2013.02.06

L'Imaginaire d'après nature

仕事に一旦きりをつけ会社を出て、銀座へ。有楽町の駅から中央通りに向かってゆっくり歩きながら、もしかしたらこの街が日本で一番好きかもしれない、とふと思う。親しい街、というのとは違う、好きな街。

シャネル・ネクサス・ホールは大好きなギャラリーで、いや、正確にいうとギャラリーではないかもしれないけれど、上等なサロンのような感じ。アンリ・カルティエ=ブレッソンの「こころの眼」。ここでやる展示会はいつも、静かにきらきらと輝いていて、いつ来てもがっかりすることがない。

ブレッソンの写真を、これまでどれだけ見てきただろう。決定的瞬間、と人は彼の写真を評してそういうけれど、わたしはブレッソンを見るたび、まなざしだ、と思う。彼のまなざしは一瞬でものがたりを語る。そしてものがたり、というのは、人生のことだ。写真家としてのあり方そのものが、ここでこうしてものがたりを語っている。そして、ここに写っているものは確かに現実だけれど同時に幻影でもあって、わたしたちはそれを覗きこみながら実は自分のものがたりを確かめている。ひとつ、またひとつ、潮流のように飾られている写真を見ながら、そこにある記憶を確かめている。

アンリ カルティエ ブレッソン 「こころの眼」 http://www.chanel-ginza.com/nexushall/2013/hcb/



2012.02.08

アーウィット、パリ、身体の二重性

友だちがとてもいいよというので、仕事の合間にシャネル・ネクサス・ホールへエリオット・アーウィットの撮ったフランスを見に行く。
あのギャラリーで写真を見て外に出ると、いつも、あ、ここは東京だったんだっけ、と思う。自分がどこにいるかふと分からなくなる感じ、空間が空間としてきちんと力を持っている、いいギャラリーだと思う。

ところで、アーウィットは最高だった。外と内のはざかいにいる感じ、ごく個人的なのに外に開いていて雄弁。二重写しになる人生。
アーウィットの写真を見ると、ボネガットを思い出すのだけれど、その後、友だちとやり取りをしていたらその友だちからのメールにもボネガットのことが書いてあって、やっぱり、と思う。身体の二重性。たとえば、歌舞伎の女形のような、そういう二重性を感じるのだ。
しかし、写真というのは好むと好まざるといつも二つの視線を持っている(しまう)もので、そういう意味では写真家の視線と自分の視線とが交錯してさらに溶けあう先に、何か特別な記憶の共有のようなもの、魂の触れ合いのようなものがおこるのだと思う。それはまるで奇跡とでも呼ぶしかなく、その前に立てばただ黙ってそれを感じるしかないような、そういう種類のことどもである。



2010.10.18

おぼえがき

 そこに光があれば影を、影の方をいつも見る。それはわたしだけではないと思う。うすぐらさ、闇の堆積、母の胎内。そしてそもそも、光というのは、見つめるには明るすぎる。だから、影を見ることで光を、本当は見ているのかもしれない。
 少し前、国立新美術館の「陰影礼讃」展に行った。一見、華々しくはないけれどしみじみといい作品がいい順番で並べられていて、よくできた協奏曲を聴いているみたい。なかでも写真。ケルテス、スタイケン、ユージン・スミス、ときたあたりでもう頭の中がわんわんと共鳴して、そしてふと、クーデルカを見たときにやはり一瞬、空気が止まった気がした。 最後のブロック、デュシャンとウォーホルではじまり、光が燦燦と立ち込める作品で終わる、それがまたよい。

 陰影礼讃―国立美術館コレクションによる(http://www.nact.jp/exhibition_special/2010/shadows/index.html



2009.12.10

それでも胸が痛い

 打合せからの帰り道、六本木ヒルズのけやき坂通りを歩いていたら、パッとイルミネーションが点灯した。どこからともなく歓声が聞こえ、わたしも、ぽっとお腹に火でも灯ったように少し温かくなる。ジョニー・デップが来るというのでものすごい人垣ができている。自分は場違いな気がして、下を向いて足早に通り過ぎる。

