2009.07.26
ツールの夏
コンタドールのマイヨ・ジョーヌでツールがグランフィナーレを迎えた。毎年、ツール・ド・フランスが終わると、もう夏も終わり、と思う。去年の秋に現役に復帰したランス・アームストロングは総合三位。普通に考えれば、一度引退した選手がまたツールで優勝するなどありえない話だが、なんといってもランスである。あの、圧倒的で奇跡的な7連覇を、わたしはまだはっきりと覚えている。だから、十五ステージまでは、本当に彼はマイヨ・ジョーヌを着て戻ってくるのではないかとさえ思っていたくらいだ。
ツール・ド・フランスは自転車競技の中でも特別なレースだと思う。日程にして23日間、総走行距離は3500km。山岳と平地があり、チームで戦い、なのに、マイヨ・ジョーヌを着られるのは一人だけだ。バランスの取れた体力があって、賢くて、……ずるくないとツールはきっと勝てない。そして、最後の一瞬が勝者を決めるのではない。何度となく繰り返されるステージ、それの積み重ねで、マイヨ・ジョーヌは行き先を変える。
マイヨ・ジョーヌは、その年のツールで、総合トップの選手のみが着ることを許される黄色のリーダージャージだ。太陽みたいな色。そしてツールが特別なように、あの黄色はどの黄色より特別。あまりにも特別だから、見るといつも、少し、涙が出る。
ツールの後、ランスから届いたメールには、"The race isn't over"と書いてあった。今年もマイヨ・ジョーヌのためでなく走った男は、来年もきっと走るのだろうと思う。淡々と。
2006.08.09
雨上がり
雨上がりの夜を自転車で走っていく。台風はもう行ってしまったのだろうか。やわらかな雨の匂いにつつまれながら、桜並木の坂道をのぼる。街路灯に濡れた路面が照らされて静かにひかり、なんてきれいなんだろう、と思う。わたしは自転車という乗り物が好きなのだろう。歩くのとも、自動車とも違うこのスピードで街を行くと、なぜだか、いろんなものが近しく美しく特別に見えるのだった。
見上げると桜の葉が茂る先に、雲が見えた。薄青く明るいのは、その向こうに月があるからだろう。大切なのは……とわたしは思う。大切なのは、あの雲の向こうには必ず星空があると、知っておくことなのだ、と。
静かな夜だった。
2006.04.20
雨が止んだ隙をみて、八重桜が降り積もる朝を自転車で走る。空は明るいのに雲が満遍なく広がり、雨と春の匂いがする風が吹いていた。ぴゅう、っと坂道を降りると、花びらが舞い、頬をかすめる。ふと、空港に行きたいな、と思う。風吹く屋上に立って、飛行機が飛び立つのを眺めていたい。
自転車で走っていると、東京は坂の街だ、と分かる。「思う」のではなく、「感じる」のでもなく、「分かる」という感じ。会社と家のほんの十五分の間にも、いくつのも坂があり、起伏がある。ぱくぱくと息を吸いながら上る長い坂道。風と一緒に駆け降りるゆるやかな坂。ぎゅっとハンドルを握る手のひらとペダルを踏みしめる足のうらで感じる坂の感触は、いつもリアルで、嘘がない。……だから、好きなのだ。
2006.04.17
自転車に
自転車に乗るには、一番いい季節だ。八重桜、木々の新芽、風の匂い。引っ越したので、少しだけコースを変えた。急な坂道を上るのをやめた代わりに、何百メートルか続くゆるやかな坂を走っている。運動不足がたたって、すっかり息が切れるのだが、それもまた楽しい。わたしはこの乗り物がやっぱり好きなのだ、と思う。
*
自転車に乗れるようになったのは、それほど早くなかった気がする。最初は、補助輪つきの小さなピンクの自転車だった。それでも、わたしが生まれ育ったような田舎の小学生にとって、自転車はどうしても必要なものだったのだ。河原に行くにも、小さな駄菓子屋に行くのにも、友人の家に遊びに行くのにも自転車だった。学校が終わるとランドセルを置いてすぐ、自転車に乗って出かけるのだ。
補助輪は、父親がはずしてくれた。最初は壁に手をつきながらよろよろと、次に友人たちに後ろを支えてもらいながら、何度も転んだ家の前の道。車もそれほど通らない、牧歌的な時代だった。補助輪なしで走れるようになるとすぐ、自由だ、と思った。どこへでもいける、と思ったのだ。
