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2025.01.22
追いかけっこ
オフィスのメールルームに向かっていると、後ろから足音が聞こえた。IDカードをかざしてドアを開け、自分のメールボックスを開けようとしたところで、「桃さんですよね」と声をかけられた。振り向くと、黒髪の女性がにこにことそこに立っていた。彼女が名乗る名前を聞いて、ああ、と思った。コロナ以降、同僚との会議はほぼ全てオンラインになり、同じ部署のメンバー以外はほとんどリアルに顔を合わせずに仕事が済んでしまう。彼女も、あるイベントの企画チームで一緒だが、実際に会うのは初めてだった。
「髪の毛の色で、はっと思って追いかけちゃいました。お会いできて嬉しいです」と言われ、ほんのりと嬉しい気持ちになって、少し立ち話をして手を振って別れた。
ロールモデルになってほしい、と言われることには抵抗があって、そもそもロールモデル足りうる資質があまりないのだけれど、でも、多様性が組織を強くする、ということを強く信じているので、その多様性の一つの例としてそこに分かりやすくわたしがいるなら、それは好ましいことだと思う。
いつも誰かの背中を追いかける人生だった。今、どちらかといえば、自分の好きな道を好きに行けるようになり、結果、同じところを同じように自由に歩いている仲間が増えて、とても生きていきやすくなった気がする。
2025.01.06
失ったもの
去年の1月に健側(左側)乳腺の予防切除手術をして、2月に右肩が痛くなった。3月には我慢できなくなり整形外科に行き、「肩関節周辺炎(つまり50肩)」という診断をされて、リハビリもしたが一向によくならなかった。よくならなかった、というのは、肩が痛むし可動域が狭いまま、ということだ。手を腕に上げる動作ができないし、服がうまく着られない。6月のインプラント入れ替え手術の後には左側まで痛くなりはじめ、整形外科に行っても整体院に行っても根本的な解決はできなかった。8月、見るにみかねたピラティスのトレーナーさんに紹介されたスポーツ整骨院に行きはじめ、ようやく、治る兆しが見えはじめたところ。なんだかんだもう1年近くも肩の痛みに悩まされ続けていることになる。やれやれ。
「冬休みもちゃんと動かしてた?」
「は、」
「してないでしょ」
「いや」
「すぐ分かるんですよ、固まってるもん。生活に支障がないからって放置しないでちゃんと動かして」
「はい」
「可動域、元通りに治そうよ」
「治るんでしょうか」
「治るよ、治らないわけないよ、治すよ、でも自分でも動かさなきゃダメ」
わたしの肩をあちこち動かして確かめながら先生が言う。癌にかかり、事の大小はあれどいろいろなことを諦めがちなわたしに、諦めるな、正しく対処すれば身体は治る、と言い続けてくれているこの先生には感謝している。かつてバレーボールの選手だったからか、とにかく身体が大きくて力が強い。それだけではなく、話の内容が分かりやすく合理的だから、信頼している。
ありがとうございました、と帰るわたしに、「毎日トレーニングしてね」という声が追いかけてくる。振り返ったわたしの顔を見て、「毎日」と念を押すように先生は言った。そうね、なんとか夏までには治そう。もう乳腺は戻ってこないし(癌も戻ってきてほしくない)、傷も残るけれど、肩の可動域くらいはしっかり取り戻そう。またいつか、踊れるくらいに。
2025.01.05
初芝居
歌舞伎の世界では11月の顔見世興行が一年の始まりだともいうけれど、やはり、新年に観る芝居というのはとてもいい。国立劇場は、普段より和装の人も多く、華やかな初日だった。
菊五郎劇団の「彦山権現誓助剣」。普段は、その中の「毛谷村」の場面だけがかかることが多い演目だが、今回は通し狂言。歌舞伎というのはおおらかな大衆芸能だから、筋はともかくあたり場面だけを見せる、というのもいいものだけれど、通し狂言はまた格別。全体を見ることで、際立つ細部もやはりあるのだ、と思う。
