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2024.06.07
シスターフッド
浸潤性乳管癌、という病名が確定した時、困ったな、とは思ったけれど、絶望はしなかったように思う。なぜかというと、姉が7年前に同じ病気にかかり、手術と治療を経て今も元気にしているからで、ひとりじゃない、と思えたからだった。
会社では、乳がんの治療中であることを隠していない。なぜなら、あの時わたしが思ったことと同じように、もし同じ病気で治療中の人がいたならば、わたしがここにいることだけでも、心強いだろうと思うからだ。そしてその気持ちは正しく伝わって、今、同じように治療をしている同僚たちが近くに何人かいる。そしてわたしたちはことあるごとに情報交換をしたり、安定しない体調を愚痴りあったりしている。
今日も、同じ病院にかかっている同僚が外来にくるというので、談話スペースでおしゃべり。前回は彼女が入院していて、わたしが外来に来たタイミングで、その時も忙しく近況を報告し合ったのだった。病院の談話室というのは、明るく清潔で、でも、パジャマの人やケア帽子をかぶっている人がほとんどで、不思議な空間だな、と思う。まるで、海水と淡水が混じり合う汽水域のよう。
思う存分情報交換をし合って、手を振って別れた。またね、お互い頑張りましょう、と言って。ひとりで病室に戻りながら、ひとりじゃないっていいことだな、と、思った。
2024.06.06
元気な患者
呼ばれたので、歩いて外来へ。パジャマのままで外来フロアに降りるのが少しだけ恥ずかしい。
覆われていたガーゼが取れて、傷口が見える。15センチほどの、赤黒い跡。ドレーンが抜かれ、抜かれたところに防水テープ、その上から幅広の弾性包帯。包帯の巻き方を教えてもらい、シャワーももう浴びてもいいですよ、とのこと。
痛み止めは必要ですか、と聞かれて、念のため処方してください、と答える。あまり、痛くなりませんように、と、思う。
それにしても、最初の乳腺の手術の時は、手術翌日、痛くて痛くて歩けなくて、レントゲン撮影に行くのに車椅子で連れていってもらったのだった。それに比べれば、ほとんど痛くないと言ってもいいほどで、なんなら今日退院してもいいくらい。
病室に戻り、仕事をしたり、しなかったりして長い午後を過ごした。
2024.06.05
“手術室の入口で泣く人もいます“
オンコール、というのは、呼ばれた時点で向かう手術のこと。その日1件目の手術は開始時間が決まっているが、その後の手術は前の手術次第で開始時間が変わる。一人の先生が、一日に何度手術をするのかは知らないけれど、ここ1年で受けた4回の手術のうち、その日1件目の手術だったのは初めの一回だけで、その他は全部オンコールだった。
手術の前日は大抵よく眠れない。病室のカーテンは遮光カーテンではないので日の出とともにうっすらと明るくなる室内。6時起床、看護師さんが体温と血圧を測ってくれて、そのあとは手持ちぶさたにテレビを眺めていた。
だいたいお昼前くらいに呼ばれると思います、と言われていたけれど、10時過ぎには連絡がきて、看護師さんと一緒に手術室に向かう。手術着を着て、指定された着圧靴下を履いて。手術室のフロアに入るとひんやりして、またここに戻ってきたな、と思う。ひんやりとしていて清潔で、静かな場所。
手術室の前で同意書と本人確認をして、室内に入る。よいしょ、とベッドに上り横たわると、看護師さんたちが周りを取り囲み、てきぱきと準備を始める。シーツの中で手術着が脱がされ、手の甲に点滴の針が入れられ、顔にマスクが当てられ、腕の位置が調整され、麻酔が入りますよ、という言葉に微かに頷く。
おそらく麻酔が入り始めたのだろう、手の甲から手首にかけてドクドクと痛くなる。思わず顔をしかめていたら、どこか痛いですか、と聞かれる。左手の手首が痛いです、と言ったら、看護師さんがそこをさすってくれて、少しほっとして、それから、記憶がない。
終わりましたよ、痛いところはありませんか、と聞かれて目が覚めて、左胸が少し痛みます、と答える。ベッドに横たわったまま、ガラガラと運ばれる。全身麻酔は、いつも不思議。一瞬のうちに手術が終わってしまうようで。
病室に戻り、1時間後には酸素が外れ、2時間後にはベッドから起き上がり、歩けるようになった。それだけ、今までの手術に比べて身体へのダメージが少ないのかもしれない。左胸はジンジンと痛いけれど、これより痛い思いは、今までも沢山あった。それに比べれば、こんなことなんでもない。
手術室の入口で泣く人もいる、と聞いたけれど、そういえばもう悲しくないな、と思った。いや、悲しいのかな。もし悲しかったとしても、いずれにせよこれ以外の選択肢はなかったのだけれど。
2024.06.04
ここから見える風景
病室には座りやすい一人がけの椅子と、小さなテーブル、冷蔵庫、テレビ、ワードローブがついていて、シャワーとトイレがある。差額病床代が必要だけれど、病室で仕事ができると思えば安いものだ、と思う。インターネットもきちんとしていて、オンライン会議も問題ないのだし。
入院手続きをする窓口で順番を待ちながら、ぼんやりと周りの人を見ていた。ご老人以外は大抵一人で、リュックサックやキャリーケースを携えてやってきて、手続きをしていく。見るからに病人、という人はわたしも含めて少なくて、日常生活を送りながら、なんらかの治療をしている人は思いのほか多いんだなあ、と思う。
手続きはすんなりと終わり、手首につけるバーコードと通行証を受け取って病棟へ。手術のたびに入院病棟は違うけれど、つくりはほぼ同じで、ただいま、という感じ。受け入れをしてくれる看護師さんが初々しい。なんでも、入院患者の受け入れをするのが初めてだとのこと。
PCを持って窓際の椅子に移動して、仕事を始める。窓の外には、一昨年まで働いていた会社のビルが見える。あそこにいても、ここにいても、同じわたしが、同じようなことをやっている。今は、がん患者だけどね。
2024.06.03
入院
明日から、ここ1年で4回目の入院。
自分とは縁遠いと思っていた入院にも手術にもすっかり慣れてしまった。わたしのかかっている病院は建物も設備も新しくて、本当に快適。嫌な思いをしたことはない。
もちろん、病気にかかったこと自体はこれ以上なく「嫌なこと」だけれど、かかってしまった以上はそれに対応するしかない。降りかかってくる問題はタスクになるまで因数分解すべし、というのは仕事でいつも言っていることで、「乳がん」「遺伝性乳がん卵巣がん症候群」という自分の病気に対しても同じことだと思っている。つまり、専門家の意見をよく聞き、正しくデータを解釈し、合理的な意思決定をしてそれをきちんと伝え、ことに臨む、ということ。
なのでもちろん、病気にかかったことは悲しいことではあったけれど、あまり悩みはなかった。つまり、再発せずに長く生きることをいちばんの目標に据えて、現時点で最もそれが実現できる確率の高い治療を受けるということ。そして、できる限り仕事と治療を両立させること。優先すべきものを決めてしまえば、あとは、淡々といろいろな物事をこなしていくだけになる。
小さなサイズのキャリーケースに必要なものを詰めていく。パジャマもタオルもレンタルがあるし、荷物を最小限にしようと思えば、たぶん、デイパックに収まるくらいだ。ただ、この時ばかりは、なるべく心地よく過ごせるように無駄なものをたくさん入れる。例えば、やわらかくて綺麗な色のストールとか、シルクの靴下とか、いい香りのする化粧水とか、そういうものを。