自転車で行けるところが全ての狭い世界だったが、その代わり、いろんなことがそのまま自分のものだった。一面の蓮華畑も、川べりの道のじゅずだまも、橋の下のフナも、用水路の大きなカエルも。
今度実家に帰ったら、あそこを自転車で走ってみようか、とふと思う。もう随分と、あの町を自転車で走っていない。けれど、少し走れば、あの頃と同じ川が、流れているはずだ。
2005.12.12
通用口の
通用口のドアを開けると、闇の中、銀杏の黄色が鮮やかだった。ざあっと風が吹くたびに、紙ふぶきのように黄色が舞う。
頬に触れる風が冷たい。もう、真夜中を過ぎていた。空は黒く黒く澄んで、星は輝き、月は静かに光っていた。なんて、きれいな夜だろう。
深呼吸すると、なにかが少し清む気がする。肺が冷たい空気で満ち、身震いする。金色の雨降るなか、光る川沿いを自転車で走る。
もう何度、こうして夜を走っただろう。寝静まっている家の脇を、明かりが漏れるお店の前を、しんとした工事現場を、シャッターが下りた商店街を。何度こうして、こころを宥めてきただろうか。
2005.10.12
秋だから
深夜、オフィスを出て自転車置き場に向かうと、闇の中でわたしの白い自転車がぼんやりと浮かんでいるのが見えた。乗り始めてまだ一年半ほどだけれど、随分一緒の時間を過ごしてきた、と思う。この自転車に乗るようになって、随分わたしは自由になった。自分が行きたいときに、行きたいところまで走っていけるという自由。
乾いた風が頬にあたる。そろそろ半袖だと寒いかもしれない。明日は、薄いフリースを着てこよう。
秋の空気は澄んでいるのにどことなく甘い。夜なのに、空が高い、と感じる。大きな月が夜空を照らしていた。ふと、なにか聞こえた気がして耳を澄ますと、夜風が耳を通り抜けていった。
秋だから、と、最近のわたしは自分を甘やかしている。すぐ涙が出るのも、空があんなに青いのも、少し寂しいのも、お腹がすくのも、秋のせいだ。一年で一番好きな季節。もうすぐ、二十九回目の誕生日がやってくる。
2005.08.12
雨を着る
会社を出ると、ぽつりと冷たい感触。雨か、と思って空を見る。横にいた同じように自転車通勤の同僚が、どうする、と言った。「このまま帰ります。このくらいなら大丈夫」と、自転車を引っ張り出す。
頬にあたる雨が、心地よいくらいだった。ずっとデスクに向かっていた身体が少しずつほぐれていくのが分かる。東京の雨の夜はきれいだ。空気は落ち着き、街灯に照らされた雨粒が光のように降る。
半分くらい走ったところで、突然雨が強くなった。雨宿りしよう、と思う間もなく、雷鳴が轟き、目を開けていられないほどの豪雨。髪から雨が滴る。背中のリュックサックに入れたノートパソコンとカメラが気になったが、仕方ない。そのまま走る。あっという間にずぶぬれになり、肩をたたく雨粒はますます強くなる。止まってはいけない、と何故かわたしは思う。霞む眼を凝らし、すべるハンドルを握り締め、走る。
最後の角を曲がり、住宅街に入るころには、まるで泳いできたような有様になっていた。わたしはいっそ可笑しくなって、水溜りの上を走り抜ける。わたしのクロスバイクには、泥除けもついていない。きっと今ごろ背中も、泥だらけに違いない。こんなに雨に濡れたのは何年ぶりだろうか。子どものころのようにはしゃぎながら、前へ、走る。
2005.03.26
いつもの
いつもの自転車置き場で工事をしていたので、少し先に自転車をとめにいった。すると、わたしのと色違いの自転車がとまっていた。同じメーカーの同じ形で、一回り大きいフレームと高いサドル。新しくはないがきちんと手入れされている感じがして、きれいだな、と思った。
自分の自転車をその隣にとめて、チェーンをかけて振り向いた、ところで知った顔に出会った。黒いジャケットを着て、鞄をたすきがけにして。いつもの服装と違うから、なんだか同じ顔の違う人みたいだ。
「ケンさん!」
「元気?」
「これ、ケンさんの自転車なの?」
「そう」
近くのレストランで働いていたケンさんとは、そのレストランが閉店して以来会っていなかった。確か一月末に道端で立ち話したのが最後で、今はがらんとしてしまったケンさんのお店の前を通るたびに思い出してはいたがそれだけだった。
「ケンさん、今何してるの?」
「ぶらぶらしてた。少しイタリアに行ってたんだよ。店閉めてから」
「イタリア!いいな。……これからは?」
「うん。店、探してる」
ケンさんの自転車を眺めながら、きれいだね、というと、「だって君の自転車も同じじゃない」と、ケンさんは笑いながら言った。
「知ってたよ、その自転車が桃のだって。白い自転車に真っ赤な服着て乗って、しかもそんなに大きなリュックを背負ってたらいやでも目立つ」
「言ってよ。見てたんなら」
「この前声かけようと思ったんだけど、君すごい勢いで、鼻水たらしながら走ってたから」
「もしかしたら先週の火曜日?」
「そうだったかな。結構、夜遅くだったよ」
あの日だ、とわたしは思い、思わず愚痴を口にする。
「女だから、って言われたんだよ」
「仕事で?」
「うん。女の人は得だ、って。若いうちは愛嬌で仕事がとれる、行き詰ったら結婚して辞めればいい…」
「会社の人?」
「ううん。お取引先の人です」
「ああ」
「それでね。ひどく頭にきて、なんだかものすごく哀しくなって、で、なんて低レベルな人なんだろう、って思ってね」
「うん」
「で、次に、そんな人に言われたことに本気で落ち込んでいる自分が嫌になってね。しかも、どうやって仕返ししようか、とかまで考えたりして」
「うん」
「自分が情けなくって、会社出たとたん泣けてきました。あはは。」
「君はとても分かりやすい人だね」
「しかたないでしょ」
「僕も山ほどあるよ。そういう屈辱はさ」
その言葉がケンさんにあまりにも似合わなかったので、わたしは思わずぼんやりと繰り返した。屈辱、か、と。
「でもさ、どんなに嫌でもさ」、とケンさんは続けた。「黙って耐えるしかないことってあるよ、いろいろね」
「うん」
「でも、もう少ししたら絶対楽になるよ。絶対」
だから、つられて腹を立てちゃいけない。腹を立てたとしても、それを相手に見せない方がいい。言うべきことはきちんと言った方がいいけれど、頭に血が上ったら負けだ、と、ケンさんは言った。
「ケンさん」
「うん?」
「どうやったら、我慢できるのかな」
「うん。その場では腹に力を入れてぐっと我慢してさ」
「うん」
「で、外で泣きながら自転車で走ったらいいよ」
と、言ってケンさんはにんまりと笑った。
ちぇ、と言ったら、女の子がそんな言い方したらいけません、と、子どもに言い聞かせるみたいにケンさんが言う。
女の子だから、ってそれは差別だよ、しかもわたしはもう女の子じゃないし、と言うわたしに、
「ほらほら、変にナーバスになって駄々をこねるのはもうやめなさい」と、言いながら、ケンさんは自転車のチェーンをはずす。
不思議な人だな、と思いながらケンさんを見送った。風が、どう、と吹いた。桜がはらはらと散る。坂道をのぼっていく黒い背中は瞬く間に夜に溶け、わたしの白い自転車だけがぼんやりと後に残っていた。
2005.03.23
雨を着て
わたしの自転車は、カナダのメーカーの白いクロスバイクで、乗り始めてもうすぐ一年になる。
土砂降りの日と、よっぽど体調が悪いとき以外は毎日これで会社に通う。早朝の空気や、深夜の星空。時に、風も雨も着ながら、わたしは自転車を走らせる。混んだ電車は息が詰まるし、びゅんびゅん走るタクシーを止めるのも苦手なので、自転車に乗るようになってから少し生活が楽になった。自分の意思で、スピードで、目的地まで走っていける自由は、時にとても心強い。
Tシャツを着て、フリースをはおる。ズボンの裾をとめ、リュックを背負って手袋をはめる。
朝の最初のひとこぎが好きだ。すっと風が頬にあたる感じ。身体が世界になじんでいく。
*
昨日の朝。
いつもの坂道を下っていたら、ブレーキの利きが甘くなっているのに気づいた。あれ、こんなに利かなかったっけか、と思いながらきゅっとレバーを引いても、手ごたえがほとんどない。
