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2024.10.11

30年後も

新幹線の駅からホテルまでは歩いて20分。少し迷って、それでもタクシーに乗った。
「近くてごめんなさい」と行き先を告げると、「なんのなんの」と運転手さんが言う。「このホテル人気なんだねえ、今日行くの3回目だよ」と。
手頃で、品質が安定しているから使いやすいのだろう。実際、仕事でここに滞在している友人も、同じホテルに泊まっているというし。

チェックインして部屋に入ると、中は眩しいくらいだった。カーテンを半分閉めて、オンラインでいくつかミーティング。どこにいようと会議ができるのは、あの感染症がもたらしたよいことのうちの一つだと思う。出張が少なくなったことだけが寂しいけれど。

仕事を終え、着替えてロビーへ降りると、約束していた友人が座っているのが見えた。かすかに猫背の後ろ姿。あの頃、高校の教室で見慣れた後ろ姿そのままだな、と思って少し笑う。正面に回ってお疲れさま、と声をかけると、「おおっ」と言って顔を上げる。低音の、いい声。相変わらずいい声だねえ、と思ったけれど言わずに隣に腰を下ろした。
彼は人前に……というか、舞台に立つ仕事をしていて、今回は少し大きな仕事でここにきている。わたしもそれを観にきたのだけれど、前入りするなら久しぶりに食事をしようよ、ということになったのだった。
入り口から、手を振りながらもう1人の友人がやってきたので、立ち上がってタクシーに乗る。「君を連れて行くレストランを選ぶのは難しいんだよ」と彼がいう。「なにそれ、わたしの食い意地がはっているということ?」と言ったら、「ふふっ、楽しみにしててよね」ともう1人の友人が言った。その友人は、彼をサポートする仕事をしている。

タクシーは、会員制、とのれんに書かれたお店の前で止まり、彼は慣れた感じで入り口をくぐった。入ると、カウンターの中にお母さんがひとり。お母さんはわたしの顔を見て、可愛い子連れてきたね、韓国の男の子みたいね、と言った。ピンクの短い髪をしていると、たまにそんなことを言われることがある。

高校の同級生でね、と彼が言うと、あらいいねえ、とお母さんが言う。もう30年経つね、とわたしたちは顔を見合わせて笑った。

 

抗がん剤の影響で髪の毛がなくなったあと、坊主頭のわたしの写真を見て、「坊主似合うから、色変えたりして遊んじゃいなよ、金髪とかさ」と言ってくれたのが彼だった。わたしはそれを間に受けて、髪の毛を脱色してピンク色に染めて今に至るのだけれど、まあ、なんというか、ピンクの髪は病気に負けないわたしの意思表示なのだ。それを後押ししてくれた友人には感謝している。

「わたしの髪の毛がピンク色なのはこの人が言ったからなんですよ」とお母さんに伝えると、彼は、「だって本気にするとは思わないじゃん」と笑った。「長い付き合いの友だちというのはいいねえ」というお母さんに「30年後もまた一緒に来ますよ。お母さんがお店やっている限りね」「嫌だそんなにやらないわよ」というやりとりをして、ひとしきり笑ったあと、「いや、本当にね、桃ちゃんが元気でよかったよ」と、友人がしみじみ言った。

後輩たちと飲みに行く、という彼と手を振って別れて、友人と夜の街を歩いて帰った。暑くもなく寒くもなく、どこまでも歩いていけそうな夜だった。本当にね、生きててよかったよ、と空を見上げながら思った。あの高校の教室から30年。次の30年もこうして、たまに一緒に笑えますように。