 会社に戻る前に、恵比寿の写真美術館、セバスチャン・サルガドの「アフリカ」へ。かつて暗黒大陸と呼ばれたアフリカ、今は見捨てられた大陸と言われるアフリカ、その大地をサルガドがくっきりと切り取っていくさまを見る。モノクロームの陰影、美しいプリント、まるで絵画のよう、たとえどんなに過酷な状況を撮っても、それがとても美しいのは何故なのだろうか。
 普通ならば、富の偏りを享受している自分を責めるべきなのかもしれない。でも、痩せ衰え、骨の浮き出た子どもを抱える父親を見ながら、干ばつの中歩く家族を見ながら、わたしはずっと、これはわたしだ、と思っていた。これはわたしなのではないか。そしてわたしの代わりにここにいるはずなのは彼らではないか。違いなど……ほんとうはほとんどないのかもしれない。
 しかし彼らのまなざしがあまりにも胸を突くので、わたしはもう何も考えられなくなり会場を出た。……後ろめたい?いや、わたしはわたしの人生を、生きていくしか。



2009.08.12

ゴーギャン

 いくつかの展示室を抜け、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」の前に立ったとき、鳥肌が立った。芯からぞっとし、わたしは、どうしたらいいか分からないまま絵を見つめていた。怖い、怖い、という思いがうわごとのように頭に響き、それなのに身体を引き剥がすようにしないと、絵から離れられなかった。
 サマセット・モームの『月と六ペンス』とか、リョサの『楽園への道』とか、もちろん本人の『ノア・ノア』とか、わたしはゴーギャンのことを随分知っていたつもりになっていた。ところが、絵の前に立ったとき、そんなのは全て些細なことで、これがすべてだ、と思った。ゴーギャンの遺言?画家の決意表明?心の叫び?……とんでもない、それどころか、この絵はそのままで全てじゃないか、と。
 わたしが、絵の前で感動に震えたかというとそうではない。心打たれた、というのとも違う。なにか大きな力のようなもの、力というか、たぶん、呪いのようなものが絵の中に確かに生きていて、それが目の前に立つわたしを盛んに捕まえようとするのに必死で抵抗していた。本当に恐ろしかった。そして、こんなに恐ろしい絵を見たのは初めてだった。呪わしい美しさ。画家はどこに行ってこんな絵を描いたのか。この絵を描いていたとき、ゴーギャンは、一体どこへいたというのか。とても地上の絵とは思えない。地上の人間が描いたとは思えない。これは絵ではなく、まじないであり儀式であり歌であり祈りであり悪霊であり恐れであり復讐であり愛情であり、つまり、世界のすべてだ。
 これが本当の絵だというのなら、わたしが今まで見てきた絵はなんだというのだろう。 抗えない。

 ゴーギャン展(http://www.gauguin2009.jp/
 9月23日まで。是非。



2009.07.29

 写真家の友だちと以前、写真はどこまで言語になれるのか、という話をしていた。「そこに美しい何かがあるから撮る」のだけが写真の役割ではない。誰が、何を伝えたくて撮るのかが大切で、だからそこには、「わたし」が話す「言葉」がなくてはならない。けれど、どんどん、その語られるべき、聞かれるべき言葉が失われているような気がする………。
 これは写真に限った話ではなく、他のどんなものでもそうだ、と思う。「言葉」というのは「ものがたり」といってもいい。人がつくったなにかの中に、語られるべきものがたりを見つけたとき、わたしはその「なにか」を本当に好きになる。
 そして、件の友だちがもうひとつ言うには、「その人自身が作品だよね」と。それでも、全ての人と直に関わることはできないし、そういう意味では、死ぬと同時に作品も失われる。だから、自分と切り離したところに「なにか」を存在させようとするのが、芸術なのではないか、と。

