよ、おっちょこちょいなんだから、と母が笑って電話が切れたあと、わたしはなにをする気にもなれず、ただ自分の涙がぽたぽたと机の上に落ちるのを茫然と眺めていた。