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2018.10.31

"We used to be more sensitive."

原美術館は大好きな美術館で、なるべく足を運ぶようにしている。場所それ自体と、そこを守っている人たちに対する信頼のようなものがあって、ハラ ミュージアム アークも含めて素晴らしいと思う。
作品と、それが展示される場所がわかちがたく縁を結んでいるところを見るとき、その空間にいることをとても幸せに思う。ただ、サイト・スペシフィックという言葉で表現されるものだけではなくて。


Lee Kitはわたしとほぼ同世代の作家で、香港に生まれ今は台湾で活躍している。2013年のヴェネチア・ヴィエンナーレで
彼の名前が広く一般にも知れることになったが、彼は空間も含めて作品に使う。ある一部のアーティストが、作品だけで空間に色を付けていくけれど、彼は逆にその空間を味方につけて、作品をつくりあげていく。

原美術館という、空間自体がものがたりを持っている場所での彼の個展。「僕らはもっと繊細だった」というタイトルがほんとうに「らしい」と思う。永遠に満たされることのない、「もっと」という言葉。もう取り返しのつかないことへの穏やかな、でもいつまでも残る気持ち。つまりいつも、ふんわりと欠落を追い求めている作家なのだ。そしてそれこそが、彼がこんなに人気がある所以だと思う。


あの端正な場所をすっかりと彼の作品として薄布に包むようなやり方は本当に素晴らしい。これは彼と彼の作品にしかできないやり方で、クリーンでありながらどこか曖昧に、でもしっかりとそこに溶け込んでいく。
プロジェクターの配置、光を和らげるやり方、回る扇風機の音、時間によってかわる光の色。すべて作家の手の跡を残していて、それが人の心を静かに打つ。
ただ、
長く生きていくためには、こんなことに長けてはいけないのではないか、と一方でわたしは思う。彼がもっと、突き詰めていく姿を見たいと思う。過剰であることは芸術の一つの本質で、そこでしか救われない何かがあるのだと、わたしはいつも思っている。作品は素晴らしい。でも、もっと真っ向から戦う姿が見たいと思う。勝手だけれど。


……いや、本当に勝手だよな、と思いながら、ふと振り向くと作品の中で女の子が笑っていて、それを見たときふと気付いた。そうか、わたしはもう疾うに自分がなくした何かに対して、苛立っていたのだ、と。



2018.10.29

江之浦へ

 杉本さんがあのへんの蜜柑山を買ったらしいよ、と聞いたのはもう12年ほど前のことで、その時わたしは知り合いの、まさに相模湾を見下ろす蜜柑山のアトリエにいた。


 杉本さんは杉本博司さんのことで、日本で一番といってもいいほど影響力のある現代美術家。もともとは写真家だったのだろうし、今も彼の写真作品はとてもとても素敵だけれど、今はその枠組みには当てはまらない。美術家、と呼ぶのでさえ、十分でない気がする。建築や舞台、彫刻まで手掛け、アーティストであると同時にキュレーターでもある。デュシャンのような、千利休のような。


 わたしは、相模の海を見ながら育ったので、あのあたりの海はとにかく懐かしい。穏やかでのんびりしていて、でも岩肌にあたる波はきっぱりとしている。山の稜線と波のかたち。うす曇りの日の優しい水平線。
 杉本さんの作品に、「海景」というシリーズがあり、世界各地の水平線をモノクロで収めたものだが、わたしはそれを見るたび、あの、よく知った海を思い出す。そして、そのことこそが、分かりやすく芸術の普遍的なところだと思うのだ。シンプルで美しい、具象をふりきった抽象化。


 そんな杉本さんが、自分でつくった美術館がその蜜柑山にとうとうできて、名前を「江之浦測候所」という。どういう場所なのかはご本人の説明を聞いていただくとして、(https://www.odawara-af.com/ja/enoura/) そこにようやく行ってきた。本当に素晴らしい素晴らしい場所だった。
 おそらく杉本さんがこの場所に出会ったこと自体が奇跡のような運命のようなことなのだと思う。江之浦は、天下の名城小田原城に程近いが、秀吉が北条攻めのときに、同道した千利休に銘じてつくらせた茶室がかつてあって、利休はここで初めて竹花入をつかったのだという。花は野にあるように。そこから連綿と続く日本の文化、それを守り育てていく場所が、杉本さんには運命のように、ここなのだと思う。
 海を見下ろす広場には光学ガラスでつくられた能舞台があり、まさに茶で迎えて能でもてなす極めて美しいすがたを、この場所で自然に現そうというのだろうか。測候所というのは、観測する場所であるのと同時に、宇宙の中の自分の位置を確認するところだ。昇る太陽が道を示すとき、わたしたちもまた、同時に指し示されているのだ。