 昨日の、ガラス作家の友人がつくった、「水平線」という名の作品がまだわたしの中で響いていて、朝から、ずっとそのことばかりを考えていた。あの感じ。薄明のあの海。お互い溶け合いそうで、でも確かに分かれていて、モノクロームの質感。そう、そういう意味では、杉本博司の撮る水平線のよう。そういえばあの写真を使ったU2のアルバムは、"No Line on the Horizon"という名前がついている………。
 そのうちに、友人本人からメールが来て、あれは、わたしが育ったあたりの浜、うすぐもりの天気の海だと。それをきいて、ああ、やっぱりあそこにあってわたしが魅かれたものはガラスになった彼女の言葉で、それは必ずこうして伝わるのだな、と、思った。

 考えてみれば、あの作品がまとう雰囲気も、彼女自身にとても似ているのだった。あのふわりと空気を含んだような感じとか、朝の薄明のなかに咲く、夏椿みたいなところとか。


 杉本博司さんの水平線は(こちら



2009.07.27

マン・レイ

 "Unconcerned, but not indifferent"

 マン・レイの口癖だったというこの言葉をたまに思い出す。一般的にどう訳されているかは知らないけれど、わたしにとっては、「無関係を装い、けれど離れがたく」という感じ。この言葉をこんなに好きだと思うのは、背反する感情を抱えて生きていくしかないのが人間なのだと思っているからだ。しかも、あの、マン・レイがこう言うのだ。降参するしかない。マン・レイという名前からして象徴的で、しかも、彼は、「マン("Man")・レイ("Ray")」という男に、自らの意志でなったのだ、と思う。

 彼なら、カメラを使わなくても写真が撮れただろう。ごく一部のある種の画家が、絵筆ではなく絵を描くように。



2009.02.17

 仕事を終え、ぎりぎりかなと思いながら銀座のシャネルへ急ぐ。スザンヌ・フォン・マイスの写真コレクションを見に。「何はともあれシャネル」なのだと皆言うけれど、普段はまるで縁のない建物。それでも、端整な佇まいが好きなので、ゆっくりと店内を横切って4階のホールへ。

 二度目なのに、気持ちがざわざわするのを抑えられず、ある壁の前で思わず溜息をつく。集められた写真家の名前を聞けば錚々たる面々でそれだけで眩暈がしそうなのだけれど、それよりもなによりも、いったいどういう人がこんなふうに写真を選べるのか、それをまるで奇跡のように思う。全ての写真が響きあっている。美しく、でも美しいだけではなく、必ずしも完璧ではないのに隅々まで端整で、滑らかなのに棘でも刺さったように心に残る。わたしはこの気持ちを表す言葉を知らないけれど、それが、「アリュール」ということなのかもしれない、と、思う。
 有名な写真家の、代表作を集めただけではこうはならない。もちろん、財力に任せてただ思いつくままに買い集めてもこんなコレクションは出来ないだろう。コレクションというのは、一人の人間の個性―乱暴にいえばその人自身―をそっとまとめて誰かに差し出すようなものだと思うのだけれど、そうだとしたら、どんな個性がこんなふうに写真を選べるのか。

 わたしは、「アリュール」という言葉が本当には分からない。でも、並んだ写真を見て思ったのは、どれも間違いなく美しいということ、そして、その美しさは、いつも自覚的なものだということだ。「ただありのままが美しい」のではない。美しさを意味あるものにするためには、手をかけなければいけない、という確固たる意思がどの写真にも込められていて、だからこそ決然と美しい。作為が見える、というのとは違う。美しさとは、美しくあろうとするところにこそ輝くように表れるものなのかもしれない。

 シャネルネクサスホール 「アリュール 内なる輝き―スザンヌ フォン マイス コレクション



2008.12.05

 仕事を抜けてピカソ展へ。あれやこれや言いながら会場をまわる。わたしはピカソの描くオルガが好きだ。恋は感じないけれど、それでも。

 永遠に何かに恋し続けることは、たぶん誰にも出来ない。
 それが普通の人なら、恋をして、忘れて、新陳代謝のようにそれを繰り返し、もしかしたら最後に、凍った恋の陳列室で一生を終えるのかもしれない、と思う。でもピカソは違う。
 ピカソにとっては、永遠なんてたぶん意味がなかったのだろうと思う。そこにあったのは感情でも理性でもなく、彼の「天才」だけで、だからあれだけ描けたわけだし、だからこそ女たちの恋を独占する資格を持っていた。そして、立ち止まらない。変遷する。描き続ける。
 そしてその「天才」というイノセンスがあまりにも強烈すぎて、わたしはピカソの絵に恋を感じないのだろうと思う。そのイノセンスゆえに、ピカソは、どんなものからも許されてしまう特権を持っている。だから、わたしは、ある一人の天才に向かって、なんだ、ちょっとずるいよ、と、思った。