赤信号をヒヤリと抜け、あわてて足で自転車を止めた。危なかった。空き地によけてブレーキを確認してみると、パッドが随分磨り減っているようだった。多分、これが原因だろうなあ、とは思ったが、わたしに分かるのはそこまでで、仕方ない。そのままゆっくり会社までの道を走らせた。
定時になったとたんに、会社を出ていつもの自転車屋さんに向かった。息をきらせて坂を上り、お店の前に自転車を止めてガラスのドアを押す。
「ブレーキが…」
と情けなく言うわたしを見て、どれどれ、と店長がレバーを引いている。どれどれ、という顔はあっという間にあらら、になり、
「これで乗ってたんですか…」
という言葉に、わたしはますます情けなくなり、「えーっと。これじゃ、危ないですよねえ」と、力なく返事をする。
「ブレーキパットが磨り減っちゃってます。換えたら、すぐよくなりますから」
店長は、自転車を店内に入れ奥の作業服の青年に渡している。ふたりとも、自転車を扱う手つきがしっかりと確かで、わたしはふと安堵する。
待つ間に、今度同じことがあった時にはと、応急処置の仕方を教えてもらった。このねじを回して、ここで止めて、そうすればしばらくは持ちます、しばらくはね、と。手元を覗き込みながら、きれいだな、と思った。パーツがいくつも組み合わさって、きちんと確かに動いている。あるべきものが、あるべきところに納まった、正しいかたち。
パッドを直した自転車を前に、ありがとうございます、と頭を下げた。ライトのつけ方がちょっと違っていたので直しておきました。ここにこう固定してください、という言葉に頷きながら、わたしはふいに恥ずかしくなる。毎日自転車に乗ってるといっても、これじゃあまるで、ただ「乗せてもらってる」だけじゃないか。
「なんだか、自転車のこと、全然知らないで乗ってました。駄目ですね、これじゃ」
と、思わず出た言葉に
「いいえ。駄目じゃないです。これから分かればそれで大丈夫ですから」
という返事。その確かな口調に、落ち込みかけた気持ちが少し明るくなる。
「今の状態を、覚えておいてください。それで、おかしいと思ったら、また来てください。そうしたらもっと快適に乗れるはずですから。」
はい、と手渡された自転車のハンドルを握る。メカニックの彼の手はオイルで黒くなっていて、きちんと働いている人の、しっかりした、おおきな手だった。
お店を出ると、雨がまた降り出していた。やわらかな春の雨を浴びながら、ゆっくり走った。びっくりするほど自転車が軽い。ブレーキも、ほんの少し指先に力を入れるだけで、きちんと動く。
*
会社に戻って、パソコンの前に座ったとき、そうかこれと同じか、と思った。
最初は、パソコンのことなんて何も分からなかった。この箱の中で何が、どういう仕組みで動いているのか。今は、パソコンの調子が悪ければ自分で大抵は直せる。調子が悪い原因も分かるし、何を交換したらいいかも、おおよその見当がつく。一つ一つの部品と、そのつながりと、それぞれの役目を知っているから。
毎日使っているうちに、少しずつ知って馴染んでいくいろいろなこと。自転車も、同じなのかもしれない、とちらりと思う。きっと必要なものは、ほんの少しの興味と、愛情だけなのだ。
*
一仕事終え、春の夜をしばらく走った。どこへでも行ける、と思った。
プロップ・サイクルズ(http://vclt.com/prop/frame.htm)
2004.07.20
自転車と夕陽
「すみません、チェーンが外れちゃって…」
ガラスの向こうに店長の顔が見えて、わたしは少しほっとしながらドアを押した。
坂道を急いであがってきたせいか、額から汗が落ちる。外に停めた自転車を見ながら、店長がおやおや、という顔で出てきてくれた。
ひるやすみ、出かけた帰りの坂道で、急にチェーンが外れてしまったのだ。直そうとしばらく奮闘してみたが上手くいかず、結局時間がなくてそのままになってしまった自転車。会議をいくつか終わらせて外に出てみると、いつもの自転車やさんの閉店10分前で、わたしは慌てて自転車を押して、坂道を走って登った。
どれどれ、と自転車の傍に座った店長は、あっという間にチェーンを直し、ギアの調子を見てくれた。カチカチとチェーンの緩みを直して確認した後で、もう大丈夫ですよ、とにっこり笑う。
