« October 2018 | トップページ | June 2024 »

2024.05.04

わたしがわたしでいるために

少し前のこと。

仕事を通じての知り合いだが、厳密にいうと一緒に仕事をしたことがないUさんから連絡が来て、しばらくぶりに食事に。
日比谷ミッドタウンの中のレクサスから車が消え、すっかりカフェになっていたよ、というのでそこで待ち合わせたのだけれど、少し早くついたのでふらふらと歩いていた違うフロアでばったり出会う。同年代だし、なんというか少しだけ似ていて(と、わたしが勝手に思っているだけかもしれないのだけれど)、だから一緒にいてシンプルに楽しい人だ。

イエローコーナーで写真を見るのに少し付き合ってもらい、Uさんが見たいという眼鏡屋さんを眺める。眼鏡屋さんのショーケースには坂本龍一の写真が飾られていて、NHKスペシャルの坂本龍一最後の日々はとてもよかった、と言い合った。淡々としていて、生々しくて、尽きない生への執着と最後の瞬間まで消えない美意識。

こんなにいい場所で車屋さんが車を売らないなんて信じられない、と、レクサスカフェのふかふかの椅子に座りながらわたしがいうと、
「もはやトヨタは車屋さんじゃなくて」と、Uさんが言う。
「つまり?」
「モビリティの会社になったんだと思う」
カフェでお茶を飲むことも、つかの間、どこか違う場所へ行くことと少し似ている。

景色のいいレストランに移動すると、ちょうど日が暮れていくところだった。奥へどうぞ、と言いかけて、いややっぱりこっちの方が景色がいいからこっちに座って、と椅子を引いてくれるUさんのことを、いい人だな、と思う。どちらかといえばUさんの方がクライアントなんだけど、まあいいか、と思って遠慮せずそこへ座った。
昔は、仕事とプライベートをきっちり分けることに躍起になっていたけれど、ここ最近、その線引きににあまり意味はなく、どちらも人生の話なのだよね、と思っている。Uさんも、クライアントでもあり同士でもあり友達でもある、みたいな感じ。

テラスで少し東京の景色を眺めてから手を振って別れる。いい五月だな、と思った。



2024.05.03

ミシンの言語

もし時間というものに手触りがあるのであれば、それは刺繍のかたちをしているのではないかと思う。刺繍は時間の芸術だから。

高校の先輩の個展を見に、坂を下って目黒区美術館へ。刺繍少年フォーエバー、というタイトルを初めて聞いた時には圧倒されてしまったけれど、今となってはこのタイトル以外は考えられない。不思議なもので。

青山悟さんは、古い工業用ミシンを使って刺繍の作品をつくっている。ミシンや刺繍、というのは名もなき女性たちの労働と分かち難く結びついていて、それを男性の現代芸術家である青山さんが、言語として使う、ということだけで、わたしは少し泣きそうになる。

どんどん解像度が高くなっていく世界で生きていくわたしたちに、ミシンで縫われた光景はどこかゆるやかで優しいけれど、それでもそこに縫い留められている時間は重い。誰でもできることを勤勉にやっている、と、ご本人は言うし本当にそうありたいと思っているのだろうけれど、誰にでもできることをこうやって世界に織り込む、それをアートといわずなんというのか。

ここ最近の青山さんの創作テーマは、「消えゆくもの」。つまり、コンピュータ制御されないミシンやタバコの吸い殻や紙の切符だったりするのだけれど、その消えゆくものを世界に永遠に定着させるのが、つまり、彼が駆使する刺繍という言語なのだろうと思う。



青山悟 刺繍少年フォーエバー 永遠なんてあるのでしょうか?
https://mmat.jp/exhibition/archive/2024/20240420-427.html



2024.05.02

やがて麗しい五月が

ポール・オースターとフジコ・ヘミングの訃報を聞き、人生のある一時期を彼らの作品に救ってもらったにも関わらず、自分の心はあまりにも淡々としていた。

わたしの乳がんは遺伝性(HBOC)で、乳がん・卵巣がん・膵がんの発症確率が他の人より高い。確率、とはいうものの、乳がんにかかってからというもの、がんによる死は、人ごとではない解像度でいつも傍らにある。

それでもなお、この病気がわたしにもたらした影響には好ましいものもあって、わたしは以前よりずっと、科学というものの強さ美しさに感銘を受けている。芸術は人を救うのだ、と思ってきたけれども、もしかしたらそれ以上に直接的に、科学は人を救うのだ。

もう雲は夏のよう。冷え込んだ昨日に比べて今日は清々しくいいお天気。麗しい五月、まだ、わたしはどこにでも行ける。自由でいられるそのことをありがたく思う。



2024.05.01

ゴールデンウィークと呼ばれる休日の狭間で

今年のゴールデンウィークは前半と後半の間に平日が3日。2日であれば休んでしまおう、と思うが3日となると躊躇うのか、稼働している同僚も多く、ちらほらとメールやチャットが届く。とはいえ、わたしのクライアントは休んでいるので急な対応は必要ないこともあり、どこか精神が弛緩している。

もしかしたら薬のせいかもしれない。神経痛に効く、と言われ処方された薬の副作用には、めまいや傾眠、とあった。

ちょうど去年の今頃は久しぶりにロンドンにいて、憂いなくのびのびとした休日を過ごしていた。帰国したすぐ後に乳がんが見つかり……見つかり、というか自分で見つけたのだが、そこからの治療。手術や化学療法を経て、あと10年ほどは服薬が続く。化学療法で落ち込んだ肝臓の数値がまだ戻りきるところまではいかず、毒か薬か、いずれにせよ生き延びるにはうまく共存しなければいけない。

両方の乳房と卵巣を失くしても日常は続く。それはとてもありがたいことだけれど、エアポケットのようなこんな日には、よくないことを考えすぎる。つまり自分に残された時間のことなどを。