2008.11.26

 わたしはカメラが好きなのか、それとも写真を撮ることが好きなのか、写真が好きなのか、と思いながら歩いていたら、いつの間にか降り出していた雨にも気づかなかった。見上げると、昼間透き通るように晴れていた空は暗く沈み、落ちてくる雨粒は鈍色の地面にあたりきらきらと反射している。あ、モノクロだ、と思う。……いや、もしかしたらこれはモノクロではなく、光と影。……でも、モノクロ≒光と影、?
 そんな気分のまま古いエレベーターへガタゴト乗り込み、友人の写真展へ。入り口、見回してすぐのところで視線が止まる。あれ、これ、さっきまで考えていたことだよな、と思う。モノクローム、光と影の質感、すぐそこにある人生、フラッシュする近しい記憶と遠い思い。それ自体が既に言葉である写真をこうして説明することほど馬鹿馬鹿しいことはないが、見ていると、掃き集められた記憶をランダムに、再生されているような気がした。つまり、誰かのまなざしがすぐ横で響いてくるような感じ。もしかしたらわたしのものだったかもしれない世界の記録と記憶。

 「きれいな写真じゃないよ」と、友人は笑いながらそう言ったけれど、もちろんわたしは、その写真がきれいかそうでないかにはまるで興味がなく、(そして友人もそれを知っているはずで)、美しい写真に癒されたいと思ったこともない。好きか嫌いか、は、どれだけ自分に響くか響かないかだ。だから、端整な写真にどうしようもなく揺さぶられることもあるし、荒い表現に心慰められることもある。
 しばらく会場をぐるぐると歩き、友人に我侭を言い写真まで貰って、雨の中上機嫌で飛び跳ねるように家まで帰った。なぜだかずっと足元の方から温かい気がしていて、その理由を探していたら、ふと、ウンベルト・サバのある詩を思い出した。……「人生ほど生きる疲れを癒してくれるものはない」。そうだ、わたしはあの会場で、人生そのものに癒されたのか、と、思った。



2008.11.25

 仕事で写真を撮る必要があったので、肩からカメラを提げて出かける。

 開店前のレストランが好きだ。これから始まる一日のために並べられているカトラリーやグラス、拭きあげられたカウンター、塵ひとつないフロア。「今日ここにやってくるかもしれない誰か」のために準備し、整えられるさまざまなこと。見ていると、このようにしてレストランはレストランたり得るのだ、と思う。何の魔法でも奇跡でもない。人間の細かな気配りや思いや、具体的な準備や手順が積み重なって、今日もお店はオープンする。

 そんななか、こっそりとその場に混じって、販促用の写真を撮る。お客様のお店に、無理言ってお願いしたのだ。店長に挨拶し、足音をたてずフロアを回り、そっとシャッターをきっていく。
 販促用、とはいっても、わたしたちのつくっているシステムは直接写真には写らない。それでもそこで「動いている」のは確かなことで、不思議なことにその事実はきちんと写真に残るのだ。わたしたちのシステムも、お店のひとつの要素なのだ、と、思う。

 それにしても、久しぶりに(デジタルだけれど)一眼レフのカメラを持って歩いた。持っているだけで嬉しい。撮っていたらなおさら楽しくて、そうかカメラってこういうものだった、わたしはカメラがこんなに好きだったんだ、としみじみ思った。