ありがとうございます、これで安心して家に乗って帰れます、というと、間に合ってよかったです。もう少しで店じまいをするところでした、という返事が返ってきて、いつものように、「お金はいらないです」、といってくれる。
わたしはついでに、自転車の脇に屈みこみ、外れたチェーンの戻し方を教えてもらう。ここに手を入れて、こっちに持ってきて、これですぐに戻ります、と説明を聞く。「今度からは自分でちゃんと直します」というと、「簡単ですから。でも、できなかったらいつでも持ってきてください」と言われて、やっぱりとてもほっとする。そもそもわたしは、ここで自転車を買ったわけでもないのに、すっかりお世話になりっぱなしだ。
ささやかな買い物を少しだけして、お店を出た。みると、夕陽がきれいだった。太陽がゆらゆらとその身体を沈め、雲がたなびいている。わたしは夕陽の方に向かって自転車をひとこぎした。夏の風が、首筋を掠めていった。
2004.07.08
自分が信じると決めたことを最後まで信じきる
友人からのメールで、今年もツールの夏がやってきたことを知った。
ツール・ド・フランス。毎日の平均走行距離が160キロ。全行程で3349キロ、23日間にわたり、9選手で構成される「チーム」が優勝を競い合う、過酷なレースだ。全行程を走りぬいた選手だけが、パリのシャンゼリゼ通りでグラン・フィナーレを迎えられる。
ツールで、個人総合成績が一位の選手が着る黄色のジャージが、「マイヨ・ジョーヌ」だ。全選手が、その黄色のリーダージャージを追いかけ、走る。
そのツールで、5年連続でマイヨ・ジョーヌを着てシャンゼリゼに戻ってきた選手が居る。USポスタルの、ランス・アームストロングだ。今年、前人未到の6連覇をかけ、ランスはツールを走っている。
ランスのことは、以前にも書いたと思う。選手として絶頂の時期であった25歳で睾丸癌をわずらい、一時は死を前にしたベッドで横たわった彼。絶望からの奇跡のような回復。そして、ツールでの5連覇。
彼は間違いなくヒーローなのだ。こんなにも劇的で鮮やかな人生。しかし、わたしが走る彼を見るたび思わず涙ぐみそうにさえなるのは、彼がヒーローだからでも、優れた選手だからでもない。
『ただ、マイヨ・ジョーヌのためでなく』は彼自身が闘病生活や自転車選手としての生活を語った著作だが、わたしはこれを「闘病記」としては読まない。ランス・アームストロングという一人の男が、時に弱く、時に力強く自分の人生を生きている記録だ、と思う。たまに投げやりになることもありながら、失意の底に居るときもありながら、それでも前を向いて生きる一人の人間の記録だと。そして、わたしは、その人間に惹かれるのだ。
ランスが、今年もツールを走っている。
***
(2001/07/23 (月) マイヨ・ジョーヌ )
ランス・アームストロングが、今年もマイヨ・ジョーヌを着て走っている。
彼はわたしに、希望のひとつのかたちを見せてくれる。
ツール・ド・フランス、第14ステージ。最後の、そして最大の山岳ステージだ。
この、世界最大の自転車レースのトップを、ランスが走っている。
個人総合時間成績のトップ選手のみが着ることを許される鮮やかな黄色のリーダージャージを着て、力強く、軽やかにピレネーを駆ける彼が、一時は生死の境をさまよっていたなんて、いったい誰が思うだろうか。
富と名声を手にした若き自転車選手が25歳で睾丸癌を患い、ガンと闘う。手術。化学療法。失意と絶望の日々。そして、鮮やかな復活。
その劇的な人生は、彼自身が『ただ、マイヨ・ジョーヌのためではなく』で語っている。
「僕たちは死に対し、正面から向き合うべきではないだろうか。勇気だけを武器にして」
父の癌が発見されたとき、ランスの人生は、失意のわたしたちに希望を見せてくれた。
手術。化学療法。癌は不治の病だといわれるけれど、こんな風に乗り越えた人もいるじゃないか、というかすかな希望。
もちろん、ランスとわたしの父は違う。年齢も、体力も、癌の種類も。ただ、ランスは、辛かったわたしたちを支えてくれた。闘病からも、決してリタイアしないその姿勢で。