劇場に入ると獅子が舞っていた。皆次々に頭を咬まれている。新春だなあ、と思う。
歌舞伎というのは、いろんな入れ子構造が芝居の輪郭をつくっていく。男性が女性を演じ、役者が役を演じる。その構造の中でわたしたちは笑ったり泣いたりして、束の間の世界を生きる。本当ならばスマートな菊之助さんが朴訥とした六助を、誠実(そう)な彦三郎さんが極悪人を演じる、そこまでは普通の芝居と同じだけれど、菊五郎さんが真柴久吉として、孫の丑之助くんの若武者姿をにこにこと眺めていて、観客がその関係性を理解したうえで微笑ましい思いで拍手する、というのは、なんだか変わっているな、といまだに思う。
わたしの贔屓は彦三郎さん。脇をかためる器用な役者に見えるけれどそれが、血の滲むような努力の結果だということをわたしは知っている。ニンに合うわけではない悪役を、凄みを出して務める、それがどれほど凄まじく尊いことか。
芸術の妙としかいいようもないものごとにこうして生かされている気がする。
2025.01.03
歩く
加齢のせいなのか、薬の副作用なのかはもはや分からないけれど、節々が痛い。ベッドからよろよろと起き上がり、床に置いたストレッチポールに背中をあずける。イテテ。若者に、40代にはとても見えません、と言われて喜んでいる場合ではない。我ながら、動作がいちいち年寄りじみている。
お餅を焼いて食べる。家でついたお餅は香りがよくて、何もつけなくてもとても美味しい。香ばしく焼けた表面、中は軽くとろっと溶けていく。思わず頬がゆるむ。何個でも食べられそうだったけれどひとつで箸を置き、身体のことを考えずに、食べたいものを食べたいだけ食べられたのはいつまでだったっけ、とふと思う。
家を出て近所の神社まで歩く。空は青く、カリッとした空気。のんびりとした、でも清涼な新年独特の雰囲気。鳥居をくぐりながら、そういえば去年は髪の毛がなく、ウィッグをつけていたことを思い出した。帽子を取るのが礼儀だというけれど、ウィッグはいいのかしら、と思ったのを覚えている。その後引いたおみくじには、病は治る、と書いてあった。
お詣りの列が延々と続いていたので、正式参拝をすることにして、申し込みを済ませ本殿へ。これが素晴らしかった。受付で、何かお願い事がありますか、それとも新年のご挨拶ですか、と聞かれ、願い事はない気がして、挨拶で、と言ったのだけれど(そして本殿の畳があたたかくてびっくりした)、かしこみかしこみ、なんとか健康に、もう少し生きられますように。と、いつの間にかお願い事をしていた。
お神酒をいただいて外に出て、少し背を伸ばして歩く。
2025.01.02
川を渡る
皆で初詣にいったあと、わたしだけそのまま駅に向かい、自宅へ。人もまばらな電車は駅を出るとすぐ、川を渡る。わたしにとってこの川は国境(くにざかい)のようなもので、そこで土地を区切る行き来自由な扉のよう。
賑やかな実家を離れ、寂しいと思ったのもほんの少しのあいだのことで、川を渡る頃にはもう、どちらかといえばほっとしていた。心と身体の自由はなににも変え難い。自由とは基本的には孤独なことだけれど、それでも、その孤独の中でしか吸えない空気は存在する。
姉が持たせてくれた、年末についたお餅と近所の蒲鉾店のはんぺんを入れた鞄を膝の上に置いて、窓の外をずっと見ていた。
2025.01.01
あけましておめでとうございます
あけましておめでとうございます、とみんなが次々居間に顔を出す。富士山見に行く?と誰とはなしに言い出して、スマフォだけ持って家を出る。元旦の朝、富士山の写真を撮りにいくのはおそらく母がはじめたことで、もう母がいない今でも、すっかり習慣になっている。
清々しい青空、小さい頃から見慣れた富士山の姿。丹沢の山も素晴らしいし、なんの根拠もないけれど、いい一年になりそう。
皆さまにとっても素敵な一年になりますように。今年もよろしくお願いいたします。