2008.08.09

 日本の今の洋画家だったら小林孝亘さんが一番好きなのだけれど、それは何故かというと、彼の描く光と影が静かで、でも鮮やかだからだ。滴るようにみずみずしいひかり、明るさ、なのに生々しくなく押し付けがましくなく、静かにそこにあるという感じ。
 「ひかりのあるところへ」という画集に収められている作品群が素晴らしく、その名の通り、ひかりがありありと感じられる絵なのだ。この、絵に満ちている「ひかり」の正体はなんなんだろうとずっと考えていたら、あるときふと、湿度だ、と思った。この、うるんだ空気。ひかりをやわらかく吸収してまた拡散させる水分。このやわらかさの、みずみずしさの、優しさの正体は、もしかしたらひかりでなく水なのかもしれない、と思う。



2008.08.08

 カメラが好き、写真が好き、と思ってはいても、もうずいぶんと撮らない日々が続いていた。なのに昨日、唐突にまた「写真が撮りたい」と思った。
 
 会社の前には桜並木が続いていて、緑の葉を茂らせている。昨日、その葉が、アスファルトに影をつくっているのを見て、それがあまりにもきらきらしていて、ああ、これを写真に撮りたい、と思ったのだった。
 あの光景を言葉で説明するのは難しい。やっと来た夏、太陽が天辺からぎらぎらと熱く照っていて、降るような蝉時雨。道の両側にずっと続く桜並木とその木々が落とす影、アスファルトにできた光と影の模様。木漏れ日の美しさ。でも、いくら言葉を尽くしても説明できない何かを、写真だったら、一瞬でつかまえられるのかもしれない、と思っている。



2008.07.09

 うまい具合にぽっかりと時間が空いたので、急いでタクシーに乗る。国立新美術館の、エミリー・ウングワレー展。
 今まで、プリミティブ・アートにはまるで興味がなかったし、エミリーという画家のことも知らなかったのだけれど、「あれほど作為のない絵はない」というある人の評にどうしても惹かれたのだ。
 入口。入ると、大きな絵。重なり合う色、伸びていく線。圧倒され、揺さぶられるように、最後まで見た。

 もうどこにも帰れない、と、時折思う。わたしは本当に鈍くなってしまっていて、世界に対する感受性が錆ついている。でも、それが分かっていても、そこにあるのは絶望でも悲しみでもなくて、緩やかな諦念なのだ。それがなおさら切ない。でも、こういう絵を見ると、自分の野性が刺激されて、生々しく響いてくる。
 まるで、地面や木々からなにか滲み出てきたような絵だった。便宜的に、壁に掛けられてタイトルが付いていたけれど、たぶん上も下も横もない、世界の一部を切り取ったような絵。生々しくて、オーガニックで、自発的。世界と共鳴している。温度も湿度も高くて、むせかえるように馥郁としている感じ。
 伝統的、というより、世界がそのままそこにあるのだ。たぶん、描いているというより、「描くように決められていた」のだと思う。絵というよりむしろ、精霊のものがたりだ。

 無意識のうちに自分の鼓動を聞きながら、ぼんやりと建物を出て、電車に乗る。すっと、あの絵が身体のどこかに入って、体温が少しあがったようだった。



2007.04.19

 BRUTUS』の4/15号、「西洋美術を100%楽しむ方法。」を読む。レオナルド展と連動した企画で、表紙も「受胎告知」だし、他のレオナルドの作品がそこそこきちんと解説されていて面白い。副題が、「キリストの生涯が分かると美術館は本当におもしろい!」となっていて、確かにそうだと思う。同じ場面が違った芸術家によって繰り返し描かれているところは、ちょっと歌舞伎みたいだ。そうか日本に聖書はなかったけれど、忠臣蔵はあったわけだ、と、めちゃくちゃなことを思ったりする。それにしても、ゴーギャンの「黄色いキリスト」に描かれているマリア二人の、なんと静かなことだろうか。
 『BRUTUS』には載っていなかったけれど、わたしにとって美術作品の中のキリスト、といえばなんと言ってもヴァチカンにあるミケランジェロのピエタで、あれを見て初めて、神々しい、という言葉の意味を知った気さえする。あれが、マリアとキリストでなくても、わたしは、あれほど美しいと思っただろうか。……と、そこまで思い出したところでやっぱりイタリアに行きたくなり、イタリア、イタリア、とつぶやくように思ってばかりいる。