暑い夏。手術を終え、退院した父が、ツール・ド・フランスを見ている。
テレビの向こうでは、海を越えた同士が、マイヨ・ジョーヌを着て走っている。
2004/07
2004.06.13
いたずら
日曜日。自転車に乗って会社へ。
風が気持ちよかったので、なかなか会社に行く気がせずに、川を眺めたり、サンマルクカフェでチョコカフェを飲んだり、ベビーカーの赤ちゃんから手を振られたりしながら走る。
会社の近くの、広い人通りのない道で、立ち漕ぎをしたり、歩道に飛び乗ったり降りたり、ぐるぐる回ったりして遊んでいたら、後ろから声をかけられて、ビックリして自転車から飛び降りてしまった。
「意外。桃さん、自転車、そんなに好きだったんですねえ。」
ふりむくと、近くに住んでいる同僚がにこにこしながら立っている。
「う、うん。」
と、何故かいたずらが見つかった小学生の気分になりながら、そのまま自転車を押しながら会社へ歩く。
2004.05.27
風薫る、
乗っているクロスバイクのサドルが少し高かったので、近くのバイクショップに自転車を持ち込んだ。「都会生活で日常的に自転車を楽しむために」、というコンセプトのきれいな店内。何度となくお店の前を通り過ぎてはいたが、入ってみるのは初めてだった。
ずっと自動車会社で働き、自転車好きが高じてお店を始めたという店長が、サドルポストを替えてくれる。ゆっくりとした手つき。でも、あっという間にサドルは、わたしにぴったりの高さになる。
作業を終えたオーナーは、自転車のハンドルをちょっと眺め、曲がってますね、これ、と言った。ハンドルを覗き込み、少し眉をしかめると、六角レンチを手にとり、コツリコツリとまわしていく。
「これ、組み方があんまりよくないみたいだ。多分、組み立てた時の工具が悪かったんでしょう。ボルトが痛んでしまっている。ちょっと気をつけてメンテナンスしてあげた方がいいです。」ぽつりといいながら、ハンドルをなおしてくれる。
わたしは店長の作業を後ろから見つめつつ、まわりを眺めていた。すっきりとした店内。ルイガノやキャノンデールのマウンテンバイクの後ろに、整然と並ぶ子ども用のバイクや三輪車が微笑ましい。
いい自転車だから、長く乗れますよ。なにかあったらまたいつでも持ってきてください、と、はじめてにっこり笑った店長の顔を見て、あ、いいな、と思った。裏のない、真っ直ぐな笑顔。きちんとした仕事をする人の、おだやかで、でもしっかりとした眼差し。この人は、ずっとこんなふうに仕事をしてきたのだろうか、と、最近仕事に悩んでいるわたしはちらりと思う。
工賃もとらず、サドルポストの代金だけを受け取ると、彼はドアの外までわたしの自転車を出してくれる。自転車を扱う手付きがあたたかい。ありがとうございます、と頭を下げ、自転車にまたがった。ひと漕ぎすると、足が軽い。嬉しかった。坂道を勢いよく降りると、風が薫る。一緒に走りながら、これはわたしの自転車だ、大切にしよう、と、思った。
http://www.minx-channel.com/PROP/index.html
2004.05.15
いけるところまで、自分の脚で走っていこう
眼が覚めてすぐに、青空なのが分かった。嬉しい。そっとベッドを抜け出し、シャワーを浴びる。15分で支度をすませ、家を出た。
自転車置き場から、買ったばかりの白いクロスバイクを引っ張り出す。土曜日の朝の道はまだ静かで、わたしは、子どもの頃のように自転車に飛び乗ってみる。踏み出すと、風が身体を通り過ぎていく。
まだ始まったばかりの一日だった。空気は澄んでいて空は青い。通り過ぎる川辺の新緑が眼に眩しかった。いつもの朝より車が少ない道路を、走っていく。ひと漕ぎごとにスピードは増し、身体は確実に進んでいく。前へ。
どこまでも行けそうだ、と思って、すぐに思いなおした。どこまでも、ではなく、いけるところまでいくのだ。自分の脚で、いけるところまで走っていこう。眼に映る景色が、ペダルの感触が、だんだんとあたたまっていく自分の身体が、どれもリアルで、嘘がないものの気がした。
頬をかすめて風が香る。自転車で走ることは、風を着るのと同